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おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

狼よさらば

2024-12-31 07:56:47 | 映画
「狼よさらば」 1974年 アメリカ


監督 マイケル・ウィナー
出演 チャールズ・ブロンソン ホープ・ラング
   ヴィンセント・ガーディニア スティーヴン・キーツ
   ウィリアム・レッドフィールド キャスリーン・トーラン
   スチュアート・マーゴリン スティーヴン・エリオット
  
ストーリー
ポール・カージーは娘キャロルの夫ジャクソンからの電話の声に一瞬身を固くした。
“義母さんとキャロルが入院したと警察から連絡がありました”と言うのだ。
救急病院に駆けつけたポールは、妻のジョアンナが何者かに襲われて殺されたこと、キャロルが暴行されたことを聞かされ、怒りのために身体の震えをとめることができなかった。
彼はブルーリッジ開発の有能な技師で、平凡だが幸わせな生活を何者かの手によって根底から破壊されたのだ。
ポールは仕事に戻り黙々と仕事をする以外、この悲しみを消す術はない。
見るに見かねた社長が、彼にテキサス州ツーソンへの出張を命じ、新しい開発計画について検討する仕事を手配した。
ツーソンでは現地の開発会社のエームズ・ジェインチルが出迎えてくれた。
ここでもポールは自分自身を痛めつけるように働くが、ある夜、エームズは息抜きにと自宅の射撃場へ案内した。銃を手にしながらポールは過去を語った。
父が狩猟家で、鹿と間違われて仲間に射殺されたこと、彼自身は朝鮮戦争に従軍したが良心的参戦者として銃はとらなかったこと・・・。
エームズに銃を贈られニューヨークに帰ってきたポールは、ジャクソンから絶望的な知らせをうけた。
キャロルは事件以来、植物と同じだというのだ。
やり場のない怒りと共に、消そうとしても消せない欲望が湧き上がるのを感じた。
闇に閉ざされたリバーサイド公園で、ポールは自分をうかがっている眼を感じた。
チンピラ風の若者が拳銃を構えて迫ってくる。
“金を出せ、いう通りにしないとぶっ殺すぞ”、ポールの右手はその瞬間、ポケットの拳銃を掴んでいた。
引き金を引いたとき、若者の身体がはじき飛び、ポールは小走りにその場を去ると部屋に駆け込んだ。
翌日、心のわだかまりが吹きとんだような気分を味わった。
彼はその日から、チンピラを殺すために夜の街を彷徨するようになった。
アパートのそばの路地で3人、地下鉄の車内で2人。
マスコミも、この正体不明の殺人者をむしろ歓迎する風で、“私立警察”のニック・ネームが示すようにポールは全米の期待を一身に集める現代のヒーローとなったが、もちろん犯罪は犯罪であり、警察も捜査に本腰を入れた。
特に地下鉄の中に落ちていたマーケットの紙袋は有力な手がかりとなり、加えて第4の犯罪の現場には犯人のものらしい血痕が残されていた。
捜査の指揮をとるのはオコア警部だった。
4つの現場とスーパーに近い地域に住み、家族がチンピラの被害を受け、戦争体験のある男、警部はポールの犯行と断定した。
しかし、1人の市民が自分たちに代ってやりとげていることを罪とはいいきれないから捕える気になれなかった。
やがて第5の犯罪が起き、ポール自身も傷ついた。
彼を尾行した警部は待っていたときが来たことを感じた。
ポールを病院に見舞った警部は現場で拾った1890年型の拳銃を見せながらいった。
“君がどこかの支店に転勤すればこいつを河へ捨てるがね”。
ポールの罪を不問にするには、こうするのが1番いいと思ったからだ。
数週間後、シカゴの空港にポールがついた。
足こそ不自由だったが、その顔にはかつての暗い翳はない。
そして、ニューヨーク市民は今でも“私立警察”が、暗闇からチンピラどもににらみをきかせていると信じている。


寸評
これは妻を殺され、娘を暴行されて植物人間にされた男の復讐物語である。
復讐の標的は犯人だけでなく、街のチンピラたちにも向けられる。
世間は警察に代わってチンピラを始末していく正体不明の殺人者をむしろ歓迎するようになる。
殺人を繰り返す犯罪者をヒーロー扱いしだすのだ。
これにはエームズが語った「都会の奴らは銃を毒蛇のように恐れる。バカげたことだ。ここでは皆が銃を持っているから平和なのだ」という言葉が伏線となっている。
エームズの言葉はライフル協会が喜びそうな内容だし、ポールの行動はアメリカの銃社会を容認しているように思われる。
ポールがニューヨークを去ることになりシカゴの空港に着くと、彼の前にチンピラが現れる。
彼はニヤッとして手形でピストルの恰好をしてチンピラに向ける。
ラストシーンをしては決まっているが、この後を思うと何がどうなるのかとの疑問が湧いてしまう。
彼はシカゴでも同じことをするのだろうか。
彼が居なくなったニューヨークではまたチンピラたちが幅を利かすようになるのだろうか。
被害者の人権が奪われても、加害者の人権が守られることに疑問と憤りを覚える気持ちは僕にもある。
しかし、僕は被害者の仇討をしてやろうとは思わない。
このジレンマに作品は答えているのだろうが、どうもしっくりこない。
作品の失敗は主人公にチャールズ・ブロンソンを持ってきたことだろう。
か弱い市民が復讐の気持ちを持たざるを得ないというには、ブロンソンはたくましすぎるような気がする。


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