カテゴリー:谷山街道散策2008 第5談
引き続き、11年前に投稿した『5月の歴史探訪フォトアルバム-3』の画像をアップし直すために新たに書いています。
今回が最後で、「谷山地頭館(じとうやかた)跡」のご紹介です。
鹿児島市内南部の谷山地区にあります。現在は谷山小学校となっています。
以下、「地頭館跡」の案内板より
薩摩藩は、鹿児島城下のほか113の外城(とじょう)という区域にわかれ、その
うち直轄の外城には、地頭館(役所)が設けられていた。地頭館の周囲は、麓という
武士集落で、その外城の軍事・行政を管轄していた。
谷山には、この付近に地頭館がおかれ、周囲に郷士が住んだ。 地頭館は石垣に囲
まれ、本門のある正面側は棟石のある石造りとなり、高さ12m、長さ113. 5m
にも及んだという。境内には、杉・楠・柞・孟宗竹等があって森山といわれた。この
前の通りを仮屋馬場と呼んだ。その後、地頭館は子弟を教育する稽古所さらに立志館
とかわり、明治5年(1872)には、第15郷校となり、明治9年 谷山小学校と
なった。
「地頭」というと、すぐに「小林市の地頭仮屋跡」を思い出すのですが、こちらの「地頭館」は役所と書かれていますね。
「仮屋」というのも役所の機能ももしかすると成していたのでしょうか?「住居」的なイメージを持っているのですが。
「仮屋」で思い出すのは、小松帯刀の領地であった「吉利(現・日置市内)」の「御仮屋跡」です。
御仮屋跡にある吉利小学校や小松帯刀ゆかりの園林寺(おんりんじ)、小松家の墓地などを訪ねたのはもう10年以上前になりますが、最近またツイッターなどSNSでも「小松帯刀」が注目されているようで、また行ってみたいと思っています。
ということで、最後の画像は吉利にある小松帯刀の像です