There is no murder in paradise.
舞台は1953年、スターリン政権下にあるソビエト連邦。
9歳から14歳の子どもたちの変死体が、相次いで見つかるも、
「殺人は資本主義社会が生み出した病気」であり、理想国家ソ連には存在しえないという、
強制的な国家理念の偽りにより、すべては事故として処理。
国家保安省(MGB)のエリート捜査官レオ・デミドフは、自身が追われる立場と
なりながらも、連続殺人事件として危険な捜査に着手します。
映画サイト等で紹介されていた「あらすじ」は、大体こんな感じでしょうか。
そして、原作は2009年版「このミステリーがすごい」海外編第1位に輝いた、
Tom Rob Smith 著「チャイルド44(上)(下)」という煽り文句!
出演陣も何気に豪華で、特に、トム・ハーディー、ゲイリー・オールドマンの共演と、
時代背景的な面から、「 裏切りのサーカス 」みたいだったら良いな、と
結構期待しつつ、一方で、期待し過ぎは禁物だからと自制しつつ、鑑賞しました。
感想を一言で表すならば、「もったいない作品」といったところ。
子どもを狙った猟奇殺人の謎を追う要素と、独裁政権下で生きるしかない恐ろしさと、
この二つがストーリーを牽引する両輪である筈なのに、編集バランスが良くないのか、
残念ながら、どちらも何だかボヤけてしまっておりました。
前者については、きっと、宣伝からの推測とのギャップも影響しているように思います。
後者は、独裁体制を支える恐怖政治 や 密告社会の過酷さ を描いた既存の名作
(リンク先は、あくまでも一例として)と、つい比較して見てしまうためでしょう。
不用意な演出なのか、普段はそれほど気に留めない点でも、引っ掛かりを覚えました。
例えば、妙なロシア語風(?)訛りでの英語の台詞まわし。
舞台となっている国や地域と、映画で使われている台詞の言語とが違っても、
あまり神経質にはならない方ですが、今回はさすがに、ロシア語で喋らないなら
何故、潔く、ふつうの英語にしない? と首を傾げたくなるほどでした。
また、ライーサの闘いっぷりには、やはり、どこかで訓練されたスパイなのでは?
とツッコミを入れたくなり、シリアス系作品で、これはないかな ・・ と。
あまり入り込めなかったのも、物語の輪郭を曖昧に感じた原因かもしれません。
ただし、集中できなかった一因は私の方にもあり、現時点で原作は未読ですが、
映画冒頭、プロローグ的に挿入された "ホロドモール" や "赤軍のベルリン制圧" を見て、
スターリンが政権を掌握していた期間と、主要な出来事をさらっておくのを忘れたな
―― と、妙なところが気になってしまったのです。
結論から言うと、さらっておいた方が、おそらく、
ラストでの、レオの処遇に対する理解度の深さが違ったでしょう。
なお、原作既読者によれば、映画の犯人は、原作とは設定が異なる(!)そうで
(原作だと、"ホロドモール" がもっと重要な意味を持つのだとか)
映画版に限れば、スターリン時代をさらわずとも、さほど支障は無いようです。
映画だけを見た場合、レオが自身を窮地に追い込んでしまうターニング・ポイントには、
必ず "子ども" が絡んでおり、その都度、エリート捜査官としてではない、
一人の人間であるレオ・デミドフの素顔が見え、"孤児" というバックグラウンドを
示すために、あのプロローグが必要だった、という作りになっていたのかな?
ちなみに、原作「チャイルド44」には続編があり、「グラーグ57(上)(下)」
「エージェント6(上)(下)」で、"The Child 44 Trilogy" なのだそう。
続編も、国家体制に翻弄されながら、事件に巻き込まれ、
家族との絆を問われながら、過酷な状況下を生き抜く構成のようです。
映画よりも、寧ろ、TVドラマ向けのシリーズなのかもしれません。
*~*~*~*~*~*~*~*~*
映画 『チャイルド44 森に消えた子供たち』
◇原題:Child 44
◇関連サイト:公式サイト ( 日本版 )、IMDb ( 関連ページ )
◇鑑賞日:2015.7.17. 映画館にて
舞台は1953年、スターリン政権下にあるソビエト連邦。
9歳から14歳の子どもたちの変死体が、相次いで見つかるも、
「殺人は資本主義社会が生み出した病気」であり、理想国家ソ連には存在しえないという、
強制的な国家理念の偽りにより、すべては事故として処理。
国家保安省(MGB)のエリート捜査官レオ・デミドフは、自身が追われる立場と
なりながらも、連続殺人事件として危険な捜査に着手します。
映画サイト等で紹介されていた「あらすじ」は、大体こんな感じでしょうか。
そして、原作は2009年版「このミステリーがすごい」海外編第1位に輝いた、
Tom Rob Smith 著「チャイルド44(上)(下)」という煽り文句!
出演陣も何気に豪華で、特に、トム・ハーディー、ゲイリー・オールドマンの共演と、
時代背景的な面から、「 裏切りのサーカス 」みたいだったら良いな、と
結構期待しつつ、一方で、期待し過ぎは禁物だからと自制しつつ、鑑賞しました。
感想を一言で表すならば、「もったいない作品」といったところ。
子どもを狙った猟奇殺人の謎を追う要素と、独裁政権下で生きるしかない恐ろしさと、
この二つがストーリーを牽引する両輪である筈なのに、編集バランスが良くないのか、
残念ながら、どちらも何だかボヤけてしまっておりました。
前者については、きっと、宣伝からの推測とのギャップも影響しているように思います。
後者は、独裁体制を支える恐怖政治 や 密告社会の過酷さ を描いた既存の名作
(リンク先は、あくまでも一例として)と、つい比較して見てしまうためでしょう。
不用意な演出なのか、普段はそれほど気に留めない点でも、引っ掛かりを覚えました。
例えば、妙なロシア語風(?)訛りでの英語の台詞まわし。
舞台となっている国や地域と、映画で使われている台詞の言語とが違っても、
あまり神経質にはならない方ですが、今回はさすがに、ロシア語で喋らないなら
何故、潔く、ふつうの英語にしない? と首を傾げたくなるほどでした。
また、ライーサの闘いっぷりには、やはり、どこかで訓練されたスパイなのでは?
とツッコミを入れたくなり、シリアス系作品で、これはないかな ・・ と。
あまり入り込めなかったのも、物語の輪郭を曖昧に感じた原因かもしれません。
ただし、集中できなかった一因は私の方にもあり、現時点で原作は未読ですが、
映画冒頭、プロローグ的に挿入された "ホロドモール" や "赤軍のベルリン制圧" を見て、
スターリンが政権を掌握していた期間と、主要な出来事をさらっておくのを忘れたな
―― と、妙なところが気になってしまったのです。
結論から言うと、さらっておいた方が、おそらく、
ラストでの、レオの処遇に対する理解度の深さが違ったでしょう。
なお、原作既読者によれば、映画の犯人は、原作とは設定が異なる(!)そうで
(原作だと、"ホロドモール" がもっと重要な意味を持つのだとか)
映画版に限れば、スターリン時代をさらわずとも、さほど支障は無いようです。
映画だけを見た場合、レオが自身を窮地に追い込んでしまうターニング・ポイントには、
必ず "子ども" が絡んでおり、その都度、エリート捜査官としてではない、
一人の人間であるレオ・デミドフの素顔が見え、"孤児" というバックグラウンドを
示すために、あのプロローグが必要だった、という作りになっていたのかな?
ちなみに、原作「チャイルド44」には続編があり、「グラーグ57(上)(下)」
「エージェント6(上)(下)」で、"The Child 44 Trilogy" なのだそう。
続編も、国家体制に翻弄されながら、事件に巻き込まれ、
家族との絆を問われながら、過酷な状況下を生き抜く構成のようです。
映画よりも、寧ろ、TVドラマ向けのシリーズなのかもしれません。
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映画 『チャイルド44 森に消えた子供たち』
◇原題:Child 44
◇関連サイト:公式サイト ( 日本版 )、IMDb ( 関連ページ )
◇鑑賞日:2015.7.17. 映画館にて