「雨月物語」 1953年 日本
監督 溝口健二
出演 京マチ子 水戸光子 田中絹代 森雅之
小沢栄太郎 青山杉作 羅門光三郎
香川良介 上田吉二郎 毛利菊枝
南部彰三 光岡龍三郎 天野一郎
尾上栄五郎 伊達三郎 沢村市三郎
ストーリー
天正十一年春。琵琶湖周辺に荒れくるう羽柴、柴田間の戦火をぬって、北近江の陶工源十郎(森雅之 )はつくりためた焼物を売りに旅に出た。
従う者のうち妻宮木(田中絹代)と子の源市は戦火を怖れて引返し、義弟の藤兵衛(小沢栄太郎)は侍への出世を夢みて女房の阿浜(水戸光子)をすてて、通りかかった羽柴勢にまぎれ入った。
合戦間近の大溝城下で、源十郎はその陶器を数多注文した上臈風の美女にひかれる。
彼女は朽木屋敷の若狭(京マチ子)と名乗った。
注文品を携えて屋敷を訪れた彼は、若狭と付添の老女(毛利菊枝)から思いがけぬ饗応をうける。
若狭のふと示す情熱に源十郎はこの屋敷からのがれられなかった。
一方、戦場のどさくさまぎれに兜首を拾った藤兵衛は、馬と家来持ちの侍に立身する。
しかし街道の遊女宿で白首姿におちぶれた阿浜とめぐりあい、涙ながらに痛罵される。
日夜の悦楽から暫時足をぬいて町に出た源十郎は、一人の老僧(青山杉作)に面ての死相を指摘される。
若狭たちは織田信長に滅された朽木一族の死霊だったのである。
別れを切り出す源十郎を、怒りの中引き留めようとする若狭たちだが、彼に触れることが出来ない。
源十郎の背中には呪符が書かれていたためであった。
源十郎はとぼとぼと妻子のまつ郷里へ歩をかえした。
かたぶいた草屋根の下に、彼は久方ぶりでやせおとろえた宮木と向いあう。
しかし一夜が明けて、彼女も幻と消えうせた。
宮木は源十郎と訣別後、落ち武者の槍に刺され、すでにこの世を去っていたのである。
寸評
幽玄の世界とはこういうものなのだと教えてくれたたぐいまれなる作品で、溝口健二は傑作をたくさん撮っているが私はこの「雨月物語」を彼の最高傑作だと思っている。
こういう作品に出会うと、映画の世界に自らの技能を表現しようとした執念を持った職人たちが、この時代には数多くいたのだと痛感させられる。
それは脚本の川口松太郎 、依田義賢や撮影の宮川一夫、音楽の早坂文雄、美術の伊藤熹朔、そして全てを取り仕切る監督の溝口健二といった名のある人たちだけでなく、大道具、小道具、衣装、結髪、照明などに至る全スタッフの息吹を感じるのだ。
それは、いい映画を作るのだという情熱であり、誰よりも優れたものを残そうという揺るぎない執念のようなものだ。
ソフト・フォーカスを基調とした宮川一夫のカメラワークが素晴らしく、見事なまでに幽玄の世界を映し出していて、
琵琶湖を漂う小舟の場面でのモヤが、朽木屋敷のシーンでは深い霧がモノトーンのスクリーン上で絶大な効果を上げている。
小舟のシーンはプールでの撮影だと思われるが、小舟がモヤの中に浮かび上がりモヤの中に消えていくのを水面上のアングルから捉えていて、その雰囲気だけで一気にこの映画の持つ雰囲気世界に引き込まれる。
藪の中の温泉で混浴している源十郎と若狭の姿からカメラが移動していくと、いつの間にか次のシーンにかぶさって、琵琶湖畔で戯れている二人の姿になるあたりは白黒映画の白眉だ。
温泉はセットで、源十郎の入っている岩風呂からは湯気が立ち登っているのだが、そこか袈裟が木立の中に消え去るとやがて袈裟が入浴してくる声だけが聞こえ湯船に波が立つ(京マチ子の裸身は想像の世界だ)。
カメラがパンしていくと琵琶湖畔で戯れる二人の様子に変わるが、それはロケ地における実写だ。
雪舟の水墨画でもこうはいくまいと思う。
この作品は怪奇映画であり、言い方を変えればロマンチックな怪談映画でもあるのだが、外国映画の幽霊ものとは全く違う雰囲気をもっている。
それは、これこそが日本なのだという様式である。
それを支えているのが、京マチ子の若狭の情熱と妖艶さと、田中絹代の宮木のエレガンスな気高さだ。
ふたりの死霊はそれぞれ違った魅力を醸し出す。
若狭はというより、京マチ子は朽木屋敷という幽霊の館が放つ怪しい光の中で輝きを見せ、田中絹代は朽木屋敷とは真逆の簡素な田舎のあばら家の夜の灯火の中で不思議な世界に導く。
その身のこなしこそは能の世界であり、演技の世界であり、ふたりの技量が輝いていた。
阿浜は雑兵に強姦され、宮木も落ち武者の槍に刺されこの世を去る。
戦争の犠牲になるのは弱い女の方なのだと言っているようでもある。
しかし、藤兵衛と阿浜の行く末を見るに付け、源十郎がふたりの女性の亡霊に翻弄される姿といい、女は男を凌駕する存在なのだとも見て取れる。
金に目がくらんではいけない、出世にうつつを抜かしていけない、女に狂ってはいけない。
どれもこれも男にとっては辛い拘束だなあ・・・。
監督 溝口健二
出演 京マチ子 水戸光子 田中絹代 森雅之
小沢栄太郎 青山杉作 羅門光三郎
香川良介 上田吉二郎 毛利菊枝
南部彰三 光岡龍三郎 天野一郎
尾上栄五郎 伊達三郎 沢村市三郎
ストーリー
天正十一年春。琵琶湖周辺に荒れくるう羽柴、柴田間の戦火をぬって、北近江の陶工源十郎(森雅之 )はつくりためた焼物を売りに旅に出た。
従う者のうち妻宮木(田中絹代)と子の源市は戦火を怖れて引返し、義弟の藤兵衛(小沢栄太郎)は侍への出世を夢みて女房の阿浜(水戸光子)をすてて、通りかかった羽柴勢にまぎれ入った。
合戦間近の大溝城下で、源十郎はその陶器を数多注文した上臈風の美女にひかれる。
彼女は朽木屋敷の若狭(京マチ子)と名乗った。
注文品を携えて屋敷を訪れた彼は、若狭と付添の老女(毛利菊枝)から思いがけぬ饗応をうける。
若狭のふと示す情熱に源十郎はこの屋敷からのがれられなかった。
一方、戦場のどさくさまぎれに兜首を拾った藤兵衛は、馬と家来持ちの侍に立身する。
しかし街道の遊女宿で白首姿におちぶれた阿浜とめぐりあい、涙ながらに痛罵される。
日夜の悦楽から暫時足をぬいて町に出た源十郎は、一人の老僧(青山杉作)に面ての死相を指摘される。
若狭たちは織田信長に滅された朽木一族の死霊だったのである。
別れを切り出す源十郎を、怒りの中引き留めようとする若狭たちだが、彼に触れることが出来ない。
源十郎の背中には呪符が書かれていたためであった。
源十郎はとぼとぼと妻子のまつ郷里へ歩をかえした。
かたぶいた草屋根の下に、彼は久方ぶりでやせおとろえた宮木と向いあう。
しかし一夜が明けて、彼女も幻と消えうせた。
宮木は源十郎と訣別後、落ち武者の槍に刺され、すでにこの世を去っていたのである。
寸評
幽玄の世界とはこういうものなのだと教えてくれたたぐいまれなる作品で、溝口健二は傑作をたくさん撮っているが私はこの「雨月物語」を彼の最高傑作だと思っている。
こういう作品に出会うと、映画の世界に自らの技能を表現しようとした執念を持った職人たちが、この時代には数多くいたのだと痛感させられる。
それは脚本の川口松太郎 、依田義賢や撮影の宮川一夫、音楽の早坂文雄、美術の伊藤熹朔、そして全てを取り仕切る監督の溝口健二といった名のある人たちだけでなく、大道具、小道具、衣装、結髪、照明などに至る全スタッフの息吹を感じるのだ。
それは、いい映画を作るのだという情熱であり、誰よりも優れたものを残そうという揺るぎない執念のようなものだ。
ソフト・フォーカスを基調とした宮川一夫のカメラワークが素晴らしく、見事なまでに幽玄の世界を映し出していて、
琵琶湖を漂う小舟の場面でのモヤが、朽木屋敷のシーンでは深い霧がモノトーンのスクリーン上で絶大な効果を上げている。
小舟のシーンはプールでの撮影だと思われるが、小舟がモヤの中に浮かび上がりモヤの中に消えていくのを水面上のアングルから捉えていて、その雰囲気だけで一気にこの映画の持つ雰囲気世界に引き込まれる。
藪の中の温泉で混浴している源十郎と若狭の姿からカメラが移動していくと、いつの間にか次のシーンにかぶさって、琵琶湖畔で戯れている二人の姿になるあたりは白黒映画の白眉だ。
温泉はセットで、源十郎の入っている岩風呂からは湯気が立ち登っているのだが、そこか袈裟が木立の中に消え去るとやがて袈裟が入浴してくる声だけが聞こえ湯船に波が立つ(京マチ子の裸身は想像の世界だ)。
カメラがパンしていくと琵琶湖畔で戯れる二人の様子に変わるが、それはロケ地における実写だ。
雪舟の水墨画でもこうはいくまいと思う。
この作品は怪奇映画であり、言い方を変えればロマンチックな怪談映画でもあるのだが、外国映画の幽霊ものとは全く違う雰囲気をもっている。
それは、これこそが日本なのだという様式である。
それを支えているのが、京マチ子の若狭の情熱と妖艶さと、田中絹代の宮木のエレガンスな気高さだ。
ふたりの死霊はそれぞれ違った魅力を醸し出す。
若狭はというより、京マチ子は朽木屋敷という幽霊の館が放つ怪しい光の中で輝きを見せ、田中絹代は朽木屋敷とは真逆の簡素な田舎のあばら家の夜の灯火の中で不思議な世界に導く。
その身のこなしこそは能の世界であり、演技の世界であり、ふたりの技量が輝いていた。
阿浜は雑兵に強姦され、宮木も落ち武者の槍に刺されこの世を去る。
戦争の犠牲になるのは弱い女の方なのだと言っているようでもある。
しかし、藤兵衛と阿浜の行く末を見るに付け、源十郎がふたりの女性の亡霊に翻弄される姿といい、女は男を凌駕する存在なのだとも見て取れる。
金に目がくらんではいけない、出世にうつつを抜かしていけない、女に狂ってはいけない。
どれもこれも男にとっては辛い拘束だなあ・・・。
妻の田中絹代が、「私は夫婦共稼ぎでやっていけばそれで良いのです」と言います。
戦国時代に、夫婦共稼ぎという概念があったでしょうかね。
だとすれば共稼ぎもあったのですかね?
なにしろ、ジャズのアート・ブレキーの曲に『ugetu』というのがあるのですから。
別に大した曲ではありませんが、どこで見たのでしょうかね。