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島津継豊公の後の夫人(1) ー 島津宗信公の実母・妙心院殿の墓

2022-07-08 18:42:28 | 福昌寺跡島津家墓地 2018

 いつもお読みくださって、ありがとうございます 

 

第22代・島津継豊公の「二人の夫人」の墓は、『第22代・継豊公夫人の墓、二つ2022-07-05(カテゴリー| 福昌寺跡島津家墓地)に以前書いた通りですが、

「 継豊公の跡を継いだ長男「宗信公(第23代)」の母が妙心院殿であり、宗信公は江戸の芝藩邸に出生、

その兄が22歳で早逝し、跡を継いだ二男「重年公(第24代)」(母は島津嶺松院殿)は鹿児島鶴丸城に出生

とある。(『島津歴代略記』参照)」

と書きました。

 

この二人の継豊後夫人、「妙心院殿」と「嶺松院殿」の、どちらがどちらの墓なのかを今回確かめてみたところです。

写真を撮った頃は全く知る由もなかったのですが、ようやく把握できるようになりました。

この継豊公の後の夫人お二人の墓もチェックしてみました。

 

 まずは、継豊公を嗣ぎ若くして亡くなった長男、第23代・島津宗信の実母「妙心院殿の墓」です。

 

案内図左端の歴代12〜14代藩主(茶色の四角表示)の上部に

クリーム色の表示で「継豊後夫人」としてカッコ()の中に「宗信実母」とありました。

 

 場所がわかったところで次は、撮った写真の中に写っていないかを探してみました。

この画像、前面に大きく写っているのは「9代・忠国」夫妻の墓。

その向こう、石塀に沿って並んでいるのが12〜14代の墓で、右端には一つだけ背の高い墓があります。

 

近くで撮ったものがこちら。

 

残念ながら逆光で、おもて面の法名などは読めませんが、こちらが「妙心院殿」の墓ではないかと思います。

神号を調べていないのでわかりませんが、「改號 慈徳小負(員?)命」とあります。

 

側にある石碑。苔むして少々読みづらいです。(苔がなくても読めないかも〜

裏面(ピンボケですけど)

 

 2019年に書いた関連記事もあります↓

第24代藩主・島津重年と嗣子・重豪 』2019-05-26 

     カテゴリー| 第21代藩主島津吉貴と継嗣島津継豊

 

 次回は重年公の実母について、です。