こんばんはー!!
新潟での3日間を終えて、今日は桐生にいましたよー(^▽^)/
昨日は2時(AMね)に帰って来たからって、疲れてるはずだ!!いっぱい寝るべきだ!!と何となく思考が申しておりまして、ちょっといっぱい目に寝ました。
とはいっても、東京にいた頃に比べたら断然早起き!
で、洗濯機を回し、朝ご飯を作って食べて、、、
ダンナは届いたパーツを使って、車のドアロックを一生懸命直してました。そんなの、自分で出来るのねー、、、すげーわ。
そんなのを見ながら、頭の中で、練習したいなーとか、運動しなきゃなーとか、山に行きたいとか、IWBCのこともしなきゃだし、同声会のこともやらにゃーいかんしー、、、とかなんかいろいろ駆け巡る・・・
前にも書いたかもだけど、
何かしなくてはいけないことがあると、その合間にいろいろやりたいことを詰め込んでいけるタイプならいいんだけど、やらなくちゃいけないことに支障が出てはいけない!!って脳みそがストップをかけるタイプで、でもやらなきゃいけないことがやりたくない場合に、結局やりたいこともストップかけたのにやらなきゃなこともあんまり進まず終わってなくて、なんだかソワソワしただけだった・・・ってことが良くあってね。
それも何気にストレスなんだよね😅
で、ふと気が付いた!
そうだ!!山に行こう!行けばいいんだー!!!
一番すぐやれることからやっちゃえー!
ってなわけで、さっさと山に行くスタイルに着替えて、ダンナにも行くか聞いたけどお家でのんびりするって言うんで、ひとりフィアット君に乗り込んでー、ブーン!!
あっと言う間に荒神山の駐車場に到着!
13:33山登りスタート!
いつもよりのんびり目に空気を味わいながら登りましたー。
で、展望台で写真撮りまくると結構時間食うから、サクッと帰ろう・・・と思ったけど、、、
結局、めっちゃ写真撮っちまったwww
いったいどうなってんだ???と我ながら笑えるw
シコタマ写真を撮り、切り株に座ってボーっとして、また写真を撮って、、、
気が付いたら14時15分とかだったから、慌てて下山!
駐車場に戻って来たのが14:33だったよ。
ちょうど1時間で帰って来れる山って最高じゃない??
帰ってから、小腹が空いたのでひとりでおむすびを作って、ベランダでのんびり食べて、、、
それからちょっとパソコン作業して、練習ー!!
いろいろ考えた結果、息をしっかり管いっぱいに入れてみたら、、、なんかいい気がする。。。
息を入れるか入れないか問題って、なかなかさー、、、
きっとどっちでも良いんだと思うのね。どっちでも良いってのは、そのときに身体が「どっち」と感じてるかだけで、実は同じことが起きてるって思うから。
息を入れるって場合も、息が気柱としてバッチリ入って、どこかしら「平衡」状態になった感じがするくらいにしっかりと吹き込むってことが大事なんだと思うのね。これが「平衡状態」まで行ってなくて、シューっと管に持って行かれてる感じだとしたら、これは「もっと息を入れる」必要があるってこと。
もっと入れたことで、楽器の中の空気と「平衡状態」になって、何かしら身体と楽器とで「気柱」が出来た感じがしたら、もしかしたら息を入れてる感じがしても、そんなアホみたいに空気は出て行ってないと思う。
息を入れないって場合は、身体の圧力がしっかり掛かってて、身体の方である種の「平衡状態」になっていて、何かしら風船とかビーチボールとかが良い感じでハリがあるような状態で、それで楽器が共鳴するような感覚になってれば良いんだと思うんだ。
でも、じゃあ本当に空気出てないのか?って言ったら、絶対出てると思うわけよ!
だから、上手く行ってる場合にはどっちから行っても同じ結果なんだろうな・・・と思う。どっちと思った方が上手く行くかは、その人の感覚とか身体とか、あるいはその時の体調やなんかも関係するのかもしれない。
そんなことかなーと気が付いた今日でした。
そうそう、こんなに書いた後に今日のテーマですよw
先日見たショートムービーでね、
ある村から来た若者が、村の入り口にいた老人に「この村はどんな村ですか?」と尋ねた。
老人は「あなたの村はどんな村でしたか?」って尋ねた。
すると若者は「裏切りやウソがたくさんある村だった」と言った。
老人が「この村も同じようなもんだよ」と言った。
しばらくして若者が戻ってきて「あなたの言う通り、裏切りやウソがたくさんの村だった」と言った。
また別の若者がやってきて、老人に「この村はどんな村ですか?」と尋ねた。
老人が同じように聞き返したら若者は「人々がとても優しくて素晴らしい村でした」と答えたので、老人は「同じようなモノだよ」と返した。
しばらくして戻って来た若者は「あなたの言う通り、この村はとっても素晴らしい村でした」と答えた。
同じ村にやって来た2人の若者がそれぞれ全然違う感想を持ったって話なんだけど、
その人が何を見てるかで、まったく同じモノでも全く逆に感じるって言うね。
ん??ホントにそんなんで合ってたかな・・・😅
ショートムービーを探してみたぜw
これだ!
このムービーのタイトルは「出会いたい人に会うための法則」だったわ(笑)これだ!
相手の良いところを見つけることが出来れば、それが鏡となって自分の周りにそういう人が集まってくるってことなのかな!
もっと言えば、自分が何をどう見て、どういう言葉を発してるかが、現実に対して作用するってことにもなる気がした。
例えばなんか褒められたとするでしょ?
それを「わー、ありがとうございます💖」って素直に受け取ることもできるし、
「いえいえ、そんなことはないです」と恐縮して否定したりすることもできるじゃん?
素直に受け取って、何ならついでに相手の良いところも言うことが出来たら、お互いにハッピーになる。
恐縮して「いえいえ、、」と言えば、相手はせっかく褒めたのになーとちょっとつまらなくもなるだろうし、自分は相手の言葉を受け取れないってことはさ、自分自身の褒められる部分も受け入れられないというか否定しているというか、、、そしたら自分って自分から信頼されてないのね、、、という気持ちが暗に湧いてきてしまうってこと起きるじゃん?「評価に値しない自分」ってのを設定してしまう、、、的な。
それを毎日毎日繰り返してたら、もともとの「褒められる」ってことの内容が真実であろうとなかろうと、大きな差になって行く感じがしてきて!!
そもそも何を基準に「真実」なんてモノがあるんだ??
それだって、自分の「思考」によって、勝手に基準だと信じてるだけで、別に本当に真実かどうかは、他人になれない以上、決してわかりゃしない。
分からないのなら、もう分からないんだから、その中でいかにハッピーに生きるかってことが大切なのであって、別に真実かどうかとか関係ないんじゃないか???
って、急に思えてきてさー。
ついつい気が付かないで、こういう「差」が付くような思考や受け答えをしてるんじゃないか?!
それが癖になってて、気が付かないってのは、毎日毎日だとスゴイことになっちゃうなー!!と思ったわけなの。
ウソをつくのがイヤだな!ってのが根底にあって、真実かどうか?ってのにこだわってたけど、そんな「真実」なんてお釈迦さましか分からんw
と思った今日でしたよー。
というわけで、よーし寝よう!
今日も読んでくれてありがとー!おやすみなさーい(^▽^)/