こんにちはー!!
今、暗闇フィットネスでAir Drumやって、シャワー直後に汗だく状態で帰ってきましたー。
帰り道で、ふと頭に降りてきたことがあるので、忘れないうちに書き留めたいと思います。
世の中、マウント取りたくなる人っていますよね。いやいや、まるで人ごとのように言ってますけど、私だって無意識にマウントしてた、って気づくことありますし、結構いい大学とか地方の良い仕事やってるってな人にマウントされることもあって、モヤモヤしたりすることもあります(笑)
んで、何が降ってきたかって言うと、
先生と生徒って言うのが、
先生>生徒
ってもう、疑いようもなく当然って感じしますよね。
そーじゃなきゃーダメでしょー?!くらい、思いますね。
そうなるとですよ、
先生の方が正直経験値も高いですし、重要ポイントも分かってる。
そしたら、
ありゃ???これ、生徒の方がハイスペックじゃね???って気が付くことありますよね。
あるいは、生徒の方が重要ポイントってのが分かってないがゆえに、ちょっと見自分の方が良い感じじゃね??と勘違いをし、調子に乗って先生を見下してきた場合なんかは、ちょいとギャフンと言わせて、まずは先生の言ってることを聞けやッ!!って意味で、マウントするってパターンもあるでしょうけども、、、
とにかく、
先生<生徒
ってなったときに、先生は「教える立場」なのに、自分の方がポンコツだなんて、絶対認められないし、自分の今まで何だったのさ?ってなったり、相手にバカにされては指導が出来ん!とか、いろんな思いに駆られて、マウントしたくなりますね。
で、それって、正直誰も幸せにしないなーって。
生徒も先生もどっちにも良いことは起きないなーと。。。
で、普通なら、じゃーもっと先生が頑張ればいいんだ!!もっと努力して生徒より凄くなればいいんだー!!!
ってなるじゃないですか?
それに、私だって、そうだよって思うし、そうならなきゃいけない!!!って思って生きて来ましたけど、
もしかしたら、その前提が間違ってたのかな?って思ったのです。
いや、今の日本においては一般的にはこの前提で動いていますよね。
だから、そこから外れるってのはなかなか自分も周りも難しいことだとは思うんですけど、
生徒だろうと、先生だろうと、ひとまず同じ人間じゃないですかー?!
その時点で、本当は優劣とかない。それぞれ何がどうであっても素晴らしい!!!
それを前提とすると、
まずは一緒に過ごす限られた「レッスン時間」をともに共有して、楽しむことを考えたい。
先生の持ってる力で、生徒の伸ばせるところがあれば、伸ばして、困ってることがあれば、少しでもうまくいくようにする。
一緒に音を出すことを楽しむ。
音楽を作る。作る過程を見せる。
生徒の方が光ってる部分って、絶対あるから、そこを褒めて良さを気づかせ、なんなら教えてもらう。
先生の光ってる部分は、求められればお伝えするし、そうでなければ勝手に吸収しんしゃい。
ゆるくね?そんなん緩すぎじゃね???
そんな気もします。
ただ、一方的に教えて鍛えて叩き込んで、、、ってやられる立場だとして、そういうSM的プレーが好きな場合は良いんですwでも、そうじゃない人もいっぱいいると思うワケ。
で、生徒が明らか自分より上を目指せる存在であるなら、次の師匠に進むときです。
そりゃー、先生自身は先生で、自分の人生のペースってのがあるわけだから、それでいい。生徒には生徒のペースがあるわけだから、それもそれでいい。
そうしちゃえたら、マウントする必要も意味もなくなる。
もちろん、与えられたシチュエーションってのがあって、学校の先生であればその場から逃げるってわけにもいかないだろうし、やるしかない!!ってこともありますよね。
そしたら、きっとまずは自分と向き合うことなのかなー。
自分が本当に良いって思う音楽とか、音とか、、、それを感じてみる。
世間とか評価とか「普通」とか「こうあるべき」とか、その目線で考えると、うぉおぉぉぉー!!ってなっちゃうけど、もっとシンプルになれたら、気持ちが落ち着きます。
それを生徒と共有したり、生徒の「本当に良い」と思ってるモノを共有したりすることにしたら、それまた楽しい。
一方的に、こっちから凄いことを伝えなきゃ・・・教え込まなきゃ!って思うと、しんどいからウォ――!!ってエゴが大暴れして、マウントになる。。。
自分の本当に良いと思うモノに向き合えたら、きっと相手が本当に良いと思うモノも「わーぁ、すげー!」と思えそう!相手が本当に良いと思うモノに出会う手助け、先導する、ってのでも良いわけだ。そのためのデータや方法やアイデアを伝えるとかね。
両方がハッピーになることが良いのだよねー。
スパルタで、ぐいぐいやらせて、成果が出るってっことは実際はたくさんあるし、それで成果が出て幸せ感じる人もいっぱいいると思うんだよね。だからこそ、それが「当たり前」と思われてきてるわけだけど、それは「成果」という報酬が出たことによって、報われてるから幸せってこともある。それほど頑張ったってことも称えられる。
でも、本当は「存在」してるだけでブラボーなんだよね。その存在がいろいろチャレンジするという、リアル体験アトラクションみたいなモノだ。だからぜーんぶどんな状況も楽しんで良いのだー。うわぁ、キッツーい!とか、くっそー!!とかもw。苦しむってこともアトラクションの一つだとしたら、それを楽しんでるのだから、特に何も問題ないわけだけど(笑)
まー、そー言っちゃー、元も子もないwww
今日のは自分に向かっても書いてるw
いろんな「べき」とか「普通」とか「当たり前」を外して行っちゃおー。