おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

舞妓はレディ

2021-11-24 07:50:31 | 映画
「ま」に入りますが、前回は2020/4/6の「麻雀放浪記」からでした。

「舞妓はレディ」 2014年 日本


監督 周防正行
出演 上白石萌音 長谷川博己 富司純子 田畑智子
   草刈民代 渡辺えり 竹中直人 高嶋政宏
   濱田岳 小日向文世 岸部一徳 中村久美
   高橋長英 草村礼子 妻夫木聡 徳井優
   津川雅彦 渡辺大 瀬戸朝香 加瀬亮

ストーリー
京都の歴史ある花街・下八軒(しもはちけん)。
そこでは舞妓がたった一人しかいないという大きな悩みを抱えていた。
今いる舞妓は10年目になる百春(田畑智子)ひとりだけ。
三十路のくせに舞妓などと揶揄される始末だった。
ある日、田舎から出てきた少女・西郷春子(上白石萌音)が老舗のお茶屋・万寿楽に舞妓志願にやって来る。
春子は、女将の小島千春(富司純子)にどうしても舞妓になりたいと懇願するが、どこの馬の骨ともわからない少女を老舗のお茶屋が引き取るはずもない。
千春は、鹿児島弁と津軽弁丸出しの春子を追い返そうとするが、偶然居合わせた言語学者の“センセ”こと京野法嗣(長谷川博己)は、鹿児島弁と津軽弁がミックスされた春子に興味を持つ。
そして、“あの訛りでは舞妓は無理”という老舗呉服屋の社長・北野織吉(岸部一徳)と春子が舞妓になれるか賭けをすることに。
そのおかげで、なんとか万寿楽の仕込み(見習い)になった春子だが、厳しい花街のしきたり、唄や舞踊の稽古、そして何より慣れない言葉遣いに戸惑い、何もかもがうまくいかない。
しかしそんな春子を、花街の厳しいしきたりと芸の稽古、そして何よりも訛りの矯正という過酷な試練が待ち受けていた。
芸妓の豆春(渡辺えり)や里春(草刈民代)、舞妓の百春(田畑智子)たちが心配する中、センセの弟子の大学院生・西野秋平(濱田岳)から「君には舞妓は似合わない」と言われ、ついに春子は声が出なくなってしまう……。


寸評
現在放映中のNHK朝ドラのヒロイン上白石萌音の主演作。
これは紛れもなく日本版「マイ・フェア・レディ」である。
「舞妓はレディ」という題名からして「マイ・フェア・レディ」をもじっているのは明らかだ。
ミュージカル仕立てなのだが、吹き替えなしで出演者に歌わせているので音楽のクオリティは高くはない。
それぞれの出演者の歌唱力は決してあるとは言えないのだが、この人が歌い、あの人も歌いで楽しませる。
これはいいと思わせるナンバーもないし、すごいダンスナンバーがあるわけではない。
それでも、舞妓さんや芸妓さんたちが踊るモダンなダンスは楽しい。
ラストのナンバーだけは耳に残るし、見終った後でハートフルな気持ちにさせてくれる。

冒頭で草刈民代が「緋牡丹博徒」のメロディに乗って現れ、片肌脱ぐと緋牡丹の入れ墨をしているなど、パロディの様な演出が随所にみられる喜劇性も併せ持っている。
富司純子の千春の初恋の相手が映画スターで、その役者名がポスターで映し出され、よく見ると赤木裕一郎となっていて、赤木圭一郎と石原裕次郎をミックスしたようなふざけた名前なのもその一例。
そもそも舞台が下八軒なのもパロディの一環だ。
関西の人なら聞きなれた京都花街の名前ではあるが、京都花街に上七軒はあっても下八軒などはない。
それでも本当にそんな場所があるのかと思わせるセットがなかなか良かった。
オチャラケたコメディなのだが、時々シリアスなドラマになって観客を引き付け、主人公の春子が薩摩弁と津軽弁を話すことになったエピソードもホロリとさせられる。
彼女の髪を結うアップショットの静謐な美しさなど、日本映画らしい良さが感じられてジーンとくるものが有る。
上白石萌音はオーディションで選ばれた新人なだけあって、素人としての初々しさを残していてこの物語にぴったりだ。
名のある子役を使わなくてよかったと思わせる。

僕は祇園界隈を散策したことはあるが、一元さんお断りの花街で遊んだことはない。
したがって、花街遊びの実態は映画やドラマでしか知らないのだが、所々でその風習を解説してくれていて、独特の習わしなどを知るだけでも楽しい。
とくに節分の日の「お化け」の風習を知らなかったし、見たこともなかったので新しい知識となった。
何よりも、日本にもハロウィンがあったのだと分かってうれしくなった。
しかもその背景に格式の様なものを感じて、ちょっと自慢ぽく思えたのである。
出演者がノロノリで、楽しんでやっているラストシーンも「お化け」なんだろうね。

濱田岳の大学院生に舞妓、芸妓を批判する言葉を言わせながら、それでもやはりこれは誇れる京都の文化だと納得させる作りはいい。
普通に生活していると、船場言葉を聞かなくなったのと同様に京ことばも耳にすることは少ない。
観光し下としての京ことばになりつつあるあるような気もするが、それでも京ことばはしたたかな京都人を支える重要な武器になっていると思う。
実に楽しい、京都エンターテイメントであった。

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