ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

有識者のいる場所

2016-06-06 07:19:01 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「専門家はそこにいる」5月31日
 川柳欄に、諫早市の藁っ亭糸藻氏の『有識者議員の中に居ないのか』という句が掲載されました。糸藻氏が、どのような事件からこの句を思いつかれたのかは分かりませんが、まさに私が常日頃感じていることを代弁していただいた気がします。
 企業でも、行政機関でも、何か問題が発生したり、新しい方向性を打ち出すときに、外部の「有識者」と称する方々を招き、委員会や協議会を設けてご意見を求めるということが行われます。私も教委勤務時代には様々な委員会や検討会を設け、その運営に当たってきました。
 その多くは、事務局を勤める私たちの側に、既に腹案があり、作成する資料や話し合いの司会進行を通して、結論を誘導していく形でした。そもそも、委嘱した委員は、学校や教員について、一般論としては豊富な知見を有してはいても、現場の状況に詳しくありませんし、過去の経緯も知りません。事務局が作成した資料がなければ、暗闇を灯りのないまま歩くようなもので、第一歩を踏み出すことさえできないのが普通です。ですから、委員長や会長を務める方から、「自分は何を言えばよいのか」「落としどころは?」などと尋ねられることも珍しいことではありませんでした。
 また、教員時代には教委主催の委員会の委員に、区市教委勤務時代は都教委主催の会合の委員を頼まれることもありました。ここでも立場を替えて、同じことが行われていました。身も蓋もない言い方をすれば、私は、この人物は事務局の苦労がよく分かっていて、事務局の意に添う立場を取ってくれるであろうという期待の下に、委員就任を依頼されていたのでしょう。私が委嘱する側のときにも同じことを考えましたから。
 こうして形だけは外部の「有識者」の見解を尊重した結論が提出され、それをお墨付きとして、事務局が自分たちの思い通りに施策を決定していくのです。実は、当面する課題について、最も詳しく、知見と経験を有する専門家は、事務局を勤める職員であるというケースがほとんどだったのです。だとすれば、予算を費やして外部の「有識者」を招き、資料作りに多くの労力を費消し、何人もの職員がそのために膨大な時間を浪費するという愚を犯すことなく、担当職員のもつ専門性をこそ生かすべきだということになります。
 糸藻氏も、大学教授や評論家よりも長年その問題をライフワークにしてきた政治家こそが、高い識見をもっていなければおかしいと考えていらっしゃるのでしょう。内部にいる専門家は、自分こそ有識者であるという誇りをもつべきです。もし、そうした誇りも自覚も持てないというのであれば、自分の不勉強さを責めなければなりません。

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