ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

信用される存在に

2021-11-27 08:29:58 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「それこそが財産」11月22日
 特集ワイド欄は、ドイツ人歴史学者ヤン・プランパー氏へのインタビューでした。インタビューの中で、「感情史の始まり」の著者であるプランパー氏は、『直感をライフワークにする心理学者によると、直感、勘、思いつきといったことは決して非合理ではなく、知識の蓄積の結果です。英語でガット・フィーリングと言いますが、人生で何かを決める際、実はこの直感が大事で、たまたま出てきたものではなく潜在意識ですでに組み立てられた知性の表れなのです』と語っていらっしゃいました。
 とても貴重な指摘だと思います。私は前日このブログでいじめ対応について書きました。その中で、定期的なアンケートや相談窓口への申し出などに頼るのではなく、教員が自らの目と感覚でいじめを見つけ出すことの大切さに触れました。このことを逆に捉えると、現状は教員のいじめ発見能力よりも、アンケートや相談窓口など、客観的、明示的な証拠品の方が重用されているということを表していることになります。
 その背景には、教員の直感や勘などは取るに足らない非合理的・非科学的なものであると軽視する考え方があるように思います。それは、文科省や教委といった教育行政側に、教員の経験や能力への不信感、教員の専門性への低評価が拭い難く存在しているということなのです。
 そして、そうした風潮は教員側の意識にも及び、長年子供と触れ合いってきた経験から得た知識の蓄積に自信をもてなくなっているのです。そしてそれは、教員自身がいじめがあるのではという疑いを感じても、「もし間違っていたら問題になる」「本人からの訴えもないのに…」と具体的な行動に移さず、アンケート等で「事実」が明確になってから動き出すのが賢い大人のやり方だという意識につながっていくのです。
 しかしそうした態度は、目の前で苦しんでいる子供を放置することにもつながります。いじめ被害を訴えられない子供は、永久に救われないことになります。しかも、いじめ被害を訴えなかったことで、訴えなかった落ち度を責められることにさえなりかねないのです。いじめに苦しみ自殺しても、どうして訴えてくれなかったんだ、と被害者が悪いかのように言われてしまうのでは、本当に救われません。
 犯罪捜査では、刑事の勘で逮捕、起訴することは避けなければなりません。国民の基本的な人権を制限する行為なのですから、慎重さが求められるのは当然です。多くの真犯人を取り逃がしても一人の冤罪被害者を生むな、という考え方が基本なのです。
 しかし、いじめ問題は違います。教員の直感がいじめを感知したら、躊躇わずにいじめがあるのではないかという立場で対応に乗り出す、そうした姿勢が望ましいのです。そのためにも、教員の直感を重く見る雰囲気を作っていかなければなりません。もちろん、教員側も自らの直感=いじめ発見能力を磨き続ける努力を怠ってはなりません。

 

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