☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

「若き薩摩の群像」

2020-11-12 10:35:03 | 薩摩藩英国留学生

FBの歴史グループでコメントしたものですが、記録として

 

全員揃ってからはまだ見に行けていません。。天辺の二人は町田久成と新納刑部久修で、両手広げているのが新納さん。今回ちゃんと把握しました(苦笑)。新たに加わったお二人(堀さん、高見さん)はもちろんですが、お二人を見つめる田中静洲(盛明)、長澤鼎(かなえ)と名越時成もわかります。五代さんは中段中央で桜島側に向かって椅子に座って右手を伸ばしていますね。あと町田兄弟が2名いますが、まだ9名いますね。なかなか全部は難しいです。全員分かるようになれるといいな、と思います。当地に図解はないのでしょうか?近いうちに行って確かめたいです。

 

(画像は南日本新聞の記事)

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曽祖父・轟の兄、時成の命日

2020-11-07 22:29:33 | 薩摩藩英国留学生

今日、11月7日は、名越時成さんの命日でした。

明治44年に、宮崎県高鍋で亡くなったようです。満64歳。

〈弘化四(1847)年 9月24日生まれ ー 明治44(1911)年 11月7日卒〉

亡くなって今年で109年、ですね。

(調べたら、弘化元年は1844年12月2日から始まっているようですので、弘化四年九月は1848年‥‥と思ったら、1848年2月28日で終わってる??この辺がいまだによく分かりません。。

  

時成さんについては知っている事はさほど無いのですが、

以前、知らないうちに繋がっていたという、不思議な縁がありました。

 

20年近く前に勤めていた仕事の関係で知り合った方から「英会話に興味がある?もし習いたいなら良い先生を知ってるよ」と、ある方を紹介されたのです。

 

年齢的にも近いその先生の英会話クラスに通い始めて、洋楽好きという共通点などもあり、英語の授業以外にもいろいろ雑談するうちに、私が先祖について調べていることを話していると、同じ先祖であることがわかったのです

それも、通い始めてだいぶ経った頃でした。

 

それが、「時成兄さん」の娘のお孫さんだった!というわけです これだけでもすごいですよね〜

 

そして、そのお祖母様が亡くなって日も浅い頃か、法事が終わって紹介して下さった方のレストランに先生がご夫婦でたまたまいらしていた時に、これまた偶々私もお店に遊びに行き、お店のカウンターの隣に座っていたのがその英会話教室の先生だったと、後から教えて頂いたのでした。

 

そのお祖母様(時成さんの長女)も台湾で教師(確か美術でしたか?)をされていたということでした。

そして戦争前だったか戦後だったかに台湾から日本本土、鹿児島県に引き揚げて来られたそうです。

私の父も湾生(台湾生まれ台湾育ち)なので、より親しみが湧きました。

先生のお祖母様も、女性教師ということもあり、引き揚げてから苦労されたという話をされていたことを覚えています。

 

もうだいぶ前のことなので、細かいところは記憶違いもあるかもしれませんが、さほど間違っていないと思います。

時成さんの命日に、そんなことを思い出しました。

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お二人のこと、地元紙に載りました

2020-02-07 23:49:11 | 薩摩藩英国留学生

今朝の南日本新聞に、昨日書いていた「高見弥一」と「堀孝之」の二人の像が加わることになったと発表されました。 

 

 

 

☆次の画像は門田 明「若き薩摩の群像 サツマ・スチューデントの生涯」(春苑堂出版 平成3年11月25日 第1刷発行)より

薩摩藩英国留学生の集合写真では町田久成兄弟が写ったものと、もう一枚ありますが、そちらに高見弥一は写っています。後列向かって左から2番目。

同じ写真で右端に腰に手を当てて立っているのが名越時成です。

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薩摩藩留学生渡欧の地、串木野羽島 in 2010

2017-09-28 00:56:14 | 薩摩藩英国留学生
☆以前の留学生たちのイラストのある案内板は台風で被害を受けたため、
現在のものは新たに作り直されたものだそうです。

☆現在のものはこちら

2010年4月17日『薩摩藩留学生渡欧の地、羽島』という日記を書きましたが、当時の懐かしい写真をmixiから拾ってフォトチャンネルを作りましたのでご覧下さい。

羽島に記念館が作られる予定だと、当時テレビニュースや新聞などで目にして一度行ってみたくなり父と出かけました。
気持ちよく晴れた日で、現地につくと薩摩藩英国留学生記念館建設に向けて整地をしていました。

記事欄外、右サイドにある「最新フォトチャンネル」に今年4月に行った時のアルバム『羽島・薩摩藩英国留学生記念館』もあるので、
7年前の様子を現在と比較するのも一興です。
  
薩摩藩留学生渡欧の地、串木野羽島 in 2010
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名越時成の「留学派遣」時の年齢

2017-04-24 12:04:22 | 薩摩藩英国留学生


23日の記事「7年ぶりの串木野・羽島(2)」でふれた、「時成の年齢」について、書いてみようと思います。

まずはその前に、館内の展示物は非常に見応えのあるもので、かなり充実したものでした。

館内に入ると音声が聞こえてきました。14〜15分ほどの紹介動画が2本交互に放映されています。
ちなみに、その動画ではフリーアナウンサー(元・公共放送局アナウンサー)の住吉美紀さんが語ってらっしゃいます。

「スミきち」さんにこんなところでお目にかかれるとは思っていませんでしたが、ご活躍のご様子でなにより、と思いました。
スミきちさんは弁士に扮装したり、羽島の岩場に立って留学生たちの残した手紙や当時のエピソードなどの紹介をしたりしています。
留学生たちが出発前の2か月間ほどお世話になった逗留先のご子孫の紹介などもあります。
当時の様子を想像するのに十分な内容でした。

また、長沢鼎の自筆雑記帳もあり、一番若かった長沢少年の苦悩が現れている「prison(監獄)」の落書き(殴り書き?)も見られました。
貴重な資料ばかりで何度も来てみたいと思わせる展示です。


さてそこで、前述の通り、表記が17才だったり21才だったりという問題
正直ちょっとばかり戸惑ってしまいました。
 


この「時成の年齢」に関する資料があります。

県の歴史資料センター黎明館の調査史料室・前室長・内倉昭文氏から頂いた、前室長ご自身による
 黎明館調査研究報告 第29集(二〇一七年三月)別刷
 「※名越時敏(左源太)」小考(二) ー "誤説" の訂正など ー 
の中で取り上げて下さっていますが、様々な刊行物や展示を見て年齢表記が不統一であることに疑問を抱く方もおられるのではないかと思います。
(※ ご承知とは思いますが、名越時敏は世間一般に知られている名越左源太のことで、名越時成の父)

細かいことではありますが、『鹿児島県史料 名越時敏史料 一 』に集録されている「名越時敏日史」には時成(幼名・壮之進)の生年月日が明記されていて、当時は満で17才だったことがわかります。

ついでながら、時敏の著書「常不止集(とことわしゅう)」「続常不止集」などによると、時成より前に「長男・源太郎」がおり、不幸にも一歳に満たないうちに、流行していた疱瘡(天然痘)で亡くなっていることが記されており、時成については「長男」ではなく「嫡子」と表記されてもいるようです。

また、同じく『同史料 二 』に集録の「名越時敏日史」にある左源太時敏の、息子・時成の異国への派遣に関する「弁明」にも「(時成は)まだ年若く修行中の身であり、今派遣されるとその(修行の)時期を逸してしまう、二十一・二才になれば、お受けしたいのだが、」というような内容で、長男を幼くして亡くし、また嫡男である時成までも失ってしまうのではと心配する親としての心情が現れていると、紹介されています。


以上のようなこともあり、このブログで時成に関するあれこれを書くことにしました。

 鹿児島県歴史資料センターの調査史料室長だった内倉氏は4月から別の部署に異動されたということなのですが、これまで本当にいろいろご教示いただき、親子共々大変感謝しております。
ここで、心より御礼申し上げます。(また改めて伺いますね)


 留学からの帰国後についてもあまり知られていない名越時成ですが、いえ、知られていない人物であるからこそ、時成のことに限らず、諸氏の情報についても、混乱を来さないよう、せめて年齢その他、現時点で分かっていることについては、今後再度検証された上で、統一表記されることを望みます。


☆来年2018(平成30)年は明治維新百五十周年ということで、また大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」の放送予定もあり、ますます関連イベントなどやそれに伴う資料・刊行物・ネットでの情報提供なども増えることでしょう。
 関連する機関の方々には、記念事業の一過性に終わらせることなく、今後の更なる検証が成され、益々興味を持ってもらえるような魅力ある展示・行事となることを願うばかりです。

 

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