ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

今度はあなたの番です

2021-01-16 08:38:01 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「今度は自分が」1月12日
 読者投稿欄に、下関市の小学校教員S氏(61)の『33年前の投稿に導かれ』というタイトルの投稿が掲載されました。S氏は、昨年3月に小学校教員を定年退職され、現在は再任用で教員を続けていらっしゃる方です。投稿の中でS氏は、新任間もないころに読んだ投稿欄の記事がまだ手元にあることを記し、そこに掲載されている『「残された一年を生徒のために」というタイトルで、東京で教員をされている方が1年後に定年を迎える思いをつづられたもの』について触れられています。
 それは『こんな私を「先生」と親しく呼んでくれる子供たちがいる。幸せいっぱいである。もっともっと謙虚になろう。そして素直になろう。そして広い心で子供と共に涙し、喜べる私になろう』というような内容であったそうです。S氏は、この投稿が心に残ったと述べ、『三十数年間、私の教員生活の大きな指針となった』と振り返り感謝の意を綴られていました。
 S氏の人柄、教員としての姿勢がうかがわれる話だと思いました。ただ、感謝で終わってしまってよいのか、という思いが湧いてきたのも事実です。S氏は、大先輩の言葉によって指針を与えられたのですから、今度はS氏が、後輩の教員に何かを残す、教員として生きるための力や指針になるような言葉や姿を示すということを考えるべきではないかと思うのです。言わば、恩の順送りです。
 私にも教員としての考え方や基本的な姿勢を与えていただいた先達がいます。このブログでも再三登場していただいた目賀田八郎先生がその人です。既に鬼籍に入られましたが、大学4年生のときに教育実習でご指導を受けてから、個人的にも、勉強会でも、いろいろと教えていただき、教員としてあるべき態度を背中で示していただきました。怠け者で自分に甘く、自己中心的で他人の気持ちがわからない、全く教員向きではなかった私が無事に教員として勤めあげることができたのも、ひとえに先生のお陰だと考えています。
 指導主事になり、統括指導主事、指導室長となってからも、目賀田先生だったらこんなときどうしただろうと考え、判断の基準とさせていただきました。また、後輩の教員や教育研究員・教員研究生など指導を担当した教員に接するときには、私にとっての目賀田先生のように、少しでも教員として生きていく力になる何かを伝えていきたいと思ってきました。実際には、何も残せなかったし伝えられなかったという無力感、敗北感が残っただけでしたが。
 教員は子供を育てるだけでなく、後輩の教員をも育てるという使命をもっています。全ての教員がその自覚をもってほしいものです。

 

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