☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

吉貴公と月桂院からの、宗信公「古の遺愛」

2018-05-19 23:52:10 | 『古の遺愛』と島津宗信公
 
月桂院とは
前の記事で「月桂院」の名前が出てきましたが、もう少し詳しく説明したいと思います。名越家の歴史がここから始まったと言えるお話です。島津吉貴公(左奥)と月桂院様の御墓(中央)......
 



こちらも去年の今日のブログ記事案内より、再度アップ。

☆関連した記事もあります
『「古の遺愛」とは?』

こちらも↓読んでみてくださいね☆

『☆雪見月のチェストブログ☆』
「福昌寺墓地(3)第23代・島津宗信と その母・妙心院殿の墓」

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去年の同じ頃のこと

2018-05-19 23:20:39 | 第21代藩主島津吉貴と継嗣島津継豊
 
今日のツイートから
今日は、改めてこのブログを書き始めた切っ掛けをTweetしてみました。元々は歴史好きではなかったのです。子供の頃は父と兄がテレビで大河ドラマを観ながら語っているのを聞いても訳分か......
 



「去年のブログ記事」の案内がメールされてくるので見てみた。

ここ2〜3日同じような題材でnewバージョンの日記をアップしたところだった。
別のブログですが。
よろしければ覗いてやってくださいまし(^-^)

『☆雪見月のチェストブログ☆』
「福昌寺墓地(2)第21代・島津吉貴公の墓所」

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舞台は奄美大島へ

2018-05-14 11:58:58 | 大河ドラマ『西郷どん』

夕べの『西郷どん』を観て思った事・分かった事など。(ほぼアメブロ『ゆきの時間』とかぶりますがご容赦を^^)

西郷隆盛が奄美大島へ向けて鹿児島を発ったのは安政五年(1858年)の暮れで、奄美大島竜郷村阿丹崎に到着したのが翌年(1859年)一月十二日ということです。文政十年(1827年)十二月七日生まれなので満31歳とひと月ですね。

わが家の先祖である名越左源太時行(時敏とも)が「お由良騒動」の連座で奄美大島に即日遠島を命じられたのが嘉永三年(1850年)三月のこと。 
ですから、西郷さんが奄美へ渡る9年近く前です。

奄美大島に即日遠島を命じられたのが三月二十七日、翌日鹿児島から出航し山川港に着いたものの、風向きの関係で「風待ち」もあり、投下後の四月八日明け方、ようやく順風になったので山川を出航。その後も風向きが急に変わったりしたために途中で口永良部島へ引き返し、ここでも「風待ち」十八日間!四月二十八日に口永良部島を発つと、翌日午前、名瀬間切仮屋元に着船。
鹿児島城下出帆から三十一日目のことだったそうです。(※以上は名越 護(なごし まもる)氏の『南島雑話の世界』より引用)


その後、藩主・島津斉彬の「赦免通知」を受け取り、またまた風向きの関係で半年あまり島に滞在した後、実際に鹿児島城下へ帰ったのが安政二年(1855年)六月二十一日。 

ですから、その3年半後に西郷さんが奄美へ渡るんですね〜!
前後して渡っている事は知っていたのですが、比較したのは初めてでした。


名越左源太が生まれたのは文政二年の十二月二十八日(1819年、但し旧暦なので実際は1920年2月か?)ですから、遠島になった当時は満30歳。

西郷さんとは8歳違いで、奄美へ渡ったのがほぼ同年齢だった、ということがわかりました!

ただ、左源太の場合、妻も子供もあったので、そこが西郷さんとは違っていました。
詳しくはこちらを『名越左源太泰藏の子供たち』

私の曾祖父(=左源太の次男)が生まれたのは嘉永三年(1850年)の一月も終わりの頃なので、生まれて2ヶ月そこらで父である左源太が遠島になった、というわけです。。(涙)
そして、帰って来た時には5歳になっていたんですもんね〜(!!)
「父上、初めまして」って感じですね。

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2008年3月6日「皷川タンタドの名越左源太別邸跡」を探し当てたことなど

2018-05-14 11:38:38 | 歴史探索
「皷川タンタドの名越左源太別邸跡」
2008年3月9日のmixiフォトアルバム日記より3月6日に撮影した「皷川タンタドの名越左源太別邸跡」を過去日記にアップしました。☆ 写真多めです。その前日のmixi日......


以上は昨年5月8日の記事です。
当時撮った写真の誤字、現在「Magoya」は「Nagoya」に訂正されています。
コメント (12)
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