ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

アピール力の時代がくる?

2021-01-21 09:02:26 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「小中学校でも」1月14日
 東京科学環境部デスク野田武氏が、『共感広げる寄付文化』という表題でコラムを書かれていました。大学の基礎的研究活性化について書かれたものです。その中で野田氏は、『ここ数年、研究機関や研究者が、インターネット上で研究の意義や重要性を訴えて寄付を募る「クラウドファンディング」などで資金提供を呼び掛ける』ことが増えてきていることを指摘しています。野田氏はこうした動きを肯定的に評価なさっています。その理由として、『本当に必要な研究であれば国がきちんと資金を出すのが筋』という意見があることを承知しつつ、『寄付には、単にお金を得るだけではない効果がある』とし、『科学研究と一般の人たちの間の距離を縮められるということだ』と述べていらっしゃいます。
 確かにたとえ少額でも、自分が寄付した研究がどうなっているのかという関心をもつようになるでしょうし、そのためにその研究テーマや関連分野についても調べようという気持ちにさせてくれることが考えられます。
  たしかに良いことなのかもしれませんが、私は違う危機感をもちました。それはこうした資金調達手法が、小中学校にまで下りてくるのではないか、という懸念です。今、国も自治体も厳しい財政状況にあります。一方で、学校教育に対する国民の要望は高まるばかりです。経済界などからも新たな教育課題が持ち込まれています。教育行政の担当者は、教育予算の捻出に知恵を絞っているところです。
 もし、小中学校の予算の一部を寄付で賄うという政策を取り入れることができれば、この問題の解決に資すると考え、実行に移す首長が現れないとは限りません。自助を旗印に掲げる現政権も後押しをすることでしょう。
 本来税金は行政サービスの対価という側面をもっていましたが、ふるさと納税という掟破りの手法が導入され、一つのタブーが破られました。そうであれば、全体の教育予算を一定の割合で削り、その7割程度を住民が自由に学校を選んで行う寄付で賄い、寄付した分は税金から免除するというような制度をつくるということに着手する自治体が現れるのではないか、と思うのです。
 教育予算全体は減額となるのですが、一部の選ばれた学校は、以前よりも多くの予算を獲得でき、施設設備の充実や臨時職員の配置等に使うことができるというわけです。結果として予算減額となった学校には、自己責任、努力不足ということで厳しく対応していくことになります。
 こうした発想は、学校評価制度、特色ある学校づくり、全国一斉学力テスト、学校選択制といった一連の改革の下地として既にありました。学力テストの結果が悪く住民に評価されず保護者方選ばれない学校は、児童生徒減から廃校となり、行政コストの削減に結びつくという考え方です。学校教育を競争原理で活性化という論理です。
 学校寄付制度はそれをさらに一歩進めた形になります。私はこうした方向での改革は学校教育を衰退させると考えていますが、規制緩和と市場原理が全てを解決すると考える人たちには魅力的な策に思えるはずです。杞憂に終わればよいのですが。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 聖人、超人、凡人 | トップ | 失敗の70年? »

コメントを投稿

我が国の教育行政と学校の抱える問題」カテゴリの最新記事