ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

狭い専門家

2016-09-28 08:50:39 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「細分化」9月17日
 『豊洲市場 委員、空洞認識せず』という見出しの記事が掲載されました。記事には、土壌汚染対策の工法を検討した「技術会議」の委員を務めた東洋大教授根本祐二氏のコメントが掲載されていました。都の『建物下に空間が必要なことは技術者の常識』という見解に対し根本氏は、『自身の専門は公共インフラの老朽化対策などを検討する「公共政策」で、建物下に空間があることが常識だとは考えていなかった』と述べていらっしゃいました。また、同じく委員を務めた産業技術大学院大学長で水位の制御・システム管理が専門の川田誠一氏も、『専門外の話は用語も分からないことがあった』とおっしゃっています。
 つまり、技術会議というイメージから素人が描く、土壌汚染対策の専門家、それも我が国一流のレベル、教授や学長といった自他共に求めるその道の有識者という存在ではなく、ごく狭い研究分野についてのみの専門家であったということです。
 このようなイメージと実態のギャップというのは、何も汚染対策に限らず、様々な分野において存在するように思います。私も教委勤務時代に様々な「専門家による会議」の事務方を務めてきました。児童虐待対策であれば、子供の人権保護の観点から弁護士、子供の心理に詳しいとされる臨床心理士、家庭や保護者の代表としてPTA会長連合会代表、所轄警察署の生活安全課長、虐待の現場を知る児童相談所の相談員、市内にある大学の教授などが委員に委嘱されます。
 確かに彼らは専門家です。しかし、学校の実態については全くの無知であったり、統計的な事実には詳しいが個別の事案については知識がなかったり、その逆だったり、という状況で、全体を俯瞰して語ることができる人が少なかったというのが、正直な印象でした。
  当時の話し合いでそうした発言はありませんでしたが、おそらく上記の川田氏のように他の委員の使う用語さえよく分からないが何となく質問しにくくてそのままにした、というようなケースもあったと思われます。前の発言と何の脈絡もない話が唐突に語られるという場面は何回も目にしてきましたから。
 今回の豊洲市場問題や私自身の経験からして、行政側は、専門家による検討、専門家による提言というものの内容や価値について、本音の部分では重要視していない側面があるのは確実です。都合の良い方向での権威付け、検討したというアリバイ作りという価値しか認めてはいないという場合も少なくないように思います。それは、行政側の意識の問題もありますが、全体を俯瞰できる専門家が少ない、もしくはいない、そして少しでも全体的な視野をもっているのは実は行政側の中間管理職だけ、という実態があるからだと思います。
 「専門家会議」というものについて、根本から見直す必要があります。それは、教育行政についても例外ではありません。

 

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