おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

津軽じょんがら節

2018-11-04 14:38:13 | 映画
江波杏子さんの訃報が届いた。

津軽じょんがら節 (1973) 日本


監督: 斎藤耕一
出演: 江波杏子 織田あきら 中川三穂子
    西村晃  佐藤英夫  寺田農
    戸田春子 東恵美子  富山真沙子

ストーリー
津軽の荒れ果てた漁村に、中里イサ子(江波杏子)がヤクザ風の若い男をつれて帰って来た。
男は岩城徹男(織田あきら)、よその組の幹部を刺したために追われており、イサ子は徹男を匿うためと、出漁中に死んだ父と兄の墓を建てるつもりだったのだ。
海辺の小屋で二人の新しい生活が始まったが、徹男にとっては単調な毎日が、やりきれなかった。
そんな徹男を、盲目の少女・ユキ(中川三穂子)は慕っていた。
やがて生活に行きづまったイサ子は、村の飲屋に働きに出た。
徹男は、ユキの祖母から、盲目の少女はイタコか瞽女になる、という話を聞いた。
イサ子の稼ぎを当てにしている徹男は、村の連中を集めて花札賭博に熱中していた。
父の遭難には保険詐欺の疑いがあるとして保険金の支払いを拒否され、貯金通帳を飲屋の同僚に持ち逃げされるなど、イサ子の不運は続いた。
しかも、次第に自分から離れていく徹男に不安を感じ、徹男と一緒に村を出ようと決心した。
徹男は、ユキを騙して金儲けをしようという、飲屋の主人・金山(佐藤英夫)の話に乗った。
翌日、旅仕度をした徹男は、何も知らないユキを、客のいる飲屋の二階へ連れて行き、イサ子の待つ停留所へ向ったが、その時、徹男は津軽三味線の音を聞いた。
盲目の女旅芸人--瞽女の中にユキを見た。彼は幻想を見たのだ。
身をひるがえした徹男は飲屋へ戻ってユキを救い、そしてこの村に留まる決心をしたのだった。
そんな徹男を見てイサ子は「ふる里が見つかって、よかったわね」と咳くと、一人村を去っていった。
以来、徹男は海に漁に出て働き、ユキの家に帰っては互いに求めあった。
しかし、その幸福な日は長くはつづかなかった・・・。

寸評
津軽三味線の音色に乗って流れる津軽じょんがら節の歌声が津軽の風情を高めていく・
画面を圧倒するのは津軽の海辺に打ち付ける激しい波と風の音だ。
かつては賑わった漁村も今はさびれ、男たちは出稼ぎに行かねばならなくなっていて、時期によっては老人と女と子供だけになって風雪に耐えている村が舞台である。

イサ子はかつて為造(西村晃)のせがれと駆け落ちしたが別れて、新たな男の徹男を連れて帰ってきた。
とても帰れた場所ではないが、徹男がヤクザ組織に追われていることも手伝って、出漁中に死んだ父と兄の墓を建てる為に故郷に戻ってきた。
僕は転居を繰り返したので生まれ故郷とか故郷(ふるさと)と言う感覚が乏しいのだが、人にとってはやはり故郷は特別な存在なのだろう。
父と兄の船は事故に会い二人はそれで死亡しているのだが、どうやら船の保険金詐欺を計画していたらしく保険金は下りないと言う。
それでもイサ子は故郷に二人の墓を建てたいと思い続けている。
徹男は育った境遇から故郷と言える場所を持っていない。
息子を奪われた茂造の元で、皮肉なことに息子を奪った女の男である徹男はシジミ採りの漁を手伝うことになる。
その様子を見たイサ子がつぶやく「故郷が出来てよかったね」は心に響く。

イサ子の着ている真っ赤なコートが厳しい風景の中でまぶしい。
真っ赤なスカートも着ていて、江波杏子の着ている赤い衣装はさびれた村の中にあっては強烈な印象を残す。
事故で死んだ息子の遺骨を抱いて茂造はイサ子とすれ違うが二人の間には会話はない。
いきさつからして当然の無言なのだが、演じた西村晃と江波杏子の表情が素晴らしい。
咎めることをしない老人と、咎められているような気になる女の心情を見事に活写していた。

近親相姦で生まれたと噂される盲目のユキは無垢な少女である。
徹男はこの少女に心の安らぎを覚えていく。
盲目の少女はイタコか瞽女になるのが常らしいのだが、ユキはイタコになるのは嫌で全国を旅する瞽女になりたいと思っている。
イタコ修行に出かけたユキがムチ打たれ、徹男はイタコを突き飛ばしてユキを救う。
心が通った徹男とユキは結ばれるが、釣り具の内職の様なことをしている祖母と母親は、作業の手を休めることなく別室に消える二人を見送るだけだ。
二人の関係を許し、二人が一緒になってくれればいいと思っているようでもある。
ユキはこれで自分たちは夫婦で間違いないのだなと徹男に問いただす。
盲目のユキが前途に希望を見出した瞬間だが、しかし結末は淋しい。
故郷を持てず、あるいは故郷を去り、ユキは徹男の面影だけを抱いて瞽女になるのだろうか。
江波杏子はシリーズ物の主演も務めた女優であるが渾身の一作と言えばこの作品だろう。
この頃の斎藤耕一はいい作品を撮っていた。