ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

教委が共犯というケース

2020-10-04 08:02:50 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「ふんふん、えっ」9月29日
 『特別支援学校に設置基準』という見出しの記事が掲載されました。『中央教育審議会の初等中等教育分科会は28日、将来の小中学校や高校の教育が目指すべき姿について、2019年春から続けてきた議論の中間まとめを公表した』ことを報じる記事です。その中にいくつかの「ふんふん、えっ」がありました。
 まず、見出しにもなっている『特別支援学校に設置基準』を設けるという内容です。『近年は特別支援学校の需要が高まっており、19年度の児童生徒数は約14万4000人と10年間で23%増えた』という社会的な背景があってのことです。この間、児童生徒数は減っているのですから、実感としては、もっと増加しているということになります。
 記事では、『きめ細かい対応や障害の種別に合わせた専門的な教育を求める保護者が増えた』とあります。つまり、特別支援学校が評価されているということです。障害のある子供の教育を巡っては、インクルーシブという概念が注目されており、普通学校・学級で障害のない子供と共に学校生活を送ることが望ましいとされる傾向が強まっています。その反動で、特別支援学校・学級への進級・進学を勧めることが「悪」であるかのように見なす風潮も一部にあり、私はこのブログで懸念を表明してきました。特別支援学校で学ぶことを「隔離」と捉えるのではなく、最適な学びの場の提供と捉える発想が適切に支持されることが必要だという主張でした。今回の記事の内容は、そうした理解が深まっていることを示すものであり、「ふんふん」でした。
 一方で、「えっ」という記述もありました。『2022年度をめどに小学校5,6年生で教科担任制を導入する』もその一つですが、以前にも触れたので、ここでは触れません。今回取り上げるのは、『教科横断型の学習内容などに対応するため、小中学校の教科ごとの授業時数の配分を弾力的に運用することを認める』です。
 つまり、国語・社会・道徳の3教科に深い関連性をもつ内容の授業を10単位時間実施したときに、それを国語5、社会3、道徳2と割り振って授業をしたことにしてよいということです。必要な措置だと思います。
 その反面、安易な運用によって、学校教育が歪められる可能性に注意が必要です。極端な例を挙げれば、受験に必要な教科に注力するために、実際には、国語10、社会2と割り振るのが適切な場合でも、国語6、社会3、美術2、道徳1とし、他の教科も学習したことにして、「受験勉強に特化」するような運用が行われ、むしろそれがその学校の特色、隠れたセールスポイント化してしまうことです。実際の学習内容を精査し、各教科の学習指導要領の内容と対照して適切か否かの判断を下すことは、授業と学習指導要領に精通している者にしかできず、部外者には難しいのが実情です。教育委員会等の管理が大切ですが、ときとして教委が「共犯者」となってセールスポイント作りに加担することがあるので、要注意です。透明性を高める工夫が求められます。

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