ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

軽薄と紙一重

2018-11-23 08:22:48 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「宗教教育への影響」11月16日
 『ライトに“仏教”浸透中』という見出しの特集記事が掲載されました。記事によると、『仏教をモチーフにしたアクセサリーや小物を日常的に愛用している人も増えている。仏像の「イケメン」度を評価することも。肩肘張らずライトに“仏教”に親しむ風潮』が広がっているというのです。
 具体例として、『「らほつニットキャップ」。かぶって前髪をしまえば仏頭のようになるというデザインが乙女心に刺さった』『芸能雑誌の美少年コンテストに「阿修羅賞」を特設』『快慶作「十大弟子立像」を人気順にランキング』『「プロジェクションマッピング法要」を行っている。堅苦しさを取り除こうと、わざわざ「コスプレ喪服も大歓迎」』などが紹介されていました。
 統計上、仏教は我が国最大の宗教です。法要や初詣、お宮参りや七五三、結婚式などに神社仏閣、教会などを訪れるだけのイベント宗教が主流の我が国において、どんな形であれ、宗教に関心をもつのは悪いことではありません。ただ、これでよいのかという懸念も捨て切れません。
 「ビルマの竪琴」という名作があります。第二次大戦後贖罪の意識からビルマ(現ミャンマー)に僧として残った日本兵を主人公にする物語です。ある作家が、この小説を読みミャンマーに関心をもった若い日本人女性が、ミャンマーを訪問して僧に話しかけ握手を求めようとでもしたら大変なことになると危惧していました。仏教国であるミャンマーでは、僧は尊い存在であり、厳しい戒律の中で生活する僧は女性に触れることさえ避けるものなのです。ですから、日本の若い女性が無邪気に近づき体に触れようとすれば、僧は驚いて逃げ出すでしょうし、そうした行為をした女性はミャンマーの人々から激しい非難を受け、場合によっては攻撃を受けることさえあり得るということです。
 世界中には、日本人には想像もできないほど、宗教に真摯に向き合って生きる人々がたくさんいます。そうした宗教への熱情を理解せず、「ライト感覚」で宗教を理解した気になってしまうと、国際化の時代、とんでもない事態が引き起こされかねません。
 我が国の学校では、いわゆる宗教教育はほとんど行われていません。私は、今後の学校教育の課題として宗教教育と戦争教育の2つをあげてきました。その思いは今でも変わりません。一方で、我が国の学校教育では、子供にとっつきやすいということが非常に重視される傾向があります。本質的な理解や思考よりも、まず抵抗感が少ない部分で触れてみましょうという発想です。それは、教授論としては正しいのですが、安直に分かった気になってしまうという欠点もあります。
 将来、宗教教育が導入されるようになったとき、このライト感覚がおかしな取り入れ方をされなければよいが、と考えています。

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