「チキショー!」

再び横山は去って行った。殴られた頬を抑えながら。
「ったくよぉ!」

路地裏では、大声を出した亮が怒りのあまり肩で息をしながら、その後姿を見送っていた。
そして亮は雪の方へ振り返ると、彼女に向かって問いかけた。
「おいダメージヘアー、さっきの何の話だ?」

亮の質問に、雪は俯きながら「何でもありません」と答えた。
しかし当然亮は納得出来ない。淳の名前が出たので尚更だ。

「何でもねぇのになんでアイツに絡まれんだよ?もしやアレか?ストーカーってやつか?」
「もう過ぎたことですから‥」
「過ぎたことだったら、何で今さらこんな目にあってんだよ!」
「淳のせいで絡まれてんだろ?」

雪は亮のその言葉を、咄嗟に否定出来なかった。
「別に‥深く関わってるわけじゃないですから‥」と、言葉を濁すのがせいぜいだった。

亮はそんな彼女の様子を見ていると、心の中に靄がかかっていくような気分になった。
頭の中に幾つもの疑問が浮かび上がる。
淳の奴、今回はマジみてぇだったけど‥。
まさかアイツ、ダメージヘアーのこと本気で好きなワケじゃなかったのか?

先ほどの男は雪に向かって、どうせ青田に泣かされて終わる、というようなことを言っていた。
亮はその意味が分からず、なぜそうなるのか理解出来ず、彼女に向かって訝しげな表情を浮かべた。

その視線に、雪はますます俯いてしまう。
そんな彼女を見て、亮は言葉にならないところを推測した。
おそらく自分の知らないところで、淳と雪の間には”何か”があったのだ。

その”何か”が綻びを作り出し、先ほどの男のような厄介なものを生んだ。そう考えるのが正しいだろう。
そして亮は、先ほど雪が言った言葉が引っかかっていた。
深く関わっているわけじゃないですから‥

亮の脳裏に、大勢の人の中に紛れる青田淳のイメージが浮かび上がった。
その中心にいるようで、いつもスルリと姿を消す彼の姿が。
そうだろうな。あいつは常に自分の姿は現さない‥

闇に紛れる狐のように、彼は自らの証拠は残さず目的を達成する。
うやむやになった自分の過去が、その傷が、置いてけぼりになっていつまでも疼く‥。

「はぁ‥。一体何をやらかしたのか知らねぇけど」

亮は溜息を吐くと、そう前置きをして言葉を続けた。
「とにかく、マジで気をつけた方がいい」

「今は仲良くやってるかもしんねぇけど、目に見えるものが全てじゃねぇ」
雪は亮が口にする言葉を、その真意が飲み込めないままただ聞いていた。

しかし亮はそんな雪の反応には構わず静かに、そして慎重に言葉を選んで続けた。
「オレが言ったこと忘れんなよ。お前を特別扱いするほど気をつけろって言ったよな」

それと、と亮は逃げて行った横山のことを口にした。
左手の親指を彼の走り去って行った方向へ向け、言葉を続ける。
「ああいう被害妄想の塊にも気をつけるんだな。まさにああいう奴らこそが、淳のエサになるんだ」

「奴らを思い通りに動かすくらい、淳にとっては朝飯前だ」

亮の中の”青田淳”が、黒い服を着て佇んでいる。
自らの手を下さず、扱い易い人間を操り、事を成す。
その隠された本性に気をつけろと、亮は雪に警告したのだ。

ふと、左の手の甲が痛んだ。亮は血の滲んだ拳に気がつくと、雪に見えないように下に降ろした。
「とにかく、そういうことだ!」

雪の心の中には、複雑な想いが渦巻いていた。
脳裏に浮かぶのは、普段着で優しく微笑む青田先輩の姿だった。

先輩との関係は、雪なりに色々考えて考えて折り合いをつけたのが、今の状態だった。
横山と亮から投げかけられた彼への不信に、雪の心がさざめき始める。
雪が少し俯くと、ふと亮の左手が目に入った。
手の甲に、少し血が滲んでいる。

亮はそんな雪の視線に気がつくと、明後日の方向を見ながら咳払いをし、左手をポケットに入れた。

雪はポリポリと頭を掻いた後、少し決まり悪そうに口を開いた。
バンソコウを買いに行きましょう、と。

ぎこちなく言葉を続ける雪に、亮が目を丸くする。

「だからその‥手‥。私のせいで怪我させちゃったし、
正直、ちょっとスッキリさせてもらったし‥。
とにかく‥」

「助けてくれて、ありがとうございました」

コトン、と亮の心の中で音がした。
それは彼女との関係の末尾に置かれたピリオドが、転がってコンマに変わる音だった。
白紙だったその先に、再び五線譜が続いていく。
照れくさそうに笑う雪の前で、亮は暫し固まった。

しかし彼女が亮を窺い見ると、次の瞬間亮はニヤッと笑った。
「おいおいダメージヘア~!オレはそんな気なかったのに、何でいつもオレを借金取りにさせるかな~?」

しまった、と思ったが時既に遅し‥。
ウリウリと亮が雪に向かって近寄り、雪は早足で路地裏を出る。
「一体何回メシをおごってもらえばいいんだろーな?すっかり返済するまでは長くかかりそうだなぁ?」

またもやメシおごれ隊、亮隊長のお出ましだ。
亮隊長は、恩は受けただけ返すのが人としての努めだと力説する。
それでこそ来世でまた人間として生まれ出ることが出来ると、輪廻転生の教えを解いて下さった‥。

亮隊長は、横山から実際訴えられた時はきちんと証言するように、と釘を刺すのも忘れなかった。
雪はハイハイと返事をしながら、塾への道を急いで歩いた。
二人はそうして続いていく道を、並んで歩いて行った。

「お前歩くの早くね?」 「わざとです!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<続いていく関係>でした。
以前2部20話で亮が「サイの角のように独り歩め」と言っていたこと↓と、

今回の輪廻転生を説くところを見ると、どうやら亮は仏教徒のようですね。
なかなか学のある男です、河村亮。
次回は<Sympathy>です。
人気ブログランキングに参加しました
人気ブログランキングへ

再び横山は去って行った。殴られた頬を抑えながら。
「ったくよぉ!」

路地裏では、大声を出した亮が怒りのあまり肩で息をしながら、その後姿を見送っていた。
そして亮は雪の方へ振り返ると、彼女に向かって問いかけた。
「おいダメージヘアー、さっきの何の話だ?」

亮の質問に、雪は俯きながら「何でもありません」と答えた。
しかし当然亮は納得出来ない。淳の名前が出たので尚更だ。

「何でもねぇのになんでアイツに絡まれんだよ?もしやアレか?ストーカーってやつか?」
「もう過ぎたことですから‥」
「過ぎたことだったら、何で今さらこんな目にあってんだよ!」
「淳のせいで絡まれてんだろ?」

雪は亮のその言葉を、咄嗟に否定出来なかった。
「別に‥深く関わってるわけじゃないですから‥」と、言葉を濁すのがせいぜいだった。

亮はそんな彼女の様子を見ていると、心の中に靄がかかっていくような気分になった。
頭の中に幾つもの疑問が浮かび上がる。
淳の奴、今回はマジみてぇだったけど‥。
まさかアイツ、ダメージヘアーのこと本気で好きなワケじゃなかったのか?

先ほどの男は雪に向かって、どうせ青田に泣かされて終わる、というようなことを言っていた。
亮はその意味が分からず、なぜそうなるのか理解出来ず、彼女に向かって訝しげな表情を浮かべた。

その視線に、雪はますます俯いてしまう。
そんな彼女を見て、亮は言葉にならないところを推測した。
おそらく自分の知らないところで、淳と雪の間には”何か”があったのだ。

その”何か”が綻びを作り出し、先ほどの男のような厄介なものを生んだ。そう考えるのが正しいだろう。
そして亮は、先ほど雪が言った言葉が引っかかっていた。
深く関わっているわけじゃないですから‥

亮の脳裏に、大勢の人の中に紛れる青田淳のイメージが浮かび上がった。
その中心にいるようで、いつもスルリと姿を消す彼の姿が。
そうだろうな。あいつは常に自分の姿は現さない‥

闇に紛れる狐のように、彼は自らの証拠は残さず目的を達成する。
うやむやになった自分の過去が、その傷が、置いてけぼりになっていつまでも疼く‥。

「はぁ‥。一体何をやらかしたのか知らねぇけど」

亮は溜息を吐くと、そう前置きをして言葉を続けた。
「とにかく、マジで気をつけた方がいい」

「今は仲良くやってるかもしんねぇけど、目に見えるものが全てじゃねぇ」
雪は亮が口にする言葉を、その真意が飲み込めないままただ聞いていた。

しかし亮はそんな雪の反応には構わず静かに、そして慎重に言葉を選んで続けた。
「オレが言ったこと忘れんなよ。お前を特別扱いするほど気をつけろって言ったよな」

それと、と亮は逃げて行った横山のことを口にした。
左手の親指を彼の走り去って行った方向へ向け、言葉を続ける。
「ああいう被害妄想の塊にも気をつけるんだな。まさにああいう奴らこそが、淳のエサになるんだ」

「奴らを思い通りに動かすくらい、淳にとっては朝飯前だ」

亮の中の”青田淳”が、黒い服を着て佇んでいる。
自らの手を下さず、扱い易い人間を操り、事を成す。
その隠された本性に気をつけろと、亮は雪に警告したのだ。

ふと、左の手の甲が痛んだ。亮は血の滲んだ拳に気がつくと、雪に見えないように下に降ろした。
「とにかく、そういうことだ!」

雪の心の中には、複雑な想いが渦巻いていた。
脳裏に浮かぶのは、普段着で優しく微笑む青田先輩の姿だった。

先輩との関係は、雪なりに色々考えて考えて折り合いをつけたのが、今の状態だった。
横山と亮から投げかけられた彼への不信に、雪の心がさざめき始める。
雪が少し俯くと、ふと亮の左手が目に入った。
手の甲に、少し血が滲んでいる。


亮はそんな雪の視線に気がつくと、明後日の方向を見ながら咳払いをし、左手をポケットに入れた。

雪はポリポリと頭を掻いた後、少し決まり悪そうに口を開いた。
バンソコウを買いに行きましょう、と。

ぎこちなく言葉を続ける雪に、亮が目を丸くする。

「だからその‥手‥。私のせいで怪我させちゃったし、
正直、ちょっとスッキリさせてもらったし‥。
とにかく‥」

「助けてくれて、ありがとうございました」

コトン、と亮の心の中で音がした。
それは彼女との関係の末尾に置かれたピリオドが、転がってコンマに変わる音だった。
白紙だったその先に、再び五線譜が続いていく。
照れくさそうに笑う雪の前で、亮は暫し固まった。

しかし彼女が亮を窺い見ると、次の瞬間亮はニヤッと笑った。
「おいおいダメージヘア~!オレはそんな気なかったのに、何でいつもオレを借金取りにさせるかな~?」

しまった、と思ったが時既に遅し‥。
ウリウリと亮が雪に向かって近寄り、雪は早足で路地裏を出る。
「一体何回メシをおごってもらえばいいんだろーな?すっかり返済するまでは長くかかりそうだなぁ?」

またもやメシおごれ隊、亮隊長のお出ましだ。
亮隊長は、恩は受けただけ返すのが人としての努めだと力説する。
それでこそ来世でまた人間として生まれ出ることが出来ると、輪廻転生の教えを解いて下さった‥。

亮隊長は、横山から実際訴えられた時はきちんと証言するように、と釘を刺すのも忘れなかった。
雪はハイハイと返事をしながら、塾への道を急いで歩いた。
二人はそうして続いていく道を、並んで歩いて行った。

「お前歩くの早くね?」 「わざとです!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<続いていく関係>でした。
以前2部20話で亮が「サイの角のように独り歩め」と言っていたこと↓と、

今回の輪廻転生を説くところを見ると、どうやら亮は仏教徒のようですね。
なかなか学のある男です、河村亮。
次回は<Sympathy>です。
人気ブログランキングに参加しました
