◇清涼殿◇ 紫宸殿の北西にあり、 建物は東に面しています。 平安時代には、 天皇の常の御座所でした。 |
見学時は初夏を思わせる陽気だったため、
清涼殿正面に配された北側の「呉竹」(写真・中央)と、
南側の「漢竹」(写真では建物の陰になってしまいました;)が、
御簾の縁取りの色とあいまって、とても涼しげな感じでした。
『源氏物語』の【紅葉賀】巻、朱雀院行幸に先だって催された試楽の折に、
源氏の君が頭中将とともに「青海波」を舞ったのは清涼殿の東庭だそうです。
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◇昼の御座◇ 日中の御休息に 使われた御帳台と、 御座用の厚畳です。 高欄越しに撮影したので、 ちょっと見えにくいですね。 |
清涼殿は母屋の南側と東廂が、天皇が日中を過ごす「昼の御座」になります。
『源氏物語』の【桐壺】巻、源氏の君の元服は清涼殿の東廂にて行なわれました。
( 平安の頃の清涼殿内部は、こんな感じです ↓ )
母屋北側の塗籠は「夜の御殿」にあてられ、
その東側には、夜居の僧が伺候する「二間」(仏間)がありました。
『源氏物語』の【薄曇】巻、冷泉帝に出生の秘密を奏上したのは、
母后・藤壺の御世から祈祷を勤めてきた夜居の僧都でした。
「夜の御殿」「二間」の北側にある、「弘徽殿上御局」と「藤壺上御局」は、
中宮・女御・更衣などの控えの間となります。
清涼殿の西廂には、北側より
「御湯殿の上」 … 御湯殿に奉仕する女房の詰所
「御手水の間」 … 天皇が顔を洗い、調髪する場所
「朝餉の間」 … 天皇に朝餉(女房陪膳でとる略式の食事)が供される場所
「台盤所」 … 食物が盛られた盤をのせる台を置いたり、女房が控える詰所
「鬼の間」 … 御厨子や御膳の具を置く場所
がありました。
また、殿上人の詰所である「殿上の間」は、清涼殿の南廂にあたります。
◇昆明池の障子◇
写真の右手に写っているのが、弘廂(孫廂)の北側に立てられている「昆明池の障子」です。
清涼殿の障子といえば。。。『枕草子』に書かれていた「荒海の障子」も
見てみたいです(^^) 現存していて、どこかで見られるのでしょうか?