小池知事が「アウフヘーベン」という言葉を多用しているという。たとえ
ば、「築地と豊洲の市場移転問題、この問題を総合的に判断するためには、
アウフヘーベンが必要です」と宣ったとか。???
では、この言葉はそもそもどんな意味の言葉なのだろうか。この言葉はヘー
ゲル哲学に由来するが、Wikipedia によれば、ドイツ語のaufheben には
「廃棄する・否定する」という意味と、「保存する・高める」という二様の
意味があり、ヘーゲルはこの意味を込めて彼の哲学の核心である「弁証法的
発展」を説明した。つまり、「古いものが否定されて新しいものが現れる際、
古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のう
ち積極的な要素が新しく高い段階として保持される」のが弁証的発展だとい
うことである。一言でいうなら、「排除ではなく、包容」が、弁証法の特徴
である止揚(アウフヘーベン)のキモだということになる。
さて、「排除ではなく」という文句で気になるのは、このところの新党騒動
である。というのも、小池知事は「希望の党」を立ち上げ、民進党との「合
流」を企図するにあたって、民進党左派を「排除」し、非情にもこれをばっ
さりと切り捨てたからである。これは「アウフヘーベン」の精神に悖(もと)
るふるまいだと言わなければならない。
このことで思い出されるのが、往時の自民党の姿である。すこし前までの自
民党は、タカ派からハト派までをかかえ、その間で喧々諤々の議論を戦わせ
て、活況を呈していた。いつの頃からか、「排除の論理」がはたらき始め、
「1強独裁」の独善主義政党になってしまった。それが現在の安倍自民党に
ほかならない。来る衆院選では、その是非が問われることになる。
「昔は良かった」と懐古趣味にひたりたいわけではない。私が言いたいのは、
弁証法とは真逆の「排除の論理」を振りかざす点で、小池知事は独裁者の安
倍首相となんら変わるところがない、ということである。「アウフヘーベン」
という言葉をかかげながら、「排除の論理」を振りかざす。羊頭狗肉もいい加
減にして欲しい、と思う天邪鬼爺の昨今である。
ば、「築地と豊洲の市場移転問題、この問題を総合的に判断するためには、
アウフヘーベンが必要です」と宣ったとか。???
では、この言葉はそもそもどんな意味の言葉なのだろうか。この言葉はヘー
ゲル哲学に由来するが、Wikipedia によれば、ドイツ語のaufheben には
「廃棄する・否定する」という意味と、「保存する・高める」という二様の
意味があり、ヘーゲルはこの意味を込めて彼の哲学の核心である「弁証法的
発展」を説明した。つまり、「古いものが否定されて新しいものが現れる際、
古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のう
ち積極的な要素が新しく高い段階として保持される」のが弁証的発展だとい
うことである。一言でいうなら、「排除ではなく、包容」が、弁証法の特徴
である止揚(アウフヘーベン)のキモだということになる。
さて、「排除ではなく」という文句で気になるのは、このところの新党騒動
である。というのも、小池知事は「希望の党」を立ち上げ、民進党との「合
流」を企図するにあたって、民進党左派を「排除」し、非情にもこれをばっ
さりと切り捨てたからである。これは「アウフヘーベン」の精神に悖(もと)
るふるまいだと言わなければならない。
このことで思い出されるのが、往時の自民党の姿である。すこし前までの自
民党は、タカ派からハト派までをかかえ、その間で喧々諤々の議論を戦わせ
て、活況を呈していた。いつの頃からか、「排除の論理」がはたらき始め、
「1強独裁」の独善主義政党になってしまった。それが現在の安倍自民党に
ほかならない。来る衆院選では、その是非が問われることになる。
「昔は良かった」と懐古趣味にひたりたいわけではない。私が言いたいのは、
弁証法とは真逆の「排除の論理」を振りかざす点で、小池知事は独裁者の安
倍首相となんら変わるところがない、ということである。「アウフヘーベン」
という言葉をかかげながら、「排除の論理」を振りかざす。羊頭狗肉もいい加
減にして欲しい、と思う天邪鬼爺の昨今である。