ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

アウフヘーベンか、排除の論理か

2017-10-03 11:17:52 | 日記
小池知事が「アウフヘーベン」という言葉を多用しているという。たとえ
ば、「築地と豊洲の市場移転問題、この問題を総合的に判断するためには、
アウフヘーベンが必要です」と宣ったとか。???

では、この言葉はそもそもどんな意味の言葉なのだろうか。この言葉はヘー
ゲル哲学に由来するが、Wikipedia によれば、ドイツ語のaufheben には
「廃棄する・否定する」という意味と、「保存する・高める」という二様の
意味があり、ヘーゲルはこの意味を込めて彼の哲学の核心である「弁証法的
発展」を説明した。つまり、「古いものが否定されて新しいものが現れる際、
古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のう
ち積極的な要素が新しく高い段階として保持される」のが弁証的発展だとい
うことである。一言でいうなら、「排除ではなく、包容」が、弁証法の特徴
である止揚(アウフヘーベン)のキモだということになる。

さて、「排除ではなく」という文句で気になるのは、このところの新党騒動
である。というのも、小池知事は「希望の党」を立ち上げ、民進党との「合
流」を企図するにあたって、民進党左派を「排除」し、非情にもこれをばっ
さりと切り捨てたからである。これは「アウフヘーベン」の精神に悖(もと)
るふるまいだと言わなければならない。

このことで思い出されるのが、往時の自民党の姿である。すこし前までの自
民党は、タカ派からハト派までをかかえ、その間で喧々諤々の議論を戦わせ
て、活況を呈していた。いつの頃からか、「排除の論理」がはたらき始め、
「1強独裁」の独善主義政党になってしまった。それが現在の安倍自民党に
ほかならない。来る衆院選では、その是非が問われることになる。

「昔は良かった」と懐古趣味にひたりたいわけではない。私が言いたいのは、
弁証法とは真逆の「排除の論理」を振りかざす点で、小池知事は独裁者の安
倍首相となんら変わるところがない、ということである。「アウフヘーベン」
という言葉をかかげながら、「排除の論理」を振りかざす。羊頭狗肉もいい加
減にして欲しい、と思う天邪鬼爺の昨今である。
コメント
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