goo blog サービス終了のお知らせ 

おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

さらば箱舟

2022-08-03 07:40:11 | 映画
「さらば箱舟」 1982年 日本


監督 寺山修司
出演 山崎努 小川真由美 原田芳雄 三上博史
   新高けい子 高橋洋子 高橋ひとみ
   石橋蓮司 若松武 天本英世 蘭妖子
   小松方正 宮口精二 江幡高志 斎藤正治

ストーリー
老人(宮口精二)と、少年・本家の時任大作(斉藤優一)が村中の柱時計を盗んで穴に埋めている。
数年後、大作(原田芳雄)は本家の主人となっていた。
ある日、いとこ同士である分家の捨吉(山崎努)とスエ(小川真由美)が結婚したが、村にはそうした血統の二人が交じわると犬の顔をした子供が生まれるので、結婚を禁じるというタブーがあった。
娘のことを案じたスエの父は、彼女に蟹の形の貞操帯をつけ性生活を持つことができぬようにしてしまう。
捨吉とスエは、何とかしてそれを外そうと焦るが外れない。
夫婦生活が持てぬことから、村では捨吉が不能だという噂が広まる。
ある朝、闘鶏に集まった皆の前で大作に不能と嘲け笑われた捨吉は、カッとして彼を刺し殺してしまい、スエを連れて村を逃げ出す。
しかし、一晩中さまよい歩いて漸く見つけた空家に泊まった翌朝、二人はそこが同じ我が家であったことに気づき、やがて捨吉は大作の亡霊を見るようになる。
本家に先代の双子の兄弟の娘だというツバナ(新高けい子)が、子供・ダイ(大山レオナ)を連れて住みついた。
ある日、村の空地にある穴にダイが落ち、這いあがってきた時には大人のダイ(若松武)になっていた。
彼はテマリ(高橋洋子)を姦す。
スエが鋳掛屋から買った時計を見つけた村人たちは、時計をこわしにきた。
襲いかかった捨吉は、頭を一撃され死んでしまい、その夜、スエの貞操帯が外れた。
村に、急激に文明の波が入り込んできた・・・。


寸評
問題があって原作者の名前はクレジットされずまったく別の題名となっているが、ガブリエル・ガルシア=マルケスの長編小説「百年の孤独」の映画化ということらしい。
恥ずかしながら僕は「百年の孤独」と言えば、黒木酒造の焼酎を思い浮かべてしまう。
物語がないわけではないが寺山修司の映像詩と思えるほどシュールなシーンがあり色彩が鮮やかである。
山崎努や原田芳雄といった個性的な俳優が重要な役を演じているが、この映画は小川真由美の映画である。
彼女は訳があって貞操帯をはめられている。
その為に歩きづらそうにヨタヨタと歩く姿にまず引き付けられる。
変身したかのような彼女がつぶやき、叫ぶ姿を見ると、この映画は小川真由美の映画だったと確信する。
「誰ももいなくなってしまった・・・何でも望みを叶えてくれるお焼場の煙突のけむりもとまってしまった。お日様が照っているのに、地上は暗い。人間は中途半端な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるんだ。あ、黄色い花だわ!隣の町なんて、どこにもない。神様トンボはうそつきだ。両目を閉じれば、みな消える・・・隣の町なんかどこにもない・・・百年たてば、その意味がわかる!百年たったら帰っておいで! 百年たったら・・・」
そして、スエはらはらと飛び交う黄色い花びらに囲まれて冥土に通じる穴に落ちる。
そう、これはある村の百年の物語なのだ。

マンションや郊外住宅が増えて、ここで描かれたような家の関係は消えつつある。
本家と分家は僕が幼少だった頃の村ではオモヤとインキョと呼ばれていた。
すでに関係は崩れかかっていたが、それでも本家の意向はそれなりの重みを持っていたのである。
ここでの本家は村の支配者である。
それを象徴するのが、村にある唯一の時計を所有して時間を占有していることだ。
村には共同体としての掟があり、それを破れば村八分となってしまう。
またこの村には古くからの言い伝えがあり、村人はその言い伝えを信じている。
近親結婚をした捨吉とスエはその言い伝えのために交わることができない。
次々と男女の交わりのシーンも挿入されるが、彼らは間違いなく感情の赴くままにそこで生きている。
怪奇的なことも描かれていて、冥界と現世を結ぶ穴が存在していて、郵便配達夫があちらの世界とのつながりを受け持っている。
また死んだはずの大作が亡霊となって捨吉の前に現れたりする。
大作は物の名前が分からなくなっており、それぞれに名前を張り付けている。
よく分からないけれど迫ってくるものがある。

原始社会ともいえる村にも文明が押し寄せ、隣の村は発展を遂げていて、人々はそちらに向かう・
まるで地方の人間が都会へ出てくるようになり、田舎は過疎化が進む今の世を見ているようである。
死後の彼らは元の場所に帰って来て写真を撮る。
今の服装をしている彼らは死んだ人間たちだ。
あの土地で生きていた人々は今、死んだ人間として生きているということかな。
僕たちよりもあの原始的な社会の人たちの方が人間として生きていたのかもしれない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。