「意図せぬネットワーク」7月24日
連載企画『てつがくカフェ』のテーマは、『勉強してるのに、テストではなぜか…どうして』でした。メンバーの一人開智国際大准教授土屋陽介氏は、次のように回答されていました。
『(自転車)最初は何度練習しても転んでばかりで、こんなの絶対無理って思わなかったかな?でもある瞬間、突然乗れるようになった。それはものすごく急な変化じゃなかったかな(略)僕にとっては英語がまさにそんな感じで、全然読めなかった英語の文章がある日急にスラスラと読めたときは、本当にびっくりしたな。何故そんなことが起こるかというと、知識や理解の全体量が一定の水準に達するまでは努力が結果に一切反映されないことが、勉強ではかなり多いからだ。でもその間も、勉強を続けている限り学力は蓄積され続ける。そして総量がある一線を越えたとき、どーんと結果が出る』と。
本当にその通りだと思います。教員はこの「学び」の特性をよく理解しておく必要があります。子供たちが、出来ないと言って課題を投げ出そうとしたり、分かんねえよとふてくされたり、こんなこと勉強してどんな意味があるのとつぶやいたりしたとき、土屋氏の指摘を思い出してほしいのです。
出来ない、分からないと口にする子供は、単に現状を愚痴っているわけではありません。(ダメな)自分に本当に分かるときが来るのだろうか、と不安になっているのです。こんなこと勉強して何になる?という子供は、勉強したことが役に立つのかと疑問に思っているのではないのです。自分には理解できるときは永遠に訪れないと絶望し、そんな自分を慰めるために、「酸っぱい葡萄」と同様に、勉強なんて意味がないと思い込もうとしているのです。
ですから、そんな子供たちに対して教員がすべきなのは、勉強したことがいかに役立つかを説明したり、頑張ればできると励ましたりすることではないのです。知識や理解、技能の修練を蓄積していけば、いつか必ず「爆発」のときがくるという学びの大原則を伝えることなのです。
しかし、これは言葉で伝えようとしてもうまくいきません。特に小学校低学年の子供には。効果的なのは、実際に「爆発」を体験させることです。自転車でも、水泳でも、逆上がりでも、縄跳びの二重跳びでもよいのです。こうした体験をさせておいて、「自転車に乗れたときのこと、思い出してごらん」と言うのです。
教員は、学校生活の中で、この小さな「爆発」を如何に仕組むことができるか、それが学ぼうとする子供を育てる第一歩なのです。
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