ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

把握すべき状況とは

2020-10-22 08:28:16 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「状況把握」10月19日
 『デジタル庁権限焦点』という見出しの記事が掲載されました。その中に『小中学校の遠隔授業』という小見出しの章があり、『小中学校でのオンライン授業の解禁を求める動き』についての記述がありました。常識的な内容であり、特筆するようなこともなかったのですが、次の一文だけが気になりました。
 『教師と児童生徒がICTでつながることで学習状況の把握が可能になった』という記述です。しかもこれは、学校教育について門外漢であるデジタル庁の見解ではなく、中教審分科会の評価だというのですから看過できません。
 おそらく、教員の手元にある情報機器の分割画面上に、学級内の全ての子供が映り、個々の子供が問題を解き終えたとか、指示された作業を終えたとかいう「状況」が容易に分かるというようなことを指しているのだと思われます。こうしたことをもって「状況」把握ができたと考えているのであれば、それはあまりにも授業というものを知らなすぎると言わざるを得ません。
 私は若いころ、自分で「アナライザー」と呼んでいた仕組みを授業に取り入れていたことがあります。工作用紙で作成させた高さ10cm、底辺4cmの正三角形の三角柱を全ての子供の机上に置かせるのです。3つの側面は、赤、青、黄色の三色で色分けされ、教員の助言や手助けが必要なときは赤、指示された作業を問題なく終えられそうなときは青、質問や意見を伝えたいときには黄色というように決め、その面を教員の側に向けておく約束になっているのです。それで教員は、それぞれの子供の学習「状況」を把握できるというわけです。
 つまり、遠隔授業など想像もできないくらい以前から、そうした「状況」把握はできていたのです。しかし、こうした試みは広がりませんでした。私もしばらくして止めてしまいました。様々な理由があったのですが、最も重要なことは、そのようなことで把握される「状況」は、あくまでも表面的なものであり、本来的な意味での学習状況のごく一部に過ぎなかったからです。
 集団思考の場である授業において教員が把握することが必要な「状況」とは、子供自身も気付いていない、躊躇いやこだわり、独自の発想や思考の筋道などが、今何に引っかかっているかを知ることです。そうしたものに潜んでいる価値を認め、それを集団思考の場に提供し、そのことで個々の子供の思考を刺激し、見方を広げ、異なる考え方や価値観があることに気づかせていくのが、教員に求められる能力であり、専門性なのです。
 それは普段から子供をよく見て、子供をよく知り、ちょっとした表情の変化やしぐさ、語調や癖などのサインが何を示しているか理解していなければなりません。そして、タイミングよく、「○○さん、何か思いついたことがあるんじゃないの」とその思いを引き出し、「今、○○さんが、すごく面白いことに気がついたんだよ。少し話を聞いてみよう」と全体の学び合いの場に広げていくのです。
 分割された画面上から把握される「状況」は、そういうものになっていきません。この点だけははっきりとさせておかないと、遠隔授業が過大評価されてしまう危険性があります。それは、将来の教育行政の方向性を歪めてしまうかもしれないのです。

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