王子でも、鍛冶屋でもない (笑) 、オーランド・ブルーム主演作です。
ファーストランの期間は終了してしまいましたが、
来月には、池袋の新文芸坐 で再上映が予定されています。
“ 絵 ” の作り方が、少女マンガみたいなだなぁと思いました。
色彩や光の柔らかさとか、人物の雰囲気とかが、イメージ的に何となく。
― で、実際に観てみたら、
ドリュー ( O・ブルーム ) とクレア ( K・ダンスト )の
やり取りに絡むシークエンスが、ある意味、マンガ的でした。
ちょっと、リアリティーが不足しています ・・
見所満載な、お手製ロードマップだけならまだしも、
一揃いのCDとセットで手渡され、やたらと細かいBGMの指定 をされたり、
ドライブの途中で どんな行動を取るべきかに至るまでを、逐一指示 だなんて、
さすがに、そこまではしたくないし、勿論されたくもない。 私だったら (--;)
旅の終着点でドリューが探し出す、
クレアが残していったメモの隠し場所も、冷静に見てしまうと、
それ、あり得ないから、しかも 2回 も ・・ という感じですし、
その後もいきなり、周囲に赤い帽子の女性が多数出現したり ・・ とか。
この場面で何故、この音楽が必要なのかという背景や、
全体的な色のトーンと、そこで使う差し色との対比など、
C・クロウ監督ならではの、演出に対するこだわりなんだろうなぁ~とは思いつつ、
それが、ストーリー上の自然な流れとして、うまく絡んでいっていないと言うか、
凝りすぎたことで、却って空回りしてしまったような印象がありました。。
『 エリザベスタウン 』 は、3つの要素からストーリーが構成されています。
(1)仕事で取り返しのつかない大失敗をしでかし、解雇され、
自殺を考えるまでに絶望した主人公ドリューが、
生きる気力を再び見出すまでの物語
(2)失意のどん底にあるドリューの元に、
追い打ちをかけるように届いた、父親の急死の報せと、
その父の葬儀を巡って繰り広げられる、様々な人間模様。
(3)亡き父の生まれ故郷へと向かう機内で知りあった、
フライト・アテンダントのクレアとの交流
作品の主軸となるのが(1)で、
(2)と(3)はそれぞれ、ドリューが自分を見つめ直すきっかけとして
彼に関わってくるエピソード ・・ というバランスが、
多分、元々の全体像なのだと思います。
ところが、映画を観ているうちに、
“ 父親の急逝を契機に、これまでの生き方を振り返ることになった青年が、
父の故郷の人々と過ごし、旅路での新たな出会いを通して、
今後の自身の在り方を模索していく物語 ”
という、上記の(2)と(3)とばかりに偏ったストーリーへと、
いつの間にかすり替わってしまったような錯覚に陥ってしまい、
作品本来の出だしであった筈の肝心な(1)が、
結局、どこかへ行ってしまったようなチグハグさが残ります。
だけど、
― ここから先は完全に、ものすごく個人的な事情 にはなりますが ―
ただの < 失敗作 > という言葉では片付けたくないくらいに、
心に残った部分があったのも、確かなんですよね。
父親の遺灰とともに、車で旅をするドリュー。
「 残念だけど、また今度 」 という、
果たされぬままに終わった父との約束を思い、自身の感情を曝け出す場面。
背後に流れる、エルトン・ジョンの “ My Father’s Gun ” と、
風に乗せて父の遺灰を撒くために、走る車からのばされた腕。
このシーンを観ていたら、
5年前に我が家の父が亡くなったときのことを思い出しました。
「 この次でいいか。。と、つい、癖のようにして先送りばかりしていると、
いつか、取り返しがつかないほど、後悔の念にかられる目にあう 」 という、
学生のときに先生から聞いた言葉とあわせて。
この他にも、
故郷とか田舎といった類のものが、
“ 古き、良き、すがた ” でいられるのは、
そこに似つかわしくないと判断される、
“ 異分子的なもの ” を排除しているという一面や、
いまひとつ、
現実味に乏しい印象でしかないに設定にもかかわらず、
“ 成功すること ” と “ 偉業を成し遂げること ” は、
必ずしもイコールではないんだという、職場を追われたドリューの
自分自身に言い訳するかのような胸の内の呟きとか。。
ところどころで、妙にリアルに迫ってくるものが、
この映画にはあるんですよね。
一つ一つの < 点 > としては見所があるのに、
< 一本の線 > としてまとめようとすると、うまく繋がることができない。
そんな、不器用な作品だったと思います。
主演のオーランドとキルスティンの二人は、なかなか良かったです ^ ^
特に、まったく理解・共感できないキャラクター である筈のクレアが、
キルスティンの演技で、どこかしら惹きつけるものを垣間見せるようになっていました。
私の今年No1作品、 『 エターナル・サンシャイン 』 でもそうでしたが、
我々が普段から暮らしているスクリーンの < こちら側 > とは、一見似ていながらも、
何かが決定的に違っている < 虚構的日常 > で繰り広げられる物語において、
ある種のリアルをまとい、観客を引きこむように役を演じるのが彼女は上手い v
*~*~*~*~*~*~*~*~*
ファーストランの期間は終了してしまいましたが、
来月には、池袋の新文芸坐 で再上映が予定されています。
公式サイトをはじめ この作品の画像を | |
いろいろと 目にする度に |
“ 絵 ” の作り方が、少女マンガみたいなだなぁと思いました。
色彩や光の柔らかさとか、人物の雰囲気とかが、イメージ的に何となく。
― で、実際に観てみたら、
ドリュー ( O・ブルーム ) とクレア ( K・ダンスト )の
やり取りに絡むシークエンスが、ある意味、マンガ的でした。
ちょっと、リアリティーが不足しています ・・
見所満載な、お手製ロードマップだけならまだしも、
一揃いのCDとセットで手渡され、やたらと細かいBGMの指定 をされたり、
ドライブの途中で どんな行動を取るべきかに至るまでを、逐一指示 だなんて、
さすがに、そこまではしたくないし、勿論されたくもない。 私だったら (--;)
旅の終着点でドリューが探し出す、
クレアが残していったメモの隠し場所も、冷静に見てしまうと、
それ、あり得ないから、しかも 2回 も ・・ という感じですし、
その後もいきなり、周囲に赤い帽子の女性が多数出現したり ・・ とか。
この場面で何故、この音楽が必要なのかという背景や、
全体的な色のトーンと、そこで使う差し色との対比など、
C・クロウ監督ならではの、演出に対するこだわりなんだろうなぁ~とは思いつつ、
それが、ストーリー上の自然な流れとして、うまく絡んでいっていないと言うか、
凝りすぎたことで、却って空回りしてしまったような印象がありました。。
『 エリザベスタウン 』 は、3つの要素からストーリーが構成されています。
(1)仕事で取り返しのつかない大失敗をしでかし、解雇され、
自殺を考えるまでに絶望した主人公ドリューが、
生きる気力を再び見出すまでの物語
(2)失意のどん底にあるドリューの元に、
追い打ちをかけるように届いた、父親の急死の報せと、
その父の葬儀を巡って繰り広げられる、様々な人間模様。
(3)亡き父の生まれ故郷へと向かう機内で知りあった、
フライト・アテンダントのクレアとの交流
作品の主軸となるのが(1)で、
(2)と(3)はそれぞれ、ドリューが自分を見つめ直すきっかけとして
彼に関わってくるエピソード ・・ というバランスが、
多分、元々の全体像なのだと思います。
ところが、映画を観ているうちに、
“ 父親の急逝を契機に、これまでの生き方を振り返ることになった青年が、
父の故郷の人々と過ごし、旅路での新たな出会いを通して、
今後の自身の在り方を模索していく物語 ”
という、上記の(2)と(3)とばかりに偏ったストーリーへと、
いつの間にかすり替わってしまったような錯覚に陥ってしまい、
作品本来の出だしであった筈の肝心な(1)が、
結局、どこかへ行ってしまったようなチグハグさが残ります。
だけど、
― ここから先は完全に、ものすごく個人的な事情 にはなりますが ―
ただの < 失敗作 > という言葉では片付けたくないくらいに、
心に残った部分があったのも、確かなんですよね。
父親の遺灰とともに、車で旅をするドリュー。
「 残念だけど、また今度 」 という、
果たされぬままに終わった父との約束を思い、自身の感情を曝け出す場面。
背後に流れる、エルトン・ジョンの “ My Father’s Gun ” と、
風に乗せて父の遺灰を撒くために、走る車からのばされた腕。
このシーンを観ていたら、
5年前に我が家の父が亡くなったときのことを思い出しました。
「 この次でいいか。。と、つい、癖のようにして先送りばかりしていると、
いつか、取り返しがつかないほど、後悔の念にかられる目にあう 」 という、
学生のときに先生から聞いた言葉とあわせて。
この他にも、
故郷とか田舎といった類のものが、
“ 古き、良き、すがた ” でいられるのは、
そこに似つかわしくないと判断される、
“ 異分子的なもの ” を排除しているという一面や、
いまひとつ、
現実味に乏しい印象でしかないに設定にもかかわらず、
“ 成功すること ” と “ 偉業を成し遂げること ” は、
必ずしもイコールではないんだという、職場を追われたドリューの
自分自身に言い訳するかのような胸の内の呟きとか。。
ところどころで、妙にリアルに迫ってくるものが、
この映画にはあるんですよね。
一つ一つの < 点 > としては見所があるのに、
< 一本の線 > としてまとめようとすると、うまく繋がることができない。
そんな、不器用な作品だったと思います。
主演のオーランドとキルスティンの二人は、なかなか良かったです ^ ^
特に、まったく理解・共感できないキャラクター である筈のクレアが、
キルスティンの演技で、どこかしら惹きつけるものを垣間見せるようになっていました。
私の今年No1作品、 『 エターナル・サンシャイン 』 でもそうでしたが、
我々が普段から暮らしているスクリーンの < こちら側 > とは、一見似ていながらも、
何かが決定的に違っている < 虚構的日常 > で繰り広げられる物語において、
ある種のリアルをまとい、観客を引きこむように役を演じるのが彼女は上手い v
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映画 『 エリザベスタウン 』 ◇原題:Elizabethtown ◇関連サイト:公式サイト ( 日本版 ・ US版 ) IMDb ( 関連ページ ) ◇鑑賞日:2005.12.2. 映画館にて |