☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

久しぶりのmixi活動

2010-04-16 13:14:05 | mixi過去日記

ヒトんちのアプリをちょこっと覗いて(なんとかアイランド?)、
どなたかの日記を少し読ませて頂いて、
自分とこのデザインを新しいのに変えて、
はい、おしまい。

メモ代わりに、今これを書いているところ。


最近の日常生活。
電子辞書で検索した事柄を
関連づけてノートに書き出しています。

どういう事かというと、、
つい最近、南北朝時代のことを題材にしている本を読む事になり、
いまいち把握しきれていなかった南北朝時代(←日本の)が
いつからいつまでのことで
どういう人がどういう事をしたのか、とか調べていたら、
気になる事が次々と出てくる出てくる!!

電子辞書では読みづらいので
書き出していつでも読み返せるようにしてみた、という次第です。
これ、結構楽しい♪
とはいえ、調べ始めると限りがないのでちょっと疲れるけど。(笑)

この2週間くらいは、
そんなことを続けている毎日です。

あとは、猫のクロに便秘予防の薬を毎日飲ませておなかのマッサージ。
今朝も数日ぶりに大量!(失礼。。)
それと、犬のハナの散歩ね。

そうそう、春の木市には先週行ってきました。
(市内甲突川河畔で春と秋に夫々2ヶ月近く開かれる庭木や花の市です)

マリーゴールドをいくつか買ってきて庭に植えたら
明るくなりました。
ピンクのバラもツツジもにぎやかに咲き出したところです。

    



と、春らしく温かい日が続いて庭の花々を楽しんでいたのに、
こうも急に冷え込んだりすると
自分も含め、家族の体調管理も大変です。

天気が悪かったり寒かったりだと何をするにも気持ちがのらずに
計画している部屋の片付けもなかなかはかどりません。

朝方曇っていたけど、お昼近くになって
やっと日差しが戻ってきたようです。
皆さんのところは、いかがですか?

ではまた。

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若き薩摩の群像と門田 明さん(mixi日記より '19年1月改訂版)

2009-09-25 14:29:11 | mixi過去日記

先日、2ヶ月分まとめて新聞の切り抜きをしていたら、
門田 明さんの小さなおくやみ記事が目に留まりました。

南日本新聞ウェブサイトより
‥‥薩摩藩留学生研究 門田 明氏死去、79歳‥‥
http://373news.com/modules/pickup/topic.php?topicid=28&storyid=19097 ←現在リンク切れ
 門田 明氏(かどた・あきら=鹿児島県立短期大学名誉教授)1日午前2時36分、前立腺がんのため鹿児島市の自宅で死去、79歳。神戸市出身。


門田 明さんは、薩摩藩留学生の研究をされていた方で、
ご著書『 若き薩摩の群像 ー サツマスチューデントの生涯 』
平成3年11月25日に出版されました。
(春苑堂出版 かごしま文庫ー1)
   
※その後、ご子息により2010年に復刻版が高城書房から出ています(☆'19.1.12 追記)
 若き薩摩の群像―サツマ・スチューデントの生涯 (鹿児島人物叢書 6)


ウチにも(おそらく母が購入したのでしょう)1冊ありますが、
今までは拾い読み程度でした。
この機会に、とじっくり読んでいたところです。
とてもよく研究されていることがわかります。


私の曾祖父の兄・名越時成(=名越平馬)
薩摩藩英国留学生のひとりでした。
ですが、「渡英の1年後(1866年)に帰国後は不明」という
何名かのうちのひとり、ということになっています。残念。。


「名越時成」さんに関する記事を検索していたら
『旅行記・若き薩摩の群像』という
素晴らしく充実したホームページをみつけました。
http://washimo-web.jp/Trip/SatsumaStud/satsumastud.htm

このサイトの方が参考にしたのが
『薩摩的幕末雑話』というホームページだそうで、
平成14年に書かれた
<第二話「旅立ちの歌-留学生たちの和歌から->
という記事がありました。
http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/zatsuwa2.htm
この『西郷隆盛のホームページ「敬天愛人(けいてんあいじん)」』
サイト管理者「tsubu」さんは大阪の方だそうです!
http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/index.htm
このサイト左側の「ご挨拶 本サイト開設趣旨」を読んでみて下さいね。


↑上記の『旅行記・若き薩摩の群像』の下の方にある
「レポート・向田邦子さんのこと」を読んだり
横道にそれること暫し。

この方のホームページも読み応えあります!
http://washimo-web.jp/

書籍紹介にも惹かれるものがあるし、「島津歳久」なんてのもある♪
で、またまた横道にそれまくるのでした~

(リンクフリーとのことなのでここにも貼らせていただきましたが
 更に転載される場合は注意書きをよく読んで下さいね。)


     ☆☆☆

この数日いろいろ検索しまくっていて
書きたいことが溜まってきたのですが、
処理が追いつきません。。

久しぶりに今和泉島津家のお墓(in 指宿岩本)にも行ってきたので
写真もアップしたいし日記も書きたいのですけど‥‥。

 

 追記('19. 9.11)

 フォトチャンネル「今和泉島津家墓地('09. 9/18)」を作りました 



なので、とりあえずこういう形で
この数日間のいくつかをメモしておくことにしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

☆この記事を投稿後、以前にも同じmixi日記を上げている事に気付きました
以前上げた記事はこちら→『若き薩摩の群像と門田 明さん(mixiオリジナル版)』
 カテゴリーは「Books」ジャンルは「ウェブログ」としていましたのでそのままにしておきます
タイトルを少々変更し、今回の記事は改訂版としました
この記事のカテゴリーは「mixi過去日記」ジャンルは「歴史」です

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ネズミがチュ~!(mixi日記より)

2008-12-24 01:21:44 | mixi過去日記

年女だった子年の今年1年。


去年の年末日記↓に倣って、今年を振り返ってみます。

やっぱり、今年を振り返ることも大事ね。(2007年のmixi日記より)



☆1月
・1月10日に「篤姫館」の会場で鹿児島の古地図を目にした↓のが切っ掛けで、
今年の史跡散策が始まったのでした。

篤姫館へ(2008.1.12 mixi日記より)


・23日には、若宮神社~篤姫生誕地~春日神社界隈を散策名越邸跡を別の空き地と勘違いしたりもしました(笑)
・それから29日には小松帯刀邸跡へ。この辺りはその昔、私の通学路でしたねぇ。。
懐かしくて、昔住んでた辺りを車で回って帰ったりもしました。

あとは、2月頭にかけて一気に外国語のページを作ったりなんかしてます。

☆2月
・1日から4日にかけては節分を挟んで、
中学校の部活の元メンバーとの再会などもあったり、
また、黎明館に「島津氏一門家の雅と由緒 ~重富(越前)島津家資料展」を
観に行き、何十年ぶりくらいに仙巌園へも行きました。猫神社へ初お参り。

んだもしたん!コモ エスタン?(mixi日記より)


2月下旬には、すっかり「篤姫」にハマってしまっています(笑)

「篤姫」を観ながら左源太さんを思う(mixi日記より)


篤姫が斉彬の養女になった辺りで、ご先祖のことに思いを馳せる毎日。

☆3月
・6日には、初めて名越どんの坂と屋敷跡を見つける↓ことが出来た。

「名越左源太別邸跡→残るはお墓探し」mixi日記より


・残るはお墓だけと、坂元墓地へ行ったり 県立図書館へ行って調べものしたり
活発に行動してますね。確かにこの頃はいつもワクワク・ドキドキでした。
日頃使わない頭使って頭痛もしたけどあっかんべー 
・3月末には、語学のラジオ講座も再スタート
今もボチボチですが続けてます。
・そうだ!20日には別のブログを立ち上げた↓んだった。結局3つもウッシッシ

「新しい《のおと》3冊。」mixi日記より



‥‥既にリンクだらけだけど、ちょっと端折って‥‥、

☆7月
・7月には若宮神社の六月灯太宰府の九州国立博物館へ展示を見に行ったり
小林市へも地頭仮屋址を見に↓初めて車で行ったりもしたなぁ。。

小林市の地頭仮屋跡




もう長くなるからこの辺で。

*太文字リンク先はそれぞれの日記です。気が向いた方は読んでみてね。 ('19.7.26 リンク貼り直し終了

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「同い年のいとこ」(mixi日記より)

2008-10-24 07:13:41 | mixi過去日記

以前から気になってたのだけど、
中学時代の女子バスケ部の集まりでもらっていた旧部員の名簿を
ふと、思い立った今月初めに
同じバスケ部員だった同い年の従姉に送ったんです。
               
彼女は私と同じ年で、あちらが3ヶ月ほどお姉さん。
遠く県外で暮らして、もう何年経ったでしょう。
子どもたちも幼い頃にあったまま。
今ではすっかり大きくなったことでしょう。


あまり、というかこれまで手紙や年賀状のやり取りをすることなく
それぞれの時間を過ごして来たその従姉に
初めての手紙を添えて送りました。


実は諸事情があって、住所を知らされていなかったので
叔母(その彼女の母親で、私の亡母の妹)に訊ねたのですが、
その際に、今どうしているのかも聞いてみました。

すると、
「今ねぇ、病気らしいのよ。入院してるんだろうけど‥‥
私もよくわからないのよねぇ‥‥。」とのこと。
「でもそれもあって、もう直き連休に帰ってくる予定なのよ。
帰って来ても滞在期間は短いんだけどね。」
という話しでした。


「え?!‥‥病気‥?」と
この時少しだけ、『虫が知らせたのかなぁ‥‥』とも思いました。
いえ、正直手紙を書く時点で、
なぜか「病気なんかになって無いか知らん‥‥。」という思いが
ちらっと頭をよぎりました。

とはいえ、普段人様に手紙を書く時にもそんな思いが浮かぶもので、
この時もそういった程度だったと、思います。

手紙と名簿は、行き違いになってもあちらには子どもも居ることだし
と、現在暮らしている住所宛に送りました。

もう少し、早くに連絡を取っていれば、様子もわかっただろうに…
とも思い、自分自身の筆無精を悔やみました。


     ☆☆☆

彼女には子どもが3人。
夫とは事情があって離婚。それからは親子4人で暮らしている。
上二人は自活して一番下の子は高校生とのこと。

私は、9年前に亡くなった母からの話でしか
彼女のその時々の近況を知ることはありませんでしたが、
ひとりで3人の子を育てる生活は、さぞかし大変だったろう、と思います。

私が前勤めていた職場にも、離婚してひとりで子どもを養っているひとが
何人もいましたから、想像に難くなかったのですが。


     ☆☆☆

しかし、いくらたっても、叔母からも当の本人からも
何も言って来ないまま10日以上が経ちました。

気にはなりつつ、それでも先方からの連絡待ちしていたのですが、
(叔母は補聴器をしているのですが、それでも聞こえづらいようで
まして電話では詳しいことが聞けないという事情がありました)
つい3日程前(21日)、弟からの電話で
従姉が肺の癌で入院しているそうだと聞いたのです。。

あまり芳しい状況ではないようだ、とのことでした。。。


まだ今、こちらにある彼女の実家の様子も状況もわからないので
(母が健在だった頃に比べると、あちらの状況がわかりにくいこともあり)
これから連絡を取ってみようと思っているところですが、
私に出来ることがあれば、出来る限り力になりたいと、思います。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

☆別のことが切っ掛けでふと4時頃目が覚め、
従姉のことも思いめぐらしているうちに眠れなくなってしまい、
それならば、と、こうして書き留めている次第です。

外が すっかり 明るくなってしまいました。


☆中学時代の女子バスケ部の集まりの様子、以前mixi日記に書いていました。
今年 2/1の日記
*同じく今年8/3の日記にも。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

'08 10/24 16時42分追記:肺の癌、というか、「扁平上皮癌」というものらしい。




☆以上は、10月24日にミクシィ日記に書いたものをこちらに転載したものです。
 

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bizaさんのブログ

2008-06-23 13:31:06 | mixi過去日記

   

 これは、過去に私がmixiに書いた日記です。リンクは現在無効になっておりますのでご了承下さい。)

 

私のブログが、
左源太ファンである bizaさんの
『幕末奄美遠島生活』に紹介されたので
リンクを貼っておきます。

左源太さんのご親戚
左源太さんのお嬢さん

bizaさんは関東出身で関東在住なのですが、
お菓子・料理好きが高じて、名越左源太が残した
『南島雑話』に3年程前に遭遇したのだそうです。

それからは、「遠島録」「夢留(ユメトドメ)」と
図書館からコピーを取り寄せたりして読み進み、
ブログにまで載せて紹介。

そのお陰で私も目にすることが出来たというワケなので、
bizaさんにはとても感謝しているのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ブログから特に興味深いものをいくつか。
どこに載ってたかすぐに忘れてしまうので
備忘録として。

bizaさんの名前の由来がわかる
ビザのこと』と、
「夢留」、イメージキャラクター登場!

犬が出れば猫も出てきます。
猫のこと
ちなみに、左源太さんが鹿児島で飼っていた猫の名前は
「花」ちゃんらしい。
奇遇ですが、ウチで飼ってる犬の名前、「花」なんです!

寝言
寝言の続き
この辺は夢留のおもしろさが際立っています。

*しかし、大河ドラマ「篤姫」などでも上級武士は標準語というのか
江戸言葉(?)を話していたと聞いているのですが、
(だから肝付尚五郎の父親役の榎木さんも標準語なのだそうですが)
左源太さんの寝言では鹿児島弁だったのですね。
それがかえってホッとしたり何となく嬉しかったりします。(笑)
出来ることならリアルに聞いてみたい、左源太さんの鹿児島弁。^^

重ねていいますが、bizaさんは関東の方です。
それにしてもよく読み込んでるな~と感心してしまいます。

左源太さんの子ども
ここで、曾祖父の名前が出てきます。まだ赤ちゃんだった頃のこと。
このあたり、妙にリアルに感じます。

今日のミニ情報ー
直木三十五の『南国太平記』に左源太が登場するということを知ったのが
この頁でした。父は知っていたそうですが。

大島の絵図を描く

「名越」の由来
「名越」の読み方にはどなたも苦労されているようで‥‥。(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それにしても、それにしてもですねー
私も知らない祖先のことを
私以上に知っている見ず知らずの方から教えていただくというのも
未だに不思議な心持ちがするものです。
本当におもしろいです。

見所読みどころ満載なのですが、まだまだ全部は読み込めません。

左源太さんメジャー化?!
左源太さん、問題発言!
ふくろう

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あ、る、っこー♪あ、る、っこー♪(mixi日記より)

2008-06-21 17:19:06 | mixi過去日記

わたしはっ、げんきぃーー
歩くの だいっすきぃー、どんどんゆ、こ、おーー♪
    

というわけで、
この1ヶ月程は、あちこち歩き廻っていました。


新聞にあった「池之上町界隈で地元の埋もれた名所を見直してみよう!」
という記事を見つけたのが始まりで、
「かごしま探検の会」のホームページを見てみたら、
翌日の18日には谷山街道を歩こう!という企画があり
せっかくなので、迷わず参加。
それからほとんど毎週のように出かけていました。

そのせいかわかりませんが、先週12日は
朝、目覚めると腰が痛い。。。
バレエストレッチも5回目の17日は休んでしまい。。
そうそう、また通ってるんです、バレエ教室。

腰の痛いのはどうにか治まりつつあります。


以下、これまでの散策記録。
アルバム作ったので、見てみてね~(←mixiでのみ☆)


     ******

5/17(土) 池之上町 町内散策

5/18(日) 谷山街道

6/1(日)
 日置市日吉町のお祭り
   "せっぺとべ"
 小松帯刀の領地~吉利街道

6/8(日)
 重富=越前島津家領地
   島津家墓地など
*途中、某テレビ局のドラマ
「おはなはん」のロケがあった 屋敷がありました。
ドラマはほとんど覚えてないけど、「へぇ~、
『おはなはん』って、こんなところでロケがあったのねー。」
と驚いた次第。タイトルだけは知ってるんだけどなぁ‥‥。
ん~、どんなストーリーだったかどこが舞台だったか全くわかりません。。

       ******

    《おまけ》

*こちらで篤姫関連のニュースが楽しめます。
http://373news.com/modules/pickup/topic.php?topicid=129 (←リンク切れです☆)

*ブログ、3つも作ったのはいいけど、
更新すること無くほったらかし状態。
ん~、困ったもんだ。。 ま、いいか。

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「新しい《のおと》3冊。」mixi日記より

2008-04-11 19:06:27 | mixi過去日記
外部ブログ、作っちゃった。

気付けばこの3月で
mixiも再登録して1年。

ちょっと違った使い方が出来ないものかと工夫してきたけど、
やっぱり別にブログを作った方がいいと思い至り
とうとう決行したのでした。

それぞれ分野を違えて使っていこうと思っています。

1冊目、3月20日に立ち上げました。
ゆきのおと Yuki's Note ♪

bizaさん、どうやってブログ見つけてくれたんだろう??
試しに「ゆきのおと」で検索しても
最初の頃はなかなかヒットしなかったけど
その後「名越左源太」を足して検索したらちゃんと出てきました。

2冊目、これは4月2日だったかな?
Yuki's Note - 2

試しに1冊目と同じ無料ブログサービスでやってみたら、
もう1冊出来ました。
ログインがいちいち面倒だけど、
気分を切り替えるのにいいかも、ノートを取り替える感じで。


3冊目、2冊目と同じ日、4月に入ってから作ったもの。
ゆきのおと♪ Part3

コレは気楽なメモとして。
わざわざ公開するようなものでもないけど
このテンプレートを使いたかっただけ(笑)

コメントもらえたら、嬉しいです。
 
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「谷山支所〜県立図書館」mixi日記より

2008-03-27 17:07:46 | mixi過去日記



昨日は県外にいる弟の国民年金納付の確認のために谷山支所まで行ったのだけど
結局納付確認については社会保険事務所ですべてやっているので
本人がそちらで確認されるのが一番ということでした。

そのあと、11日に借りていた本を2冊返しに県立図書館へ。

県立図書館へ行くのは今回が2度目。
市立図書館は知っていたけど、昔の県立図書館が博物館になってからは
どこへ移ったのか知りませんでした。
黎明館の隣だったなんて、、。^^;


そうそう、11日には坂元墓地にも行ったのでした。
そこで目にしたものは‥‥‥無縁納骨堂。

 

福昌寺から移されたものの中で、その後お参りや連絡の無いお骨は
昭和40年代(43年だったか46年だったか?)に
まとめてこの納骨堂におさめられたらしいです。。

  

 


だから、もしかしたら名越左源太さんのものもあるのかも知れませんが、
まだ確証が取れないので、もう少し調べてみるつもり。

で、これまで先祖のことを遡って調べてきたのですが、
そろそろ収束に向かいそうです。

それについては、また改めて。
  

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坂元墓地で猫の兄弟に出会う(mixi日記より)

2008-03-10 02:21:10 | mixi過去日記

  

朝から雨の一日。

夕方になって雨がやんだ。
迷わず、父を誘って出かける。

猫2匹に出会って気分が和み、機嫌もすっかり良くなった♪

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*携帯から写真付き日記を書こうと思ったら、
あまり長い文章が書けないから上手くいかなかった。。
ちょっと書き足しておきます。(3/10 AM 9:46)


        ☆☆☆


'08 3/9(日)4時半頃、雨が小降りになったので
名越左源太のお墓があるらしい市内の坂元墓地に行ってみた。


手許の資料には、福昌寺跡の長谷場墓地(現・玉龍高校)に
左源太のお墓があると書いてあったのだけど、
これまでに再三行って探してみても島津家のお墓ばかり。

そこで、前日ネットで調べてみた。
http://www2.synapse.ne.jp/hanjirou/nan/nagosi.htm
ここに書かれた(記事の中程)話によると、
都市計画のために改葬を余儀なくされ、今は坂元墓地にあるらしいのだ。

墓地管理事務所を調べてみると、興国寺墓地と兼務になっており、
しかも、「友引」の日が休み、とある。
これを知ったのが、7日の夕方。
カレンダーを見ると翌8日の土曜日は「友引」だった。

では、日曜日に行けるかなーと思って天気予報を見ると、
昼前から雨になると出ていたので、さらにガッカリ。。
雨の中のお墓探しはちょっとしんどいからね。

「これじゃぁ週明けになるなぁ…」と思っていたところ
夕方になって雨が小降りになり、ちょっとばかり陽も差してきたわけ。
これじゃぁ行くしかないでしょう!ってんで出かけた次第。

坂元墓地までは自宅から車で20~30分くらい。
団地が広がる小高い山を3つ4つ越えて行くから
ちょっと出かけるには結構な距離。

結局また雨が降ってきたんだけど、道路に沿って連なっているお墓を
とりあえず車で往復してみることに。

車を止めるスペースがあったので、
傘差してチョッとだけ辺りのお墓を見てみようとしたら、
白い猫が横切って行った。


この猫の顔がちょっと変わっていて面白い。
真っ白な体に顔だけま~るく薄墨を塗ったよう。
コントに出て来る"こそドロ"みたいな顔してるな~、と思った。
それか、昔のビートたけしがやってた「鬼瓦ゴン蔵」か。(笑)

車を降りると、子猫の声。
さっきの猫?と思ったら、お手洗いの前にあるベンチに
黒白の猫が。
目が顔の真ん中に少し寄ってて、か~わいぃ~♪

すぐにさっきの白い猫もやって来た。

2匹の顔を良く見ると、、似てる!!
目が寄ってるうえに瞳のまわりが少しブルーがかった色をしてた。
可愛かったな~。

お墓を観て回ってるとずーーーーーーっと付いてきて
私と父が立ち止まって墓石を見てる間は
2匹で辺りを追いかけっこしたりじゃれ合ったりしてた。

「また来るねー、またね~♪」と言って墓地をあとにした。

雨も降ってるし、そろそろ日没という時間に着いたわりには
15~20分程じっくり見て回れた。
でもほんの一区画。
結構大きな墓地なので、後日再挑戦です。
 

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んだもしたん!コモ エスタン?(mixi日記より)

2008-02-26 14:14:12 | mixi過去日記

☆以下、2008年2月26日のmixi日記より(画像も多く、記事も長いです)

←ハナ

☆☆☆

「んだもしたん」は鹿児島弁で、「あらまぁ、いやだ」といったような意味
コモエスタン?はスペイン語で、
¿Cómo están? =「皆さん、お元気ですか?」

昨日、ラジオ・スペイン語講座を聴いていて
「コモエスタン」という言葉が
鹿児島弁の「んだもしたん」に何となく似てる?とか思ったもので、
つまんないこと書いてしまいました~ 

あとね、現在分詞の -ando, -iendo なんてのも鹿児島弁の響きなんですよ
「にちょらんどー(似てないよ)」
「下手なこちゃ言えんどー(下手なことは言えないよ~)」
なんて感じです。
 ‥‥‥。

要するに、
「あらまぁ、気が付けばこんなに日が経ってたのね、
皆さまお元気ですか~?」
といった意味のタイトルを書いてみたところです。


すっかりお留守になってるmixi日記です。

ウチの猫のクロ、調子良くいってたので薬を減らしてみたら
いつの間にか、またしても頑固な便秘になっちゃって
バタバタと病院に通ったりしてましたけど
まぁなんとか元気でやってます。

   ↑
お多福のお面を着けられたクロ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近、といっても先週の月曜日(2月18日)ですが、
念願の「猫神神社」に行ってきました。


鹿児島市の磯の浜にある、島津家別邸跡の「仙巌園」の中にあります。

ここ「仙巌園」に来ること自体が久しぶりだったのですが、
お天気もよく、とちゅう茶店でのんびりとお抹茶など頂いたりして
とてもゆっくりと散策出来て楽しい時間を過ごせました。

梅の花が咲いて、園内の梅や桜の木にはメジロがたくさん!


写真ではあまり良く撮れなかったので分からないかも知れませんが。
あんなに一度にたくさんのメジロを見たのは初めてでした♪


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前後しますが、15日(2008.2.15)には1年半ぶりに
指宿の今和泉島津家の墓地を訪ねてきました。
すっかり綺麗になって、ベンチまで置いてありました。




*整備前               


        ↓ ↓ ↓

*整備後


忠剛さんや、忠冬さん、それ以前の先代のお墓も
ひとつひとつ表示がしてあって、わかりやすく整えられていました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

鹿児島も朝晩はまだまだ冷え込む日々ですが、
晴れた日の陽の光りや空気に
春も近いな~と思える今日この頃でございます。

もう少し暖かくなったら、
今度こそは名越左源太さんの野屋敷跡と
福昌寺跡にあるらしいお墓を探し当ててお参りしたいと思っています。

☆☆☆

以上、2008年2月26日のmixi日記より(一部補足・画像入れ替えあり)
 

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2/1~2/3 金魚、雨、いろいろ。(mixi日記より)

2008-02-04 00:43:38 | mixi過去日記


   

2/1 Fri.

中学時代の元女子バスケ部部員の命日。
去年に続いて参加。
今回は当時のバスケ部の監督(女性)とも会うことが出来た。
去年12月の集まりの際には監督は参加されたらしいけど、
私は術後ひと月足らずだったために会えなかった。
今回会って(何十年ぶりだろう!?)話が出来てよかったなと思う。

2年生の途中(夏休み明けだったかな?)
母親のリュウマチがひどくなったため
家事の手伝いをしなきゃならなくなって退部したのだけど
覚えていてもらえたのは嬉しかった。
(チビで痩せっぽちだったからレギュラーにはなれなかったし
 果たして覚えているものか分からなかったんだ)

お墓参りを済ませた後、
中央駅西口近くの住宅街の中にある
こじんまりとして落ち着いた雰囲気のお店で食事。
あれこれ話をして、気が付いたら2時間半くらい経っていた。

*写真1はそのお店にいた「ピンポンパール」という
中国の金魚らしい。まんまるで可愛い。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2/2 Sat.
先日黎明館に行ったときに目にした
「島津氏一門家の雅と由緒」
ー重富(越前)島津家資料展ーを観に行く。


生憎の雨。でも、そのお陰か来館者も少なく
全くの余裕で観て回れた。
(ついでに写真も余裕で撮れた。しばらくして見学者が増えてきたから
 ちょっとドキドキだったけど。< 笑)

丸に十の字の紋がたっぷり入った黒塗りのお椀や匙。
薩摩切子の飾りや器などもいろいろ展示してあったけど、
重富家の成り立ちや文書の解説などや
第21代藩主島津吉貴やその嫡子・22代継豊が描いた絵などもあり、
1842年当時の鹿児島絵図(地図)も興味深く
じっくり堪能出来た。

今度は尚古集成館と猫神社に行こうと決めている。

*先日行った名越邸跡、場所が判明しました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2/3 Sun.
今日は1日写真のアップ。
鹿児島も風が強く曇りで
日射しも無く寒うございましたw!

でも、TVで照国神社の節分の豆まきの様子が出てたけど、
一時的にお天気良かったみたい。たくさんの人が集まってた。

クロに今年は「お多福」のお面をつけてみた。
写真は、うまく撮れなかったけど
気が向いたらアップします。 →→→ ※その後「2008年2月26日の日記」にアップしました('17.10/29 追記)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2/4. Mon.
クロの写真はまだデジカメの中。
猫神社のガイドマップの写真をアップしときましょ♪
                ↓この子は近所の猫さん。



磯庭園「仙巌園」のちょっと奥まったところにあるらしい。

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《食事をしに鶴丸城跡へ そのあと四大浮世絵師展を楽しむ》(mixi日記より)

2008-01-28 00:11:38 | mixi過去日記

今日(27日)の「篤姫」見ていたら、 
冒頭の島津斉彬と家臣とのシーンで 
屋敷の格子窓の向こうに桜島が見えた。



図らずも、お昼に私はそこにいた。 


     ☆☆☆ 

前々から行こうと思っていながら他のことを優先していて 
なかなか行けなかった「四大浮世絵師展」が 
今日までだったので出掛ける事にした。 
 

でも、日曜日だから市立美術館の駐車場は空いてないだろう、 
ということで、照国神社の「戊辰駐車場」へ停めて 
歩いて行く事に。    (↑すごい名前でしょ!?)

 

 

お昼を食べずに出てきたので、まずは 
" 黎明館 "の1Fで食事を摂った。 
 

展示会場である市立美術館を通り過ぎて、 
500mほど行ったところにあるこの" 黎明館 "が実は 
鶴丸城跡なのです。 

 

  

昔から当たり前にそこにあった鶴丸城跡なので、 
観光客でもない私は写真を撮った事が無かったのですが、 
せっかくの機会だからと、いろいろ撮りまくってきましたよ。 

鶴丸城跡には明治34年、鹿児島大学の前身となる 
第七高等学校造士館が創立され、昭和25年に閉校。 
  

城壁のまわりの水路にはたくさんの大きな鯉が泳いでいたり、 色とりどりの花が植えられていましたチューリップチューリップ 
 

 

浮世絵は専門的な事はわかりませんが、 
意外に絵が小さいんだなぁ、と思いました。A4のサイズくらいかな? 
もちろん大きいサイズの作品もあるんだけど、 
歌麿なんかの絵は当時のブロマイドのようなものだからね。 

最終日の日曜日ということでさすがにひとが多く 
見る人は自然と列になってゆっく~り進んでいたので、 
私と父は全てをじっくり見ることはせずに、面白そうな絵を選んで 
時にじっくり、全体的にはサササーーッと見てきました。(笑) 

私の知り合いなどでも歌麿が人気あったようですが、 
北斎の絵が良かったなー富士山波 
夜藍色が綺麗ぴかぴか(新しい)ハート達(複数ハート) 
他の色もそうなんだけど、全体的に鮮やかな印象ぴかぴか(新しい) 

帰りに画集を買って帰りました。 
 

今日も出掛ける時は曇り空でしたが、 
食事を終わって美術館に移動する頃には薄日が射していました。 
  

私、前は「雨女」だと思っていましたが、 
最近「"若干"晴れ女」になったようです。晴れ 


*お昼に食べたうどん、おいしかった~るんるん 

ひょいとお箸でつまんだらこんな結び目がexclamation ×2 

 



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

《フォトアルバム》 

「鶴丸城跡周辺-1(第七高等学校→現・黎明館)」 
http://mixi.jp/view_album.pl?id=10434618&owner_id=10666577&mode=photo 

「鶴丸城跡周辺-2」 
http://mixi.jp/view_album.pl?id=10441190&owner_id=10666577&mode=photo 

 

 フォトチャンネルを新たに作りました

「鶴丸城跡周辺-1(第七高等学校→現・黎明館)」 

 

「鶴丸城跡周辺-2」 (お堀の周りを散策、鯉がたくさん!)

 

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そろそろ新年のご挨拶など (mixi日記より)

2008-01-07 01:53:34 | mixi過去日記

いつもお読み頂きありがとうございます

以下、2008年1月7日のmixi日記より

もう7日になりますが、
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。


暮れの29日あたりから急に冷え込んで、
元日は午前中みぞれ混じりの雨から雪に変わりました。

 
日が沈む頃には夕焼けも観られました。

元日に初詣は出来ませんでしたが、
4日、とてもよい天気になったので
照国神社に参詣してきました。
  

境内の隣の島津斉彬像なども眺めつつ、しばし散策。
猫とやたらに遭遇したので、ちょっと嬉しかった♪
なごみのひと時でした~(^-^)
     

こんな猫も出てきましたよん。

 

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やっぱり、今年を振り返ることも大事ね。(2007年のmixi日記より)

2007-12-28 12:16:02 | mixi過去日記

来年の占い・予想の前に、
今年のことをもう一度考えてみたり。

でも正直言うと、一年通してじっくり振り返ってみることは
これまではあまりなかったような気がする。

で、まず手始めに、mixiの日記を
日記一覧で月ごとに眺めてみることにした。

新たに登録し直して始めた3月は、日記は4件。
写真は春の花が並んでいる。

4月は25件。
時期的にもやはり花の写真が多い。
日記の内容としては、読んでる本や音楽の話がちらほら。
鈴木ヒロミツさんが亡くなった、という記述も。

5月。12件。
ロシア語&台湾語の写真。


「ナポリ通り」「ゴンザ通り」の話。

通りの名前 ー "Napoli" e "Gonza"(mixi日記より)

月後半は初夏の香りも。

*そうそう、今年11月に入って
ナポリの方からメッセージをいただきマイミクになりました。
イタリア語を実践で勉強中です。まだまだ辞書を引きつつですけど。

6月は18件。
梅雨入りの話。「SONGS」の話。
音楽や本の話。月末には近所の上棟式の話で締めくくり。

「雨の日の棟上げ(=上棟式)」mixi日記より


7月はまた少し増えて25件。
古書展に行き、MLBを観、miklyの名前占いをやったり。

古書展に行きました。

台風4号のあと、新潟の大きな地震。
7月の18日には梅雨明け。今年設定された「猛暑日」も続いた。
そういえば、今年は初めて「バレエ」を習いに行ったのでした。

8月。27件。
「早起き」の日記もあるけど長続きはせず。
ミネソタで大きな橋が崩落。流れ星。ペルセウス座流星群。
「竹久夢二と大正ロマン展」を覗き、
初めて行った寺山公園からの眺めを楽しみ、

「寺山展望台へ。(8月23日 処暑)」mixi日記より

「ルーベンスとブリューゲルの時代展」を観に行き。
8月14日には山口小夜子さんが亡くなりました。
28日には皆既月食。
この頃私はスペイン語の勉強に没頭していたのでした。
今はちょっと休憩中。

9月は16件。
10月、5件。
日記には書いてないけど、七宝焼の作品展を観に行った。
七宝焼で描かれた大きな絵画を観たのは初めてで、ちょっと感動。

そして、11月。13件。
なんといっても特筆すべきは入院・手術のこと。
私の場合、症状としては大した支障はなかったものの、
例えば求職するにも「体を動かしたい!スポーツしたい!」と思っても
何かと制約が多かったから、今回の処置のお陰でこれからもっと
充実した日々を送れるようになると期待しつつ過ごした12月でした。

来年に大きな希望をもって年を越せることに感謝しつつ
今年を振り返ってみました。
 

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高橋ちえこ著「ゆきえ」を読んだ。(mixi日記より)

2007-08-20 13:59:21 | mixi過去日記

6月29日に古書展で買った「ゆきえ」という本。


<本のコピーより>
「原日本、隼人の大地を舞台に、命の糧の水を引き、その為に
 非業の死を遂げた少女の物語。」

☆高橋ちえこ著「ゆきえ」/高城書房 (1998/03)

☆高橋 ちえこ
鹿児島県鹿児島市出身
著書には「筑紫の日向の宇佐邪馬台国 」 新風舎 (2003/12)
「宇佐邪馬台国?もうひとつのまほろば 」葦書房 (1984/06)
などがある。
https://www.amazon.co.jp/高橋-ちえこ/e/B004L20634/ref=sr_ntt_srch_lnk_26?qid=1518239496&sr=1-26&follow-button-add=B004L20634_author


関連して邪馬台国に関する面白い一覧があった。
http://inoues.net/waj.html

     ☆☆☆

それにしてもこの高橋ちえこさん、一体どういう人なのかと興味が湧いてきてググってみたけど
あまり詳細は出ていなかった。

この「ゆきえ」という本は、著者の創作ですが、 その元になる少女の伝説は地元に残っているものだとか。

 2つの川(北の山田川と西の蒲生川)に挟まれていながらも、川よりも高台にある集落のため水が引けずに稲作も出来ず、厳しい年貢取り立てなども重なり困窮する暮らしに、大人たちは隠れ念仏で神仏にすがるしかない。そんな状況の中、ひとりの少女「ゆきえ」が、川の上流部分から自分たちの集落に水を引くことを思い立ち、集落上げて取り組んだ末に水の恩恵を受ける暮らしを手に入れることが出来るのだが、それがもとで、大人たちの様々な思惑のために非業の死を遂げる、といった話。

鹿児島弁を織り交ぜて書かれているのだけど、巻末には標準語訳も出ているので、その辺りに関しては 比較的わかりやすく読めます。

地元鹿児島の話といっても、私としては日頃関わりを持たない地域(隼人および姶良加治木方面)のことで、最初は少し馴染むのに時間を要しましたが、太古の昔からの習わしとか 舞台になる「中津野」という地名は大分県中津が由来名である、 とか、またそのいきさつなども書かれていて、 思わず引き込まれて読み進めずにいられない本でした。 詳細について検証する能力は全く持ち合わせていませんけどね。


ただ、途中で現代に置き換えたり外国の歴史などを引用して例え話になったりするために、ちょっと戸惑うところもあったり。

物語の舞台が、県内でも位置的にはわりと鹿児島市内から近い 場所なので尚更興味深いのだけど、ちょっと摩訶不思議な印象も 受ける本でした。


最近自分自身の先祖「名越左源太」に関わるサイトを調べたり 手許にある「南島雑話の世界」や史料を読んだりしている中で、 これは江戸時代末期の農家の様子を知ることが出来て、また、 郷土の歴史の違った面を感じ取れたのは今回の収穫でした。

     ☆☆☆

余談ですが、著者の名は私の母の名と同じ音、 生み出された本は私と同じ名だったので、
「これは買わないわけにはいかないでしょー」と 購入したのでした。ちょっと面白いでしょ?(笑)
 

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