「42 ~世界を変えた男~」 2013年 アメリカ
監督 ブライアン・ヘルゲランド
出演 チャドウィック・ボーズマン
ハリソン・フォード
ニコール・ベハーリー
クリストファー・メローニ
アンドレ・ホランド
ルーカス・ブラック
ハミッシュ・リンクレイター
ストーリー
1945年ニューヨーク、ブルックリン・ドジャースのGMブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)は、一人の黒人選手と契約を交わす。
その名はジャッキー・ロビンソン(チャドウィック・ボーズマン)。
彼はメジャーとは縁のないニグロリーグで活躍していたのだが、ドジャースのマイナー契約したことで最愛のレイチェル(ニコール・ベハーリー)にプロポーズし結婚した。
当時アメリカでは、トイレやレストラン、交通機関などあらゆる公共のものの使用が白人と有色人種とで分けられるという人種差別が横行していた。
野球界も例外ではなく、有色人種の採用はジャッキーが初めてだった。
リッキーのこの決断に対し、敵球団や一般大衆、マスコミはもとより、チームメイトからすら非難が起きる。
リッキーはそんな立場のジャッキーを心配し、黒人記者のウェンデル・スミス(アンドレ・ホランド)を派遣し、ジャッキーのサポートにつける。
それでも下部リーグの3Aに出場し、逆境の中で実績を残していくジャッキー。
どんなに理不尽な差別にあっても自制心を働かせ、己の力を発揮することに集中するジャッキーだった。
そしてついに1947年、彼はドジャースの一員として、背番号42のユニフォームに袖を通し、メジャーのグラウンドに立つ。
しかしそんな彼の前には、数々の差別的待遇や卑劣ないやがらせが当然のように待ち受けていた。
チームメイトさえ味方してくれない過酷な状況の中、リッキーとの約束を守り、歯を食いしばって耐え忍び、プレーに集中するジャッキーだった。
そんな彼の姿にチームメイトやファンは心を動かされ、ジャッキーはやがて野球界を、そして世界を変えていく。
寸評
ある年のメジャーリーグ発表によると、野球を変えた男として1位のベーブ・ルースに次いで、ジャッキー・ロビンソンは第2位に列せられている。 (ちなみに、我が野茂英雄は第30位でそれはそれで大したものだ)
黒人をメジャーリーグに導いた先駆者として尊敬されているのだろう。
彼に敬意をこめてメジャーではジャッキー・ロビンソン・デーという日(4月15日)があって、その日はメジャーの全選手が彼の付けた背番号42のユニホームを着るそうだ。
メジャーもなかなか粋なことをやる。
第二次大戦後だとアメリカにはまだまだ人種差別が残っていたのだろう。
南アメリカのアパルトヘイトのように、白人オンリーとか有色人種専用などという看板があちこちにみられる。
トイレも使わせてもらえず、ホテルの宿泊も拒否されるなど、迫害もかなりのものなのだが、ジャッキーはそんな差別に立ち向かって行く。
メジャーリーグ社会においてもそうなのだが、こと野球においては彼は忍耐強く我慢を重ねる。
それは彼をメジャーに引き上げてくれたオーナーのブランチ・リッキーからの忠告による。
忠告を守り、誹謗中傷に耐えてプレーを続けたジャッキー・ロビンソンも立派だが、オーナーのブランチ・リッキーも大したもので、この男は正義感にあふれ魅力的である。
彼にも嫌がらせが続くが屈することはない。
ジャッキーを受け入れない選手をトレードに出してまでジャッキーを擁護する。
当初は差別的だった監督もオーナーの脅しで平等に扱うようになる。
球団オーナーの権力はすごいものがあると思わせる。
ハリソン・フォードはすごく得な役回りで、見ているうちに彼に聖人的なものを感じてしまう。
野球映画だともっと臨場感に富んだ作品もあったように思うが、実在の人物の伝記映画としてはまとまっていたように思う。
初めての黒人選手として、妨害にもめげずにひたむきにプレーする主人公と、黒人にメジャーへの門戸を開こうとするオーナーの強い意志が、誇張されることなくてきぱきと描かれていく。
それにジャッキーを愛するヒロインがそちらにウェイトが移りすぎない程度に夫婦愛を見せる。
最初は反感を持っていたチームメイトも、やがてはジャッキーを受け入れるようになる。
ヤジを飛ばす相手チームの監督に文句を言いに行ったり、シャワーを一緒にするよう誘ったりといくつものエピソードを積み重ねていく。
その手際に無駄はなく、ある意味ではオーソドックスな運びである。
逆に言えば劇的な盛り上がりを見せるとか、差別に対する暴力的な事件を描くなどドラマとしての見世物的要素は少ないように思う。
真面目な野球映画で、そのスタイルはジャッキー・ロビンソンに通じるものだと感じた。
野球殿堂入りしたチームメイトなどを紹介しながらエンドクレジットに入るラストは、野球ファンには楽しめるものとなっている。
監督 ブライアン・ヘルゲランド
出演 チャドウィック・ボーズマン
ハリソン・フォード
ニコール・ベハーリー
クリストファー・メローニ
アンドレ・ホランド
ルーカス・ブラック
ハミッシュ・リンクレイター
ストーリー
1945年ニューヨーク、ブルックリン・ドジャースのGMブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)は、一人の黒人選手と契約を交わす。
その名はジャッキー・ロビンソン(チャドウィック・ボーズマン)。
彼はメジャーとは縁のないニグロリーグで活躍していたのだが、ドジャースのマイナー契約したことで最愛のレイチェル(ニコール・ベハーリー)にプロポーズし結婚した。
当時アメリカでは、トイレやレストラン、交通機関などあらゆる公共のものの使用が白人と有色人種とで分けられるという人種差別が横行していた。
野球界も例外ではなく、有色人種の採用はジャッキーが初めてだった。
リッキーのこの決断に対し、敵球団や一般大衆、マスコミはもとより、チームメイトからすら非難が起きる。
リッキーはそんな立場のジャッキーを心配し、黒人記者のウェンデル・スミス(アンドレ・ホランド)を派遣し、ジャッキーのサポートにつける。
それでも下部リーグの3Aに出場し、逆境の中で実績を残していくジャッキー。
どんなに理不尽な差別にあっても自制心を働かせ、己の力を発揮することに集中するジャッキーだった。
そしてついに1947年、彼はドジャースの一員として、背番号42のユニフォームに袖を通し、メジャーのグラウンドに立つ。
しかしそんな彼の前には、数々の差別的待遇や卑劣ないやがらせが当然のように待ち受けていた。
チームメイトさえ味方してくれない過酷な状況の中、リッキーとの約束を守り、歯を食いしばって耐え忍び、プレーに集中するジャッキーだった。
そんな彼の姿にチームメイトやファンは心を動かされ、ジャッキーはやがて野球界を、そして世界を変えていく。
寸評
ある年のメジャーリーグ発表によると、野球を変えた男として1位のベーブ・ルースに次いで、ジャッキー・ロビンソンは第2位に列せられている。 (ちなみに、我が野茂英雄は第30位でそれはそれで大したものだ)
黒人をメジャーリーグに導いた先駆者として尊敬されているのだろう。
彼に敬意をこめてメジャーではジャッキー・ロビンソン・デーという日(4月15日)があって、その日はメジャーの全選手が彼の付けた背番号42のユニホームを着るそうだ。
メジャーもなかなか粋なことをやる。
第二次大戦後だとアメリカにはまだまだ人種差別が残っていたのだろう。
南アメリカのアパルトヘイトのように、白人オンリーとか有色人種専用などという看板があちこちにみられる。
トイレも使わせてもらえず、ホテルの宿泊も拒否されるなど、迫害もかなりのものなのだが、ジャッキーはそんな差別に立ち向かって行く。
メジャーリーグ社会においてもそうなのだが、こと野球においては彼は忍耐強く我慢を重ねる。
それは彼をメジャーに引き上げてくれたオーナーのブランチ・リッキーからの忠告による。
忠告を守り、誹謗中傷に耐えてプレーを続けたジャッキー・ロビンソンも立派だが、オーナーのブランチ・リッキーも大したもので、この男は正義感にあふれ魅力的である。
彼にも嫌がらせが続くが屈することはない。
ジャッキーを受け入れない選手をトレードに出してまでジャッキーを擁護する。
当初は差別的だった監督もオーナーの脅しで平等に扱うようになる。
球団オーナーの権力はすごいものがあると思わせる。
ハリソン・フォードはすごく得な役回りで、見ているうちに彼に聖人的なものを感じてしまう。
野球映画だともっと臨場感に富んだ作品もあったように思うが、実在の人物の伝記映画としてはまとまっていたように思う。
初めての黒人選手として、妨害にもめげずにひたむきにプレーする主人公と、黒人にメジャーへの門戸を開こうとするオーナーの強い意志が、誇張されることなくてきぱきと描かれていく。
それにジャッキーを愛するヒロインがそちらにウェイトが移りすぎない程度に夫婦愛を見せる。
最初は反感を持っていたチームメイトも、やがてはジャッキーを受け入れるようになる。
ヤジを飛ばす相手チームの監督に文句を言いに行ったり、シャワーを一緒にするよう誘ったりといくつものエピソードを積み重ねていく。
その手際に無駄はなく、ある意味ではオーソドックスな運びである。
逆に言えば劇的な盛り上がりを見せるとか、差別に対する暴力的な事件を描くなどドラマとしての見世物的要素は少ないように思う。
真面目な野球映画で、そのスタイルはジャッキー・ロビンソンに通じるものだと感じた。
野球殿堂入りしたチームメイトなどを紹介しながらエンドクレジットに入るラストは、野球ファンには楽しめるものとなっている。
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