「美しい夏キリシマ」 2003年 日本
監督 黒木和雄
出演 柄本佑 小田エリカ 原田芳雄 左時枝 石田えり 香川照之
中島ひろこ 牧瀬里穂 平岩紙 倉貫匡弘 寺島進 山口このみ
ストーリー
舞台は1945年、終戦直前の夏の霧島。
中学三年の日高康夫(柄本佑)は、厳格な祖父・重徳(原田芳雄)と祖母・しげ(左時枝)の元で暮らしている。
15歳の日高康夫は、動員先の工場で空襲に遭い、親友を見殺しにしたという罪の意識から、毎日をうつうつと過ごしていた。
元陸軍参謀だった厳格な祖父は、そんな康夫を非国民とののしるが、大人たちの間にも混乱の空気は広がりつつあった。
戦争も末期を迎え、南九州の霧島地方では、敵機グラマンが田園を横切り悠々と飛んでいく。
そんな中で康夫の叔母の美也子(牧瀬里穂)は、特攻隊の愛人と最後の逢瀬を交わし、小作人のイネ(石田えり)は、村の駐屯兵(香川 照之)と死に物狂いの関係をもつ。
そんなある日、康夫は思い切って、死んだ友の妹・波(山口 このみ)に会いに行く。
一度は追い返された康夫だが、再び許しを乞いに訪れた時、波からある命題をつきつけられる・・・。
寸評
描かれているのは、15歳の少年と、彼を取り巻く人々の戦争中の日常生活である。
戦争末期の不安な世情の中で誰もが必死で生きている。
そんな混乱の空気の中、康夫は少年の持つ純粋さゆえに苦悩している。
冒頭で主人公に灸を据えている男に言わせているように、康夫の心と体がしっくりいっていない思春期の少年の姿を描いている。
何とかという蝶々が少年のふわふわとした心を象徴しているように登場する。
多分、その頃の日本は混乱を起こし始め殺伐たる雰囲気が出ていた時期だと思うのだが、この映画に描かれる地方はのどかな雰囲気を残し、戦争の緊迫感を感じさせずどこか牧歌的である。
沖縄が陥落し、九州地方には連日のように米軍機が飛来するが、工場もなければ対空攻撃の設備もないこの地域を米軍は完全に無視し、康夫が友人と「馬鹿にしている」と語り合うほど上空を編隊を組みながらゆっくりと飛行していくだけなのだ。
それでも戦前の封建的な制度は残っていて、地主と小作人の世界があり日高家とイネの関係が描かれ、周囲のすすめに逆らえず義足の帰還兵(寺島進)のもとに嫁ぐ奉公人のはる(中島ひろこ)などが描かれる。
それが康夫を取り巻く人間関係の中で、康夫に好意を寄せるイネの娘で奉公人のなつとの微妙な感情や、なつの弟・稔(倉貫匡弘)との屈折した関係として巧みに描かれている背景ともなっていて構成が巧みだ。
それに従姉の世津子(平岩紙)などが絡んだりして、色んな関係の人々が登場するけれど、描かれる内容はあくまでも終戦直前の日常なのだ。
戦争映画に付き物の悲惨な殺人もないし、銃撃戦もない。
その日常性は、戦争を知らない僕が母から聞いていた内容とダブル内容で、非情にリアリティを感じた。
大阪空襲は遠目に見ていたらしいが、田園地帯で百姓をしていた生家辺りは爆撃を受ける事はなく、遊び半分の米軍機の低空飛行に震えたことがあったという程度である。
追われて逃げ込んだ部落の端の米田さん宅には防空壕がなくて怖かったと話していた。
戦時中も終戦後も食べ物に困った事などなかったとも話していた。
工場地帯や都会は悲惨だったのかも知れないが、田舎は昔ながらの生活を続けていたのだと思う。
唯一、行軍訓練の兵隊が足を腫らして家の前を通るので、冷たい井戸水を足元に掛けてあげると喜んだなどという話に戦争を感じた記憶がある。
しかし、共に戦時中を生き、そばにいた人を助ける事が出来ず、結果的に見捨てたという自責の念には特別のものが有るのだろう。
その経験がない自分には正確に理解できない感情だが、特攻隊の生き残りとか、この康夫に見られる友を見捨てた気持ちなどは負の遺産として心に深く巣食うのかも知れない。
このモチーフは「父と暮せば」にも受け継がれていて、そちらでは父を見捨てた罪の意識に苦しむ娘の感情が描かれていた。
その気持ちの終焉として竹やりで米軍に突っ込ませたのだと思うし、今まで全く聞かなかった銃声を一発聞いた康夫が気絶するラストは現実の戦争と時代の終末と変化を康夫に認識させ、その後の康夫の変化と立ち直りを僕は感じ、小作人のイネが自分の家を燃やし、稔と意気揚揚と旅立つ姿と合わせて何だかほっとした。
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