☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

⑳ 玉里2代・島津忠済の墓所

2022-07-17 22:33:26 | 福昌寺跡島津家墓地 2018

 いつもお読みいただき、ありがとうございます

 今回は、玉里島津家2代・島津忠済の墓所です。

案内図には「久光男子」とあります。

 

☆玉里邸は斉興公が隠居後に暮らし、ここで生涯を閉じたと『島津歴代略記』にもあるので、初代は斉興公かと思っていたところ、Wikiで確認したら、明治4年に分家して出来たのが「玉里島津家」とありました。

Wiki(上記の各リンク)に詳しくあるので、そちらをお読みいただくとして、ここでは写真を並べることにします。

 今回の写真は2018年6月13日に撮ったものです。 

福昌寺墓地の東側の石塀。

 

 

 

手前の入口へ。

 

 島津忠済墓所入口の門扉です。

 

 福昌寺墓地へのメインの入口よりも右手にこの門扉があります。

  

中へ入ってみます。

 

 

 

 

 

 

 

「従一位勲一等公爵島津忠済卿・田鶴子 墓」

 

 

 

  

 

 

 

 

大正五年二月とあります(Wiki 情報によると、忠済卿は大正4年8月19日歿)

 

島津久大(ひさなが) は忠済卿の三男(Wiki「島津忠済」の項による情報)

 

男爵・島津隼彦 、男爵・島津忠夫

 

(一部敬称略

 

木漏れ日が良い感じの静かな空間でした。

 

 

☆ 実は私の母校が玉里島津家屋敷跡地に今もあるのですが、あの頃は「日本史」どころか郷土史にも疎く、まさかこうして歴史をあれこれ綴ることになるとは、全く想像もしていませんでした(笑)

 

では、福昌寺跡の島津家墓地については一先ずこの辺で。

 

ありがとうございました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⑲ 19代・光久公などの墓所

2022-07-17 11:52:02 | 福昌寺跡島津家墓地 2018

 今回は19代・島津光久公の墓などの画像です。

 

☆ 19代・光久公は「初代藩主・島津家久」の二男。

なので「第2代藩主」ということですね。

以前(2017年6月)に撮った写真は、光久公のお墓を意識して撮ったものではありませんでした。

この画像は光久夫妻の墓があるあたりを区画入り口から撮ったもので、

中央に写っているのは「20代 島津綱貴」の墓です。

 

 

 また、19代・光久公の長男が島津綱久様で、綱久夫人・真修院殿との長男が20代・綱貴公ということになります。

☆ 20代・綱貴公のご両親の墓(画像左:真修院殿、右:島津綱久様)は、継豊公の墓所の後方に。

 

 

・こちらは継豊公の墓石の背面を撮った際に光久公夫妻の墓所が写り込んだもの(画像左端の2基)

 

「綱久夫妻」と「光久夫妻」、案内図で確認してみます。

 

 

☆ 『吉貴公の祖父・島津綱久墓など』(2022-07-03)で、すでに紹介していました鍋保丸の墓の、石塀の向こうにある「三夫人の墓」 ですが、

左から、「敬姫(重豪女子)」「重豪夫人」「斉宣夫人」の墓石です。

・「重豪夫人」 … 一橋家徳川宰相宗尹(ムネタカ)の女子。保姫。慈照院殿。かな?(未確認)

・「斉宣夫人」 … 秋田藩主佐竹右京太夫義和の姉。梅姫。光照院殿。かな?(同じく未確認)

光久公墓所区画の同じ入り口から奥を撮った別の写真、中央に写っています。

 

これは同じ画像で『吉貴公の祖父・島津綱久墓など』(2022-07-03にも書きましたが、

その際にはお名前の確認までは至りませんでした。

 紛らわしいのは「斉宣実母」はあっても「重豪実母」がなかったり、

「重年実母」は「継豊後夫人」と書かれているのに、「重年夫人」なのに「重豪実母」の表示が無かったり、

そのうち「重豪夫人」と「重豪実母」や、「斉興夫人」と「斉興実母」が途中からこんがらがって来たりするのです 

 

 

☆ 綱久様は御当主ではないので、当然ながら歴代藩主の一覧にお名前はありません↓

また、以前『島津継豊公の後の夫人(2) ー 島津重年公の実母・嶺松院殿の墓』で、

「24代・重年公の墓」と「重年公の実母の墓」を紹介しました↓(重年は23代・宗信の弟であり、22代・継豊の二男)

 

 

「〇〇実母」の表記は、光久公墓所奥にも3基、 まとまってあるようです。

☆ 案内図上部に「斉宣実母」「斉興実母」「吉貴実母」と並んでいます。

斉宣公の実母は重豪後夫人(側室?)「堤前中納言長卿の女子。お千万。御内証様。春光院殿

斉興公の実母は斉宣後夫人(側室?)「鈴木甚五郎勝直の女子。お八百。御内証様。宝鏡院殿

吉貴公の実母は綱貴後夫人(側室?)「二階堂十郎左衛門宣行の女子。お重。蘭室院殿

と、なります。

 

それぞれここまで照合が大変でした(はぁ‥‥疲れた

 

 以前、「カテゴリー| 島津家の女性」として『歴代藩主の母親は?』(2021-08-24)を書きましたが、墓所の写真を整理する中で思いがけず確認することができました。

今後、気が向いたら書くかもしれませんが、元来気紛れなので先の事はわかりません

 

 では〜。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする