ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

んー、先生は大事だ。

2018年02月27日 01時16分35秒 | 雑感
こんばんはー。何だか、まさかの車酔いみたいな気分で夜を迎えてる藤井です。どこかのセンサーが壊れたのでしょうか??(〃ω〃)ま、明日には治るでしょう。

ところで、


先生は大事だってのね。

指導内容はそりゃーそうだろうけど、今日書きたいのはそこというよりは、人として挨拶ができるか、とかそういうこと。


私は正直得意じゃないから、逃げて回ってた部分だけど、学校なんかにレッスンに行くと、そこがどんな学校かって、トイレに行くと分かったりするんだけど、それと似た意味で先生を見ても分かるような気がするのねー。


例えば、約束の時間に行っても部屋が真っ暗で、しばらく誰も来なかったり、そのあと特に挨拶ないとか、終わってからも気がついたら先生が消えてるとかだと、やっぱりちょっと、生徒のしつけとかもどうかなぁ?ってなるなぁ。

今、定年前後の先生なんかだと、「まあ!先生、ありがとございます!!」って、始めか終わりにお茶出してくれて、そこでいろんな今の状況とか今後の話とかしたりして、そうすることで、お互いに自分に何ができるか考えたりできて、その信頼感が生徒にも伝わるから、子どものキラキラ感も変わってきて、結果的にウィンウィンの関係になれたりして、とてもいいんだよね。

別にお茶を出してほしいって話じゃないの。お茶ならきょうびペットボトル持ってきゃー済むことだから。

そうじゃなくて、そこで腰を落ち着けて話す時間が5分でもあるかってとこね。

そういう中で、今日は会議なので1時間よろしく!と丸投げされたとしても、オッケー任せとけってなるけど、

そもそも意思の疎通がまだ取れてないのに、ちゃんとした挨拶できなかったりすると、「それじゃあ、あとよろしくお願いします」って言われても、ちょっとした不信感を振り払ってから気持ちを入れ替えて、、という分のエネルギーが無駄ってのか、それに習う方も「この人ナニモノ??」ってなったりするしね!

それでも、ようやく私も気をしっかり持つことが少しできて来たから、そんな時でもそれなりに子どもの興味を引きつけたまま行けるように頑張れるようなメンタルになって来た(と思う)けどねー。


何だろう?やっぱり、生徒に良いレッスンをするのが一番大事なわけだけど、良いレッスンになるかどうかは、生徒にも掛かってるわけで、生徒が素晴らしい反応や吸収力を持っていれば、同じ時間内に化学反応的に物凄く良いレッスンになることもあるし、どんなに準備して行っても、まるっきり吸い込む余地がない、心が整ってないような状態の生徒たちなら、まずそれを収集するのに時間かかるから、そのあとどこまで進めるかは、時間次第になるよね。

良い状態でレッスン受けようと思ったら、それなりに子どもにも準備がいる。特に大事なのは、このチャンスに聞こうとかやろうとか頑張ろうと思う姿勢。集中できる力。
一朝一夕にはできないよね。

そういうのを教える、そういう姿勢を育てるのは、先生なり親なり、普段そばにいる大人の態度だと思う。

ここは聞くところだ!とか、それはダメだ!とか、習う時の心がけとか、何が大事で今何をしてるのかとか、そういうのをどれだけ示せるかだ。

それを先生自身が分かってなければ、当然判断できない。そしたら生徒に伝えられない。


私たちみたいな外部講師が来た時、生徒をベビーシッターに預けるような感じで、ハイあとはよろしく!みたいなことじゃ勿体ない。

音楽の先生とはいえ、きっと違う視点の楽器専門の人間から盗めることはたくさんあるはずだ。
チャーンス!!
今日もいっぱい盗ませていただきますよーって思えば、そういう態度で迎えるだろうし、生徒にもそういう風に紹介する。そしたら、生徒もチャーンスなのね!!という思いからスタートできる。

こう見えて、こっちもそれぞれの先生方がどうな風にやってるか、何かヒントはないか、常に狙ってますよん!

だから早めに行くことも、終わってからお話しすることも、途中先生に仕切ってもらうことも、すべてそうやってるのか!とか、なるほど!と見てるので、厭いませんよん。

少しでも良いレッスンとか授業ができた方が良いからね。

だから、先生の方が心を開いてない?!と、なんかどーなのよ?って調子狂っちゃうんだね。


それに、先生の質と生徒のキラキラは比例してることが多い。

生徒がキラキラしてるところの先生は、ホントにいろんな心配り目配りしてる。子どものためになると思うなら、細かいところまで苦労を厭わない。そんなことまでしてあげるのか、、、ってことも。

玄関までのお迎えやお見送り、下手したら駅までの送迎、お茶やお菓子、、、そういうちょいとした面倒をしてでも、「ウチの奴らをどうかよろしくお願いします!!」という気持ちなんだよね。

そんなことされたら、そりゃー外部講師は意気に感じで、「もちろんだ!!任せとけ!!」となりますよね。

先生がそんな態度で講師に接してれば、生徒は当然それ見てるから、「おお!!私たちのためにそんな先生を呼んでくれてるのか!!頑張らねば!!」となりますな。

そーなりゃー、両方スイッチオン!!

きっと、先生にとっては、それこそが一番望んでることなわけで、そのためなら全然苦じゃないんだろうね。いや、苦かもしれないけど、それでもそれ以上の価値があると思うからやれるんだよね。



今、一般に「礼儀」っていう言い方で括られちゃってるこういう風な人に対する態度って、もうあんまり教えてくれる人がいないよね。
別にお金払ってんだからいいじゃない?みたいなのが世の中の主流になっちゃってるし、もう今の若い世代の人(若くはないが私たちの前後がその境目かも)は、もう学生の時点でそういうの習ってないからね。
私もそういう意味では全然ダメだね。

でも、反対の立場から見ると、挨拶くらいはちゃんとできないともはや人としてダメだな、と思うよ。慣れてないと勇気がいるし、もっと言うと、こう言うことができるかできないかって、自己肯定感が高いか低いかなんだよね。


自己肯定感が高ければ、挨拶をして受け入れられないかも、、、なんて言う不安はないから、挨拶できるし、自分から相手に何かをしてあげることはきっと喜びだ。

でも自己肯定感が低いと、自分ごときが挨拶なんかして、受け入れられなかったらどうしよう、、、という自分目線の不安からスタートするから、一回足が竦むね。
すべてが自分なんて、、って言う気持ちから始まっちゃうから、あまり人と目も合わせたくないし、子ども一人ひとりと向き合うとか無理。


この自己肯定感ってのは、実際に出来が良いとか悪いとか、そう言うのは関係ないの。
ダメな私でも愛されてる、等身大でも親の愛に疑いなく育った人は高い。
良い子でいないと嫌われちゃう、捨てられるかもしれない、どうせダメだ、、、などと思って、親の愛を疑うような状態で育った人は低くなりがち。



んー、つーとさ。昔の人(昔とか言うなー!!)の方が自己肯定感高かったってことだよね。多分。


これ、連鎖しやすい。


だから、先生としてはもしかしたらまずは外付け後付けでも、ちゃんと挨拶できるような訓練した方が良いのかもね。そこで爽やかに心から挨拶していれば、あらま?!案外世の中受け入れてくれるのねと思えてきて、後付けでも自己肯定感アップ!!

そしたら、生徒にも良い連鎖起こせるかも!!

だとすると、、、


もうひと世代上の人間が、ちゃんとしなさいってそれを教えてあげないといかんね。もはやそこで胆力のある人間が少なくなってるんだよねー。

まあ、ホント今はなんかちょっと言うと、すぐ折れるし、すぐ逆ギレされちゃうし、、、面倒な世の中になったもんだよ(て、お前何歳だ??)

ホント、私も頑張らなきゃ!!

気功でもして胆力アップして、立派な人間になれるように頑張ります。ハイ。

それではみなさん、また明日ー!!
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