末つ森でひとやすみ

映画や音楽、読書メモを中心とした備忘録です。のんびり、マイペースに書いていこうと思います。

ブレードランナー「ファイナル・カット」&「2049」

2017-12-28 08:51:22 | 映画のはなし
年内にupしたいレビュー、第2弾。
ようやく見に行けた「ブレードランナー」、新旧2作品です。


  ブレードランナー ファイナル・カット / 原題: Blade Runner: The Final Cut

  オリジナルの「ブレードランナー」が日本公開されたのは1982年ですが、
  当時の私はまだ子どもで、もちろん見てはおりません。
  その後、大人になり、映画をそこそこ見るようになってからも、
  「ブレードランナー」はバージョンが多すぎて、どれを見たら良いのかピンと来ず、
  私はきっと、この先も、この作品を見ることはないのだろうな ・・ と思っていたのですが、
  続編が作られ、その公開に合わせて "ファイナル・カット" が映画館にかかったことで、
  "とりあえず、このバージョンを見ておけばOKなのね?" と受け止めることにし、
  この度、無事、初鑑賞へと至りました~。

  やはり、まずは何と言っても、そのビジュアル!
  当初制作された35年以上も前に、物語るべき世界観の "絵" をここまで構築したのかと、
  レトロだけれど、近未来的でもあるそのイメージは、いま見ても凄いと思います。
  舞台となる「2019年」は、現在からすれば、たった "再来年" だけ先のことで、
  地続きな世界として想像可能な箇所と、乖離し過ぎな箇所とが混在しているのが面白いなぁ。
  そして、鑑賞後も余韻を残す、"生きる" という、重く普遍的なドラマ。
  ルトガー・ハウアー演じるロイ・バッティの最期の姿は、忘れられません。

  鑑賞日は12/21(木)。 目黒シネマ で、12/16(土)~22(金)まで特集上映されていた、
  「 ワーナー・ブラザース シネマヒットメドレー 」のプログラムで見ました。
  続編「2049」の公開中に映画館にかけてくれた目黒シネマさん、ありがとうございました♪



  ブレードランナー 2049 / 原題: Blade Runner 2049

  「ファイナル・カット」を見た翌日に、続編「2049」の公式サイトにて、
  2作品のあいだに流れる "30年間" に何があったのかを知るための、短編3本をチェックし、
  (「2022:ブラックアウト」「2036:ネクサス・ドーン」「2048:ノーウェア・トゥ・ラン」)
  12/23(土)に、「ブレードランナー 2049」を映画館へ見に行きました。
  前作を見てから2日しか経っていないので(笑)、30年後の世界も、すんなりと入り込んでの鑑賞です。

  "生きることへの尊厳" とは ・・ という思いが、本編を見ながら過ぎりました。
  リアルだろうが、フェイクだろうが、今そこに "生きている" 事実があり、
  その象徴として、デッカードとレイチェルの奇跡があった訳だから。
  前作では、支配 "する側" と "される側" 、人間とレプリカントのシンプルな対立構造だったけれども、
  30年後は更に、リアルである筈の人間の側にも、神に成り代わらんとする人物が現れて世を牛耳り、
  フェイクと言われるレプリカントたちは、実体が無いホログラフィーの存在を見下していて、
  未来は一層、排斥的なやるせなさに満ちた、終末感漂う世界でありました。

  しかし、30年後の時代も(作中的にも、現実の世界から見ても)、
  決着をつけるクライマックスの戦いは、肉弾戦なのですね。。

  ライアン・ゴズリングの出演作鑑賞は、実は、今回が初でした。
  ロビン・ライト、デイヴ・バウティスタ、バーカッド・アブディ、マッケンジー・デイヴィスなど、
  脇にいても光る役者さんたちが、いい味を出しています。
  そして、"折り紙"のガフを前作と同じく、エドワード・J・オルモスが演じたというのも良いです。