おはようございます!
いやー、今日はすっかりお寝坊さんで、起きたら明るかったです(笑)。
まあ、まだ、5時半過ぎですが、超朝進行の僕にしては、ゆっくりさんですねー。
というわけで、論考シリーズも、ゆっくりさんになりそうです。
危うし、お昼間カフェ!(笑)。
さて、木曜日の村上論考ですが、司馬さんの論考とは、また、全然違いますからね。
こう、読み味を楽しむ作品をこうやって、分解、整理するというのは、なんか、こう、
まるで、夏休みの終りに急いで読書感想文をまとめているような感じになります。
僕は本を読むのが好きですが、なんだろう、読んだら読みっぱなしのところがあって、
読み味ばかりを楽しんでいたような気がします。
だから、こういう感情で楽しむ本を論考しても、もちろん、その楽しさというのは、
伝わるものじゃないですよね。それは、やっぱり、読んでみないと味わえないもので、
それは、よーくわかっているつもりですが、でも、やっぱり、そのからくりは、知りたいわけです(笑)。
そのからくりを知るために、論考しているわけです。はい。
さて、青豆さんのストーリーというわけで、ここは、肉食女性向けのお話なわけですけれど、
まず、彼女の食生活が語られます。野菜料理が中心で、魚介類、白身の魚、ちょっと鶏肉を食べるあたり
なんですね。まあ、カロリーの計算なぞ、忘れて、正しいもの(正しいもの!)を選んで適量を食べるという感覚さえつかめれば
数字なんて気にしないでいいんだって。
このあたりは、村上さんの食生活が反映されているんでしょうね。村上さんのエッセイで何度も語られた野菜中心、魚ちょっと、鶏肉たまに。
やはり、太る生活はいろいろな問題を生みますからね。などと言いながら、ステーキが食べたくなったら、食べちゃえ!ということで、
「身体がなんらかの理由でそのような食品を求め、信号を送っているのだ」
という経験からの知識を披露しているわけです。
そして、お酒は過度の飲酒を控えることで、週に三日は、アルコールを飲まない日をつくっているそうで、うーん、これは、耳が痛いですねー。
そして、なにより、青豆さんの身体には贅肉がないそうで、それでも、問題点はある・・・というまあ、多くの女性の悩みと同じものを持っているの、
ということで、女性の共感を得ようとしているんですね。
「乳房は大きさが足りないし、おまけに左右非対称だ。陰毛は行進する歩兵部隊に踏みつけられた草むらみたいな生え方をしている」
「彼女は自分の体を見るたびに顔をしかめないわけにはいかなかった」
まあ、この表現、誰でも、ありますよね。自分のカラダを見て喜んでいるのは一部の成功したボディビルダーとナルシストぐらいじゃないでしょうかねー。
青豆さんは、つつましい生活を送っているんですね。それは、子供の頃にまず、禁欲と節制が頭の中に叩き込まれたからだそうで、そうあの
天吾くんの見た「証人会」の少女が、青豆さんですから、「証人会」的生活を少女の頃からしていたわけです。着たい服もきれず、
友達もおらず、ただただ、「証人会」的生活があるだけの少女の生活。それは、
「彼女は両親を憎み、両親が属している世界とその思想を深く憎んだ。彼女が求めているのは、ほかのみんなと同じ普通の生活だった」
という感情を彼女に引っ張ったわけですね。
しかし、大人になった青豆さんは、自分が最も落ち着けるのは禁欲的な節制した生活を送っている時だと、わかっちゃうわけです。
誰でも、慣れ親しんだ世界が、いいんですね。その世界で、落ち着く習慣がついてしまったということです。
「人が自由になるというのは、いったいどういうことなのだろう、彼女はよく自問した。たとえひとつの檻からうまく抜け出すことが出来たとしても」
「そこもまた別のもっと大きな檻の中でしかないということなのだろうか」
と、青豆さんが自問するそうですが、これ、根源的な問いですよね。こういう根源的な問いを提出することによって、
実は、
「自由と思っているものは、実は、単なる大きな檻の中にいることなのです」
と主張しているということなんですね。でもさー、地球規模の檻だったら、檻として、まあまあじゃない?(笑)。
青豆さんが、指定された男を別の世界へ移動させると、麻布の老婦人から、報酬が届けられるそうです。これ、ちょっと梅安さんみたいなんだよね。
そして、現金は、銀行の貸し金庫に放りこんでおけば、いろいろな心配がないことも教えてくれるわけです。ま、そんな大金もらう宛ないけどね(笑)。
そして、それについて、青豆さんは、お金のやりとりはしたくないと老婦人に主張するわけです。それについて、老婦人は、こんこんと説くわけです。
「あなたは間違いなく正しいことをしました。しかしそれは無償の行為であってはなりません。何故か、わかりますか?」
「何故ならあなたは天使でもなく、神様でもないからです。あなたの行動が純粋な気持ちから出たことはよくわかっています。だからお金なんて」
「もらいたくないという心情も理解できます。しかし、混じりけのない純粋な気持ちというのは、それはそれで危険なものです。生身の人間がそんなもの」
「抱えて生きていくのは、並大抵のことではありません。ですからあなたはその気持ちを気球に碇をつけるみたいにしっかりと地面につなぎとめておく必要があります」
と老婦人はいい、最後に、
「その気持ちが純粋であれば何をしてもいいということにはなりません。わかりますか」
と、言うわけです。
この章の題名が、
「気球に碇をつけるみたいにしっかりと」
であることを考えれば、この物言いに、本章のテーマ的なものが主張されていると見てもいいのではないでしょうか。
そこで、気がつくのが、この老婦人の最後のセリフ、
「気持ちが純粋であれば、何をしてもいいということにはなりません」
これ、誰に対して言っていると思います?
これ、どう考えたって、オーム信者でしょう。
あのオームの事件の後は、雨後のタケノコのように、幾多のオーム研究関連の書物が出ましたが、その中に、村上氏の本もありました。多くのオーム信者、そして、
被害者側へのインタビューがその本の中に、びっしりと入っていた。そのとき、村上氏は、
「これは自分がやらなければ」
という思いで、あの本を書いたのだと思います。それを突き動かした思いは何か。何が彼の感情を動かし行動に出させたのか。
それは、前章の天吾くんを思い出せばわかるはずです。天吾くんは、村上氏の若い頃の姿そのものだ。
だから、天吾くんが、物語の世界に可能性を見つけ、その世界に希望を見つけたから、こそ、小説家になったことが表されている。その天吾くん=村上氏が、
なぜ、オーム信者や被害者のインタビューに望んだか、考え合わせれば、それは、「物語の崩壊」をそこに見たからですよ。
可能性を信じていた物語世界の、崩壊が、そこにあった。オーム教の暴発と崩壊が、そこにはあった。それは、人々に幸福をと思い、小説を書いていた
天吾くん=村上氏のこころを撃った。だから、彼は動き、その世界を見つめ、そこにどのような物語があったのかを、全力で採取し、言葉にしたんです。
そして、そこで、村上氏の中にできあがった物語が、こうやって、1Q84の世界に現れてきているのです。
そして、彼は、改めて、あの時の、オーム信者に言うんです。
「気持ちが純粋であれば、何をしてもいいということにはなりません」
と。そして、
「気球に碇をつけるみたいにしっかりと、地について歩け」
と言っているんです。当時のオーム信者の多くの言動が、どこか夢物語の中を歩いているかのように感じていたのは僕だけじゃないでしょう。そしてそれを村上氏も
感じていた。だから、こういうシンボリックな言葉を題名にした章をつくり、そこで、自分なりの言葉を吐いているんです。
ここが、この章のメインといったら、あとは、デザートということになります。あゆみから電話がかかってきて、青山にある、おしゃれなフランス料理店への
デートへ行く約束がなされます。そして、都会的で洗練された空間での、思い切りおしゃれした、あゆみと青豆のデート風景が思い切り語られます。
女性はこういうシーンにあこがれるんじゃありませんか。シェフとは顔なじみで青豆さんと仕事でつながっていて、安く高いものを求めることができる。
お酒も、内容的にはいいものを、安い値段で回してもらえる。いいものを安く。これは、女性の大好きなことですから、そこらへんしっかりマーケティング
してあるわけです。そして、あゆみが言うわけです。
「いつも注文したあとで、「ああ、ハンバーグじゃなくて、えびコロッケにしておけばよかった」とか、後悔するの」
これ、誰にでもありますよね。そうです、そうやって、共感を得ているんですねー。
そして、いつしか、青豆さんは、このあゆみさんに気を許していくんですね。言えるだけの自分のことを、あゆみに話していくわけです。
そして、いつしか、青豆さんは、自分の大事な秘密をばらしてしまうわけです。恋人をつくったこともないことや、26歳まで処女だったことも。
そして、大切な告白が。
「好きになったひとは、一人だけいる。十歳のときにその人が好きになって、手を握った」
ここね。あきらかにしゃべり方が違うんですよ、いつもとは。そう、これは、十歳のときのあの少女のしゃべり、なんです。
青豆さんは、天吾くんの手を握った、あの瞬間に戻って、しゃべったんですね。この時だけ。
そして、これが、愛の告白なんですよ。やはり、あの天吾くんの手を握ったのは、愛の告白だったんです。
つながったんですね。
そして、青豆さんは、自分からは、天吾くんを探すことはないと決めています。運命の邂逅を待っていると。
そして、他の男達とセックスするのは、ただ、通りすぎていくだけのものだから、あとには、何も残らない、としているんですね。
これは、どういうタイプの恋愛なんでしょう。純愛というものでも、ないような気がします。
先程、純粋ならなにやってもいいってことじゃない、と老婦人に言われていた青豆さんですが、このひとには、純粋要素が多量に見つかるわけですよ。
というより、元「証人会」信者の家族で、そういう信者的生活に慣れ親しんでいるばかりか、その宗教の要素が、青豆さんのこころに入り込んでいる。
つまり、青豆さんは、宗教の信者的要素の提出係、ということも、ここに来て言えるわけです。
つまり、この1Q84とは、若き村上春樹である天吾くんと、宗教信者要素提出係である青豆さんの遠大なるラブストーリーとも言えるわけです。
うーん、なんだか、すごいことになってきましたねー。
そして、天吾くんを好きな青豆さんにあゆみさんがいろいろ聞くわけですが、青豆さんは最後にこう言うわけです。
「一人でもいいから、心から誰かを愛することが出来れば、人生には救いがある。たとえそのひとと一緒になることができなくても」
非常に純粋です。というより、危ない感じもしますね。純粋ゆえの強さと同時にある危うさ。
純粋であるということは、大きなエネルギーを持っている気がします。この純粋さが、何かの拍子に壊れたら・・・そのエネルギーは、どこにいくのだろうと、
思うわけです。まあ、これから、青豆さんが、どうなっていくのか、見ていくということで、これも、読者に先を読ませる施策なんですね。
これに対して、あゆみさんは、よくある男話・・・好きになった男は、二股かけるような最低の男だけど、いっしょにいる時に大事にしてくれるから、
よかったのよ・・・的な話を青豆にして、読者の共感を得ているわけです。まあ、あゆみさんは、読者の代表なわけですね。ここでは。
そして、最初に出てきた檻の話に、似た話が、また、提示されます。
「メニューにせよ、男にせよ、他の何にせよ、私たちは自分で選んでいるような気になっているけど、実は何も選んでいないのかもしれない。それは最初から」
「あらかじめ決まっていることで、ただ選んでいるふりをしているだけかもしれない。自由意志なんてただの思いこみかもしれない」
まあ、これもよく言われることですけど、運命的選択論というやつです。このあたりは、よく映画のテーマになったりしますが、
結局、自分のやっていることなんて・・・と言わせて、ちょっと自虐がはいっていますね。
これは、誰かに、そんなことないよって、言わせたいわけですからね。
まあ、そんなこと、こうやって、わざわざ悲観論的に規定する必要はありませんからね。
「あら、そうかもしれないわ。今度、隣の奥さんに言ってみようかしら。頭がよく思われるかも」
なんて、女性に思わせるための施策でも、あったりするわけですけどね(笑)。
そして、バーに移動して、ひとしきり、女性のエロ話があって、いつものように、女性向けエロ要素提出です。
まあ、女性も男性も、エロ要素が、好きですからね。それは、ここで、終わらず、あゆみさんが、青豆さんの家に泊まる・・・そして同じベッドに寝るあたりまで、
続いて、あゆみさんが寝入って終了です。まあ、エロ要素を説明しても仕方ありませんからね。
そして、久しぶりの1Q84要素提出が訪れます。青豆さんが、ベランダに出て、空を見上げると、月が二つになっている・・・きっと天吾くんが
細かく書き直したんでしょう・・・ということで、現実と空気さなぎの世界がつながったところで、本章はおしまいです。
この章ではっきりしたのは、青豆さんは、宗教信者的純粋性というのを提出する要素だったということですね。
クールでワイルドな殺し屋であるのも、純粋さによる、欺瞞的正義行動なんですよね。
純粋性と欺瞞との間・・・これが、青豆さんストーリーで語られる青豆的行為の帰結なんでしょうか。
少なくとも、宗教的純粋性の危険さを存分に語ろうとしているように見えます。それが、村上さんが一連の仕事の結果、自分の中で、達した結論であるとすれば、
本書を読み進めば、それが提示されるということになります。
オーム信者によって、我々が感じた宗教的欺瞞性・・・それが、この本の裏のテーマになっているんですね。
つまり、オーム信者が犯した殺人と、青豆さんの犯している殺人は、同種のものである可能性が非常に高いんです。
理由付けさえしてしまえば、他人を説得できる自分なりの正義・・・それは宗教的信者も同じ・・・があれば人を殺しても正当化されるという考え。
その欺瞞性を、村上氏は、本書で、提示しようとしている、そんな感じを受けましたね。
なにか、一気に、霧が、晴れてきたような気がします。
まあ、エロ要素提出は、いつもと同じですが、本質のところ、純粋さと欺瞞の問題が、メインターゲットのように見えてきて、非常におもしろかった
本章になりました。それが、今回の結論かな。
今日も長くなりました。
ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
また、次回、お会いしましょう!
ではでは。
いやー、今日はすっかりお寝坊さんで、起きたら明るかったです(笑)。
まあ、まだ、5時半過ぎですが、超朝進行の僕にしては、ゆっくりさんですねー。
というわけで、論考シリーズも、ゆっくりさんになりそうです。
危うし、お昼間カフェ!(笑)。
さて、木曜日の村上論考ですが、司馬さんの論考とは、また、全然違いますからね。
こう、読み味を楽しむ作品をこうやって、分解、整理するというのは、なんか、こう、
まるで、夏休みの終りに急いで読書感想文をまとめているような感じになります。
僕は本を読むのが好きですが、なんだろう、読んだら読みっぱなしのところがあって、
読み味ばかりを楽しんでいたような気がします。
だから、こういう感情で楽しむ本を論考しても、もちろん、その楽しさというのは、
伝わるものじゃないですよね。それは、やっぱり、読んでみないと味わえないもので、
それは、よーくわかっているつもりですが、でも、やっぱり、そのからくりは、知りたいわけです(笑)。
そのからくりを知るために、論考しているわけです。はい。
さて、青豆さんのストーリーというわけで、ここは、肉食女性向けのお話なわけですけれど、
まず、彼女の食生活が語られます。野菜料理が中心で、魚介類、白身の魚、ちょっと鶏肉を食べるあたり
なんですね。まあ、カロリーの計算なぞ、忘れて、正しいもの(正しいもの!)を選んで適量を食べるという感覚さえつかめれば
数字なんて気にしないでいいんだって。
このあたりは、村上さんの食生活が反映されているんでしょうね。村上さんのエッセイで何度も語られた野菜中心、魚ちょっと、鶏肉たまに。
やはり、太る生活はいろいろな問題を生みますからね。などと言いながら、ステーキが食べたくなったら、食べちゃえ!ということで、
「身体がなんらかの理由でそのような食品を求め、信号を送っているのだ」
という経験からの知識を披露しているわけです。
そして、お酒は過度の飲酒を控えることで、週に三日は、アルコールを飲まない日をつくっているそうで、うーん、これは、耳が痛いですねー。
そして、なにより、青豆さんの身体には贅肉がないそうで、それでも、問題点はある・・・というまあ、多くの女性の悩みと同じものを持っているの、
ということで、女性の共感を得ようとしているんですね。
「乳房は大きさが足りないし、おまけに左右非対称だ。陰毛は行進する歩兵部隊に踏みつけられた草むらみたいな生え方をしている」
「彼女は自分の体を見るたびに顔をしかめないわけにはいかなかった」
まあ、この表現、誰でも、ありますよね。自分のカラダを見て喜んでいるのは一部の成功したボディビルダーとナルシストぐらいじゃないでしょうかねー。
青豆さんは、つつましい生活を送っているんですね。それは、子供の頃にまず、禁欲と節制が頭の中に叩き込まれたからだそうで、そうあの
天吾くんの見た「証人会」の少女が、青豆さんですから、「証人会」的生活を少女の頃からしていたわけです。着たい服もきれず、
友達もおらず、ただただ、「証人会」的生活があるだけの少女の生活。それは、
「彼女は両親を憎み、両親が属している世界とその思想を深く憎んだ。彼女が求めているのは、ほかのみんなと同じ普通の生活だった」
という感情を彼女に引っ張ったわけですね。
しかし、大人になった青豆さんは、自分が最も落ち着けるのは禁欲的な節制した生活を送っている時だと、わかっちゃうわけです。
誰でも、慣れ親しんだ世界が、いいんですね。その世界で、落ち着く習慣がついてしまったということです。
「人が自由になるというのは、いったいどういうことなのだろう、彼女はよく自問した。たとえひとつの檻からうまく抜け出すことが出来たとしても」
「そこもまた別のもっと大きな檻の中でしかないということなのだろうか」
と、青豆さんが自問するそうですが、これ、根源的な問いですよね。こういう根源的な問いを提出することによって、
実は、
「自由と思っているものは、実は、単なる大きな檻の中にいることなのです」
と主張しているということなんですね。でもさー、地球規模の檻だったら、檻として、まあまあじゃない?(笑)。
青豆さんが、指定された男を別の世界へ移動させると、麻布の老婦人から、報酬が届けられるそうです。これ、ちょっと梅安さんみたいなんだよね。
そして、現金は、銀行の貸し金庫に放りこんでおけば、いろいろな心配がないことも教えてくれるわけです。ま、そんな大金もらう宛ないけどね(笑)。
そして、それについて、青豆さんは、お金のやりとりはしたくないと老婦人に主張するわけです。それについて、老婦人は、こんこんと説くわけです。
「あなたは間違いなく正しいことをしました。しかしそれは無償の行為であってはなりません。何故か、わかりますか?」
「何故ならあなたは天使でもなく、神様でもないからです。あなたの行動が純粋な気持ちから出たことはよくわかっています。だからお金なんて」
「もらいたくないという心情も理解できます。しかし、混じりけのない純粋な気持ちというのは、それはそれで危険なものです。生身の人間がそんなもの」
「抱えて生きていくのは、並大抵のことではありません。ですからあなたはその気持ちを気球に碇をつけるみたいにしっかりと地面につなぎとめておく必要があります」
と老婦人はいい、最後に、
「その気持ちが純粋であれば何をしてもいいということにはなりません。わかりますか」
と、言うわけです。
この章の題名が、
「気球に碇をつけるみたいにしっかりと」
であることを考えれば、この物言いに、本章のテーマ的なものが主張されていると見てもいいのではないでしょうか。
そこで、気がつくのが、この老婦人の最後のセリフ、
「気持ちが純粋であれば、何をしてもいいということにはなりません」
これ、誰に対して言っていると思います?
これ、どう考えたって、オーム信者でしょう。
あのオームの事件の後は、雨後のタケノコのように、幾多のオーム研究関連の書物が出ましたが、その中に、村上氏の本もありました。多くのオーム信者、そして、
被害者側へのインタビューがその本の中に、びっしりと入っていた。そのとき、村上氏は、
「これは自分がやらなければ」
という思いで、あの本を書いたのだと思います。それを突き動かした思いは何か。何が彼の感情を動かし行動に出させたのか。
それは、前章の天吾くんを思い出せばわかるはずです。天吾くんは、村上氏の若い頃の姿そのものだ。
だから、天吾くんが、物語の世界に可能性を見つけ、その世界に希望を見つけたから、こそ、小説家になったことが表されている。その天吾くん=村上氏が、
なぜ、オーム信者や被害者のインタビューに望んだか、考え合わせれば、それは、「物語の崩壊」をそこに見たからですよ。
可能性を信じていた物語世界の、崩壊が、そこにあった。オーム教の暴発と崩壊が、そこにはあった。それは、人々に幸福をと思い、小説を書いていた
天吾くん=村上氏のこころを撃った。だから、彼は動き、その世界を見つめ、そこにどのような物語があったのかを、全力で採取し、言葉にしたんです。
そして、そこで、村上氏の中にできあがった物語が、こうやって、1Q84の世界に現れてきているのです。
そして、彼は、改めて、あの時の、オーム信者に言うんです。
「気持ちが純粋であれば、何をしてもいいということにはなりません」
と。そして、
「気球に碇をつけるみたいにしっかりと、地について歩け」
と言っているんです。当時のオーム信者の多くの言動が、どこか夢物語の中を歩いているかのように感じていたのは僕だけじゃないでしょう。そしてそれを村上氏も
感じていた。だから、こういうシンボリックな言葉を題名にした章をつくり、そこで、自分なりの言葉を吐いているんです。
ここが、この章のメインといったら、あとは、デザートということになります。あゆみから電話がかかってきて、青山にある、おしゃれなフランス料理店への
デートへ行く約束がなされます。そして、都会的で洗練された空間での、思い切りおしゃれした、あゆみと青豆のデート風景が思い切り語られます。
女性はこういうシーンにあこがれるんじゃありませんか。シェフとは顔なじみで青豆さんと仕事でつながっていて、安く高いものを求めることができる。
お酒も、内容的にはいいものを、安い値段で回してもらえる。いいものを安く。これは、女性の大好きなことですから、そこらへんしっかりマーケティング
してあるわけです。そして、あゆみが言うわけです。
「いつも注文したあとで、「ああ、ハンバーグじゃなくて、えびコロッケにしておけばよかった」とか、後悔するの」
これ、誰にでもありますよね。そうです、そうやって、共感を得ているんですねー。
そして、いつしか、青豆さんは、このあゆみさんに気を許していくんですね。言えるだけの自分のことを、あゆみに話していくわけです。
そして、いつしか、青豆さんは、自分の大事な秘密をばらしてしまうわけです。恋人をつくったこともないことや、26歳まで処女だったことも。
そして、大切な告白が。
「好きになったひとは、一人だけいる。十歳のときにその人が好きになって、手を握った」
ここね。あきらかにしゃべり方が違うんですよ、いつもとは。そう、これは、十歳のときのあの少女のしゃべり、なんです。
青豆さんは、天吾くんの手を握った、あの瞬間に戻って、しゃべったんですね。この時だけ。
そして、これが、愛の告白なんですよ。やはり、あの天吾くんの手を握ったのは、愛の告白だったんです。
つながったんですね。
そして、青豆さんは、自分からは、天吾くんを探すことはないと決めています。運命の邂逅を待っていると。
そして、他の男達とセックスするのは、ただ、通りすぎていくだけのものだから、あとには、何も残らない、としているんですね。
これは、どういうタイプの恋愛なんでしょう。純愛というものでも、ないような気がします。
先程、純粋ならなにやってもいいってことじゃない、と老婦人に言われていた青豆さんですが、このひとには、純粋要素が多量に見つかるわけですよ。
というより、元「証人会」信者の家族で、そういう信者的生活に慣れ親しんでいるばかりか、その宗教の要素が、青豆さんのこころに入り込んでいる。
つまり、青豆さんは、宗教の信者的要素の提出係、ということも、ここに来て言えるわけです。
つまり、この1Q84とは、若き村上春樹である天吾くんと、宗教信者要素提出係である青豆さんの遠大なるラブストーリーとも言えるわけです。
うーん、なんだか、すごいことになってきましたねー。
そして、天吾くんを好きな青豆さんにあゆみさんがいろいろ聞くわけですが、青豆さんは最後にこう言うわけです。
「一人でもいいから、心から誰かを愛することが出来れば、人生には救いがある。たとえそのひとと一緒になることができなくても」
非常に純粋です。というより、危ない感じもしますね。純粋ゆえの強さと同時にある危うさ。
純粋であるということは、大きなエネルギーを持っている気がします。この純粋さが、何かの拍子に壊れたら・・・そのエネルギーは、どこにいくのだろうと、
思うわけです。まあ、これから、青豆さんが、どうなっていくのか、見ていくということで、これも、読者に先を読ませる施策なんですね。
これに対して、あゆみさんは、よくある男話・・・好きになった男は、二股かけるような最低の男だけど、いっしょにいる時に大事にしてくれるから、
よかったのよ・・・的な話を青豆にして、読者の共感を得ているわけです。まあ、あゆみさんは、読者の代表なわけですね。ここでは。
そして、最初に出てきた檻の話に、似た話が、また、提示されます。
「メニューにせよ、男にせよ、他の何にせよ、私たちは自分で選んでいるような気になっているけど、実は何も選んでいないのかもしれない。それは最初から」
「あらかじめ決まっていることで、ただ選んでいるふりをしているだけかもしれない。自由意志なんてただの思いこみかもしれない」
まあ、これもよく言われることですけど、運命的選択論というやつです。このあたりは、よく映画のテーマになったりしますが、
結局、自分のやっていることなんて・・・と言わせて、ちょっと自虐がはいっていますね。
これは、誰かに、そんなことないよって、言わせたいわけですからね。
まあ、そんなこと、こうやって、わざわざ悲観論的に規定する必要はありませんからね。
「あら、そうかもしれないわ。今度、隣の奥さんに言ってみようかしら。頭がよく思われるかも」
なんて、女性に思わせるための施策でも、あったりするわけですけどね(笑)。
そして、バーに移動して、ひとしきり、女性のエロ話があって、いつものように、女性向けエロ要素提出です。
まあ、女性も男性も、エロ要素が、好きですからね。それは、ここで、終わらず、あゆみさんが、青豆さんの家に泊まる・・・そして同じベッドに寝るあたりまで、
続いて、あゆみさんが寝入って終了です。まあ、エロ要素を説明しても仕方ありませんからね。
そして、久しぶりの1Q84要素提出が訪れます。青豆さんが、ベランダに出て、空を見上げると、月が二つになっている・・・きっと天吾くんが
細かく書き直したんでしょう・・・ということで、現実と空気さなぎの世界がつながったところで、本章はおしまいです。
この章ではっきりしたのは、青豆さんは、宗教信者的純粋性というのを提出する要素だったということですね。
クールでワイルドな殺し屋であるのも、純粋さによる、欺瞞的正義行動なんですよね。
純粋性と欺瞞との間・・・これが、青豆さんストーリーで語られる青豆的行為の帰結なんでしょうか。
少なくとも、宗教的純粋性の危険さを存分に語ろうとしているように見えます。それが、村上さんが一連の仕事の結果、自分の中で、達した結論であるとすれば、
本書を読み進めば、それが提示されるということになります。
オーム信者によって、我々が感じた宗教的欺瞞性・・・それが、この本の裏のテーマになっているんですね。
つまり、オーム信者が犯した殺人と、青豆さんの犯している殺人は、同種のものである可能性が非常に高いんです。
理由付けさえしてしまえば、他人を説得できる自分なりの正義・・・それは宗教的信者も同じ・・・があれば人を殺しても正当化されるという考え。
その欺瞞性を、村上氏は、本書で、提示しようとしている、そんな感じを受けましたね。
なにか、一気に、霧が、晴れてきたような気がします。
まあ、エロ要素提出は、いつもと同じですが、本質のところ、純粋さと欺瞞の問題が、メインターゲットのように見えてきて、非常におもしろかった
本章になりました。それが、今回の結論かな。
今日も長くなりました。
ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
また、次回、お会いしましょう!
ではでは。