ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

「名答」は見つけられなくても

2021-01-09 08:42:31 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「日々訓練」1月5日
 「いきものがかり」の水野芳樹氏が書かれている月1回の連載コラム『そして歌を書きながら』は、『3歳の息子 本質突く質問』という表題でした。その中で水野氏は、3歳の息子さんから『未来はどこにあるの』という質問を投げかけられたときのことを書かれています。
 『わがままを言って「まだ遊びたい」と寝付かなかったので「また明日ね」となだめていたら「明日っていつ?」と質問攻めが始まり、やりとりの中でこちらがこぼした「未来」という言葉に冒頭の質問を返してきた』というのです。水野氏は、語彙が乏しく、時間の概念が理解できていない息子さんへの説明に苦慮し、『3歳児が理解できる平易な言い回しで時間の概念を説明するのは至難の業だ』と述べていらっしゃいます。
 そうでしょうね。水野氏のケースは、それでも親子の楽しいひとときであり、息子さんもそのうち他のことに興味関心が移り、疲れて寝てしまうことで「解決」できるかもしれませんが、教員の場合そうはいきません。
 教員、特に小学校の教員は、常にこうした大人なら誰でも知っていることを子供に分かりやすく説明するという課題を与えられているのです。「未来」という言葉は辞典に掲載されていますから、もし中学生に訊かれたら、その部分を読んでやればいいだけのことです。自分で調べなさい、という指示でもよいかもしれません。
 高校生なら、辞書的な意味ではなくもう少し違う回答を期待しているのでしょうから、「君はどう考えているのか」と問い返すこともあり得るでしょうし、哲学や思想家の書籍を紹介してあげるという方法もあるかもしれません。しかし、小学1年生や2年生にはそうしたやり方は通用しません。しかも、高学年の子供よりも、低学年の子供の方が「○○って何?」という質問が多いのです。
 私は指導した経験がないので推測ですが、幼稚園ではもっとこうした場面が多いように思われます。以前このブログで、幼稚園の教員について、「チイチイパッパしているだけなんだろう」と酒席で発言した中学校の校長の話を紹介したことがありましたが、彼は、中学校の教員は難しいことを教えているから大変だが、幼稚園の教員は楽だ、誰でもできる専門性の低い仕事だと考えていたのです。
 しかしそうではないのです。その一つの例が、この大人にとっての常識をいかに分かりやすく話すか、という能力の必要性なのです。私は、小学校の教員でしたが、指導主事になるまでの間、ほとんどを高学年の担任として過ごしてきました。そして、たまに補教等で低学年の教室に行くと、子供への言葉掛けにとても緊張させられたものでした。正直なことを言えば、低学年の子供への語りかけの経験が乏しいことは、私にとってまだ未熟な教員であるという劣等感の素でもありました。分かり切ったことを平易に話す、それはそうした場面に直面すれば、いかに難しいことなのかひしひしと分かります。
 「命って何?」「人間って何?」「お金って何?」3歳児にこう聞かれたら、答えられるでしょうか。恥ずかしながら、私は今でも考え込んでしまいそうです。教員の皆さん、教員を目指す若い方々は、こうした分かったつもりになっていることを子供の分かる言葉で説明するという「訓練」を、毎日少しずつ続けるとよいと思います。たとえ「名答」は思いつかなくても、こうした訓練を重ねることで、頭が柔らかくなり、子供目線に立てる教員に近づくことができるようになるはずです。

 

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