おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

キャタピラー CATERPILLAR

2022-06-01 07:22:13 | 映画
「キャタピラー CATERPILLAR」


監督 若松孝二
出演 寺島しのぶ 大西信満 吉澤健 河原さぶ
   篠原勝之 粕谷佳五 増田恵美 石川真希
   飯島大介 地曵豪 ARATA

ストーリー
シゲ子の夫・久蔵が召集され盛大に見送られて勇ましく戦場へと出征していったが、シゲ子のもとに帰ってきた久蔵は、顔面が焼けただれ四肢を失った無残な姿であった。
村中から奇異の眼を向けられながらも、多くの勲章を胸に“生ける軍神”と祀り上げられる久蔵。
四肢を失っても衰えることのない久蔵の旺盛な食欲と性欲に、シゲ子は戸惑いながらも軍神の妻として自らを奮い立たせ、久蔵に尽くすのだった。
だが、自らを讃えた新聞記事や勲章を誇りにしている久蔵の姿に、シゲ子は空虚なものを感じ始める。
やがて、久蔵の食欲と性欲を満たすことの繰り返しの日々の悲しみから逃れるかのように、シゲ子は“軍神の妻”としての自分を誇示する振る舞いをみせるようになっていく。
一方、日本の輝かしい勝利ばかりを報道するニュースの裏で、東京大空襲、米軍沖縄上陸と敗戦の影は着実に迫ってきていた。
久蔵の脳裏に、忘れかけていた戦場での風景が蘇る。
燃え盛る炎に包まれ逃げ惑う女たちを犯し、銃剣で突き刺し殺す日本兵たち。
戦場で人間としての理性を失い、蛮行の数々を繰り返してきた自分の過ちに苦しめられる久蔵。
混乱していく久蔵の姿に、シゲ子はお国のために命を捧げ尽くすことの意味を見失っていく。
1945年8月6日広島、9日長崎原爆投下。
そして15日正午、天皇の玉音放送が流れる中、久蔵、シゲ子、それぞれの敗戦を迎えるのだった……。


寸評
2010年ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品作品で、寺島しのぶが最優秀女優賞を受賞した作品である。
もちろん寺島しのぶの女優賞に異存はないが、久蔵を演じた大西信満もすごい。
両手両足を切断され、言葉も発することが出来ず、ただ食欲と性欲を満たす傷痍軍人を鬼気迫る姿で演じていた。
二人あっての作品だった。

シゲ子は子供を産むことが出来なくて、黒川家や久蔵から冷たくされていたことが分かる。
そして義父や義妹から「姉さんを返さなくてよかったね」などと言われ久蔵の世話を押し付けられる。
最初は戸惑うシゲ子だが、やがてはすべてを受け入れ強くなっていく。
その土着の女の強さがもっと丁寧に描かれていれば、この作品自体が優秀賞を取れたのではないか?
寺島しのぶは女優として完全にお母さんである藤純子を抜いていて、お母さんはシゲ子役をやらなかったし、やれなかったと思う。
「ご褒美をあげる」と服装を紐解く時の表情や、逆に夫を支配していく時の表情の変化などはこの女優特有のものである。
実に貴重な女優さんであり、彼女の演技が有って僕にはこの映画が「これも戦争だ」といった反戦的なイデオロギー作品としてではなく、芋虫状態となっても無くすことのできない食欲と性欲をあらわにする男と、やむを得ずその相手をさせられる女の人間の本性を描いた作品に思えた。

玉音放送が流れ「戦争が終わった」と少し知恵遅れの村人であるクマが嬉しそうにシゲ子に伝えに来て、シゲ子も終戦を喜ぶ。
そして、戦時中は軍神と崇められた久蔵も、それが無益なものになることを悟ったかのような終戦を迎える。
クマ、シゲ子、久蔵それぞれの表情が印象深い。
キャタピラー(芋虫)のごとく生きることを余儀なくされた久蔵が、自らの行った蛮行に苦しみ性欲をなくす。
久蔵が戦地でどのような体験をしたのかを知らない家族。
おそらく自らの体験を語ることが出来ない戦争経験者も大勢いることだろうと想像した。

私は戦後生まれで戦争を知らないが、それでも片足をなくした傷痍軍人(あるいは傷痍軍人を装った不届き者)が町角に立って募金を募っているのを見たことが有る。
お国のためにと駆り出され戦死した多くの人々。
戦死するよりも悲惨な状況を強いたこの映画のような人々を生み出しながらも今日の繁栄を得た日本。
先の戦争の過ちを反省するとともに、先人たちのこの犠牲に対する感謝を忘れてはならないと思う。
この映画の意図するところではないが、A級戦犯は戦争指導者としての責任を問われる立場の人たちであり、あくまでも国内問題であり外国(特に中国、韓国)からとやかく言われる問題ではないと思っているので、大東亜戦争の総括をしっかりと行って靖国神社にはお参りをすべきだと思った。

それにしても重い映画だった。
それにしてもこれも戦争の一面だと知らされた。
それにしても戦争はよくない。


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