佐藤純彌さんが亡くなられました。
ご冥福をお祈りいたします。
男たちの大和/YAMATO 2005年 日本

監督 佐藤純彌
出演 反町隆史 中村獅童 鈴木京香 松山ケンイチ
渡辺大 内野謙太 崎本大海 橋爪遼
山田純大 高岡建治 高知東生 長嶋一茂
蒼井優 高畑淳子 余貴美子 池松壮亮
井川比佐志 勝野洋 本田博太郎 林隆三
寺島しのぶ 奥田瑛二 渡哲也 仲代達矢
ストーリー
2005年4月、鹿児島県枕崎の漁港。老漁師の神尾(仲代達矢)のもとを内田真貴子(鈴木京香)と名乗る女性が訪ね、60年前に沈んだ戦艦大和が眠る場所まで船を出してほしいと懇願する。
彼女が大和の乗組員・内田二兵曹(中村獅童)の娘と知り、神尾は小さな漁船を目的の場所へと走らせる。
神尾もまた大和の乗組員だったのだ。
内田二兵曹の名前を耳にし、神尾の胸裡に60年前の光景が鮮やかに甦ってくる…。
昭和16年12月8日、日本軍の真珠湾奇襲によって始まった太平洋戦争は、はじめ日本軍が優勢であったが、徐々に日本軍は劣勢を強いられ、じりじりと追い詰められていく昭和19年の春、神尾(松山ケンイチ)、伊達(渡辺大)、西(内野謙太)、常田(崎本大海)、児島(橋爪遼)ら特別年少兵をはじめとする新兵たちが、戦艦大和に乗り込んできた。
乗艦した彼らを待ち受けていたのは、厳しい訓練の日々であったが、彼らは烹炊所班長の森脇二主曹(反町隆史)や機銃射手の内田二兵曹に、幾度か危機を救われることがあった。
同年10月、レイテ沖海戦に出撃した大和はアメリカ軍の猛攻を受けた。
大和の乗組員たちも多数死傷し、内田も左目に重傷を負い、大和の任務からも外されることとなった。
昭和20年3月、日本の敗色が日増しに濃くなっていく中、大和の乗組員たちに出撃前の上陸が許される。
全員が、これが最後の上陸になることを覚悟して、それぞれが肉親や恋人と思い思いの時間を過ごす。
翌日、男たちはそれぞれの想いを胸に大和へ戻っていく。
同年4月1日、ついに米軍は沖縄上陸作戦を本格的に開始。
4月5日、草鹿連合艦隊参謀長(林隆三)は、大和の沖縄特攻の命を伊藤第二艦隊司令長官(渡哲也)に下す。
寸評
沖縄水上特攻作戦とは、史上最強かつ最大だった戦艦大和最後の作戦の事だ。
本土たる沖縄を守るために大和の乗組員たちは戦闘機の護衛が無いにもかかわらず、上陸した米軍を艦砲射撃で殲滅するために護衛艦隊と共に出撃した。
しかし、大和は圧倒的戦力の米軍機から猛烈な攻撃を受け、乗員2千数百名と共に東シナ海の藻屑と消えた。
最初から戦果を期待できず、日本海軍の象徴ともいえる大和が撃沈されることを承知の上の作戦だったと聞く。
当然、乗組員たちはその運命を承知していたであろうし、全員死ぬことを覚悟の上の出撃だったと思う。
映画は上層部に焦点を当てず、下士官や少年兵にスポットを当て、彼らはどんな思いでこの作戦に挑んだのか、ひいては、どんな思いで死地に挑んだのかを描いている。
したがってこの無謀な作戦が決行されるに至った経緯は全く描かれていない。
わずかに「天皇が海軍にはもう戦艦がないのかと尋ねられた」との会話があるだけで、これだと天皇陛下が大和に出撃を命じられたような印象を受けてしまう。
若者たちが純粋に国を守り、家族を守り、愛する人たちを守るために、命じられるままに自らの死を覚悟して散っていった悲劇性、馬鹿な作戦に付き合わされた悲劇性は描き切れていなかったように思う。
長嶋一茂の臼淵大尉が、「薩英戦争で薩摩がイギリスに負け、長州も四国艦隊に負けて、進歩ということを悟り倒幕に向かった。この国は一度負けないと目が覚めない。明日の日本のために我々は散っていくのだ」といった内容のようなことを言う。
軍部に騙されたのでもなく、世の中の雰囲気に洗脳されたのでもなく、明確な国家防衛の意識を持って、自ら戦いに挑んだ若者たちの姿が描かれ、その純粋さは否応無しに涙を誘う。
若者たちは本当にそのような思いで死んでいったのだろうか。
軍隊物にある理不尽な制裁シーンがあることにはあるが、おおむね日本軍兵士を、血の通った人間として描いていて、いかつい顔をした中村獅童の内田二等兵曹ですら少年兵にとってはいい上官だ。
彼から暴行を受けた上官ですら、引き換え条件があるものの水に流すと言っているのである。
お決まりと言えば言えなくもないが、兵士と内地の人々との関係は涙を誘う。
神尾と同級生の妙子との交流と別れ、母親が養子に出した常田によせる愛情の証としての弁当、疲弊する農村で暮らす母親へ仕送りを続ける西、呉の芸者・文子が内田によせる思いなど枚挙にいとまがない。
映画の見所は、やはり6億円をかけた大和のセットと戦闘シーンだ。
護衛艦もいたはずだが、圧倒的な敵機に大和一艦が戦っているという描き方だが、肉片が飛び散る戦闘場面は迫力があり、仲間がバッタバッタと倒れても、決して一歩も引かずに戦うその姿は、極限状態に置かれた人間がとる行動を見せていて胸打たれる。
作者の思いが表されているのが池松壮亮演じる敦の登場で、彼は16歳で少年兵と同じ年である。
死と隣り合わせで生き、日本の未来をを思って死んでいった彼等との対比である。
先人の思いを引き継ぐように敦は船長に代わり強い意志を秘めて船を運転する。
彼等の死が無駄死にではなかったことを戦死者に手向けているようでもある。
ご冥福をお祈りいたします。
男たちの大和/YAMATO 2005年 日本

監督 佐藤純彌
出演 反町隆史 中村獅童 鈴木京香 松山ケンイチ
渡辺大 内野謙太 崎本大海 橋爪遼
山田純大 高岡建治 高知東生 長嶋一茂
蒼井優 高畑淳子 余貴美子 池松壮亮
井川比佐志 勝野洋 本田博太郎 林隆三
寺島しのぶ 奥田瑛二 渡哲也 仲代達矢
ストーリー
2005年4月、鹿児島県枕崎の漁港。老漁師の神尾(仲代達矢)のもとを内田真貴子(鈴木京香)と名乗る女性が訪ね、60年前に沈んだ戦艦大和が眠る場所まで船を出してほしいと懇願する。
彼女が大和の乗組員・内田二兵曹(中村獅童)の娘と知り、神尾は小さな漁船を目的の場所へと走らせる。
神尾もまた大和の乗組員だったのだ。
内田二兵曹の名前を耳にし、神尾の胸裡に60年前の光景が鮮やかに甦ってくる…。
昭和16年12月8日、日本軍の真珠湾奇襲によって始まった太平洋戦争は、はじめ日本軍が優勢であったが、徐々に日本軍は劣勢を強いられ、じりじりと追い詰められていく昭和19年の春、神尾(松山ケンイチ)、伊達(渡辺大)、西(内野謙太)、常田(崎本大海)、児島(橋爪遼)ら特別年少兵をはじめとする新兵たちが、戦艦大和に乗り込んできた。
乗艦した彼らを待ち受けていたのは、厳しい訓練の日々であったが、彼らは烹炊所班長の森脇二主曹(反町隆史)や機銃射手の内田二兵曹に、幾度か危機を救われることがあった。
同年10月、レイテ沖海戦に出撃した大和はアメリカ軍の猛攻を受けた。
大和の乗組員たちも多数死傷し、内田も左目に重傷を負い、大和の任務からも外されることとなった。
昭和20年3月、日本の敗色が日増しに濃くなっていく中、大和の乗組員たちに出撃前の上陸が許される。
全員が、これが最後の上陸になることを覚悟して、それぞれが肉親や恋人と思い思いの時間を過ごす。
翌日、男たちはそれぞれの想いを胸に大和へ戻っていく。
同年4月1日、ついに米軍は沖縄上陸作戦を本格的に開始。
4月5日、草鹿連合艦隊参謀長(林隆三)は、大和の沖縄特攻の命を伊藤第二艦隊司令長官(渡哲也)に下す。
寸評
沖縄水上特攻作戦とは、史上最強かつ最大だった戦艦大和最後の作戦の事だ。
本土たる沖縄を守るために大和の乗組員たちは戦闘機の護衛が無いにもかかわらず、上陸した米軍を艦砲射撃で殲滅するために護衛艦隊と共に出撃した。
しかし、大和は圧倒的戦力の米軍機から猛烈な攻撃を受け、乗員2千数百名と共に東シナ海の藻屑と消えた。
最初から戦果を期待できず、日本海軍の象徴ともいえる大和が撃沈されることを承知の上の作戦だったと聞く。
当然、乗組員たちはその運命を承知していたであろうし、全員死ぬことを覚悟の上の出撃だったと思う。
映画は上層部に焦点を当てず、下士官や少年兵にスポットを当て、彼らはどんな思いでこの作戦に挑んだのか、ひいては、どんな思いで死地に挑んだのかを描いている。
したがってこの無謀な作戦が決行されるに至った経緯は全く描かれていない。
わずかに「天皇が海軍にはもう戦艦がないのかと尋ねられた」との会話があるだけで、これだと天皇陛下が大和に出撃を命じられたような印象を受けてしまう。
若者たちが純粋に国を守り、家族を守り、愛する人たちを守るために、命じられるままに自らの死を覚悟して散っていった悲劇性、馬鹿な作戦に付き合わされた悲劇性は描き切れていなかったように思う。
長嶋一茂の臼淵大尉が、「薩英戦争で薩摩がイギリスに負け、長州も四国艦隊に負けて、進歩ということを悟り倒幕に向かった。この国は一度負けないと目が覚めない。明日の日本のために我々は散っていくのだ」といった内容のようなことを言う。
軍部に騙されたのでもなく、世の中の雰囲気に洗脳されたのでもなく、明確な国家防衛の意識を持って、自ら戦いに挑んだ若者たちの姿が描かれ、その純粋さは否応無しに涙を誘う。
若者たちは本当にそのような思いで死んでいったのだろうか。
軍隊物にある理不尽な制裁シーンがあることにはあるが、おおむね日本軍兵士を、血の通った人間として描いていて、いかつい顔をした中村獅童の内田二等兵曹ですら少年兵にとってはいい上官だ。
彼から暴行を受けた上官ですら、引き換え条件があるものの水に流すと言っているのである。
お決まりと言えば言えなくもないが、兵士と内地の人々との関係は涙を誘う。
神尾と同級生の妙子との交流と別れ、母親が養子に出した常田によせる愛情の証としての弁当、疲弊する農村で暮らす母親へ仕送りを続ける西、呉の芸者・文子が内田によせる思いなど枚挙にいとまがない。
映画の見所は、やはり6億円をかけた大和のセットと戦闘シーンだ。
護衛艦もいたはずだが、圧倒的な敵機に大和一艦が戦っているという描き方だが、肉片が飛び散る戦闘場面は迫力があり、仲間がバッタバッタと倒れても、決して一歩も引かずに戦うその姿は、極限状態に置かれた人間がとる行動を見せていて胸打たれる。
作者の思いが表されているのが池松壮亮演じる敦の登場で、彼は16歳で少年兵と同じ年である。
死と隣り合わせで生き、日本の未来をを思って死んでいった彼等との対比である。
先人の思いを引き継ぐように敦は船長に代わり強い意志を秘めて船を運転する。
彼等の死が無駄死にではなかったことを戦死者に手向けているようでもある。
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