☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

浄光明寺と南洲墓地 in 2018

2021-08-25 17:05:29 | 浄光明寺と竹公園

 今日もご覧いただきありがとうございます

 

さて、これまで島津吉貴公や竹公園のことは記事にアップしていましたが、

 ☆郷土史探訪の日々<1. 西郷南洲顕彰館~竹公園(mixiアルバムより)

 ☆西郷南洲顕彰館と竹公園

 ☆「西村天囚」からの「島津吉貴の時代」

先日の南日本新聞の桐野作人さんのシリーズ記事『かごしま街道見聞記』【29】で、

「浄光明寺」の名前が上がっているのを知り、このブログ内で検索してみたところ、

2017年6月25日の『西郷南洲顕彰館と竹公園』の1件だけでした

多分FBでアップしたことで、このブログにも残したつもりでいたようです

 

と、いうことで、今頃ですが3年前に訪ねた時の画像をアップしたいと思います 

  画像は全て、2018年3月30日撮影

 

 

 

 

浄光明寺、場所はどこかというと、南洲顕彰館の駐車場から南洲墓地の入り口鳥居へ向かう途中、右手にありました。

進行方向左手は南洲墓地です。

 

更に進むと南洲墓地の鳥居が見えます。

 

浄光明寺の堂内には入りませんでしたが、建物の周りには仏像がいっぱいありました。

   

ここからも、桜島を望めます。

 

 

 

すぐ横には長い階段が2つあり、急な傾斜の男階段、緩やかな方は女階段だそうです。

 

 

 

仏像が並ぶ庭から振り返ると、向こう側に南洲墓地の墓石が見えます。

 

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郷土史探訪の日々<2. 南洲墓地~南洲神社(mixiアルバムより)

2017-06-28 00:15:24 | 浄光明寺と竹公園

☆☆☆ 前回『郷土史探訪の日々<1. 西郷南洲顕彰館~竹公園(mixiアルバムより)』のつづき


2008年 1月13日 日曜日撮影。
(写真は全て9年前のもの。但し、☆マークの書き込みは2017年6月27日追記)

西郷南洲顕彰館の後ろにある竹公園へ昇り、それからぐるっと回って南洲神社〜南洲墓地へ。






西郷南洲翁のおしえ  「負けるな」とは、自分に負けるな、ということ。弱いものをいじめちゃいけません。





神社の受付に、かわいい猫さんがいたので撮ろうとしたら隠れてしまいました。ちょっと脅かしてしまったみたい。。
ごめんね、ねこさん。白足袋ちゃんの♀猫でした。あぁ、、敷物がくしゃくしゃです~(笑)

☆訪れたのは1月。梅の季節でした。


☆神社の鳥居を背に振り向くと‥‥、


☆南洲墓地です。(南洲神社と隣接)


☆そして、西郷さん初め、西南戦争戦没者のお墓がどーーーん!と並んでいます。




☆西郷隆盛のお墓

☆村田新八

☆辺見十郎太

☆永山盛弘(永山弥一郎)



☆写真撮ってたら、猫ちゃんが♡(お隣の南洲神社の受付にいた猫だったと、今になって気づいた←'17. 6. 27 記)


西郷小兵衛(こへえ=隆盛の末弟)の墓。 後ろには「町田」の文字も。
 顕彰館で購入した「墓石一覧」で確認→「町田実文」って誰だろう?


☆そして、名越姓のお二人。

☆家紋は「開き三本傘」。やはり繋がりがあるのかしらん?別の家系と聞いていたのですけど。
 (残念ながら今はもう見ることが出来なくなっている『墓標を縫って 南洲墓地にて』というホームページにありました。)


☆こちらのお墓、丸十ではなく十字架のように縦棒が長め。ネットで見かけた永吉島津家のお墓の家紋もこんな感じ。
 やはり「栗川」は永吉島津家と繋がり深い?(尚古集成館HPより「島津豊久」の項)
 ※「永吉島津家」 島津久敬 島津登 
 ※当ブログ関連記事「名越右源太篤烈とは?」



☆☆☆

以上、先月26日、西郷南洲顕彰館を久しぶりに訪ねたことに関連して
過去のmixi フォトアルバムから加筆掲載してみました。


☆ところで、どこかに『墓標を縫って 南洲墓地にて』が移ってはいないかと検索かけてみたところ、見つからなかったのですが、
 拾い物と言っては失礼ながら、南洲墓地に関してとても解りやすく紹介されているサイトを発見しましたのでご紹介します。
 私の拙い私的日記とは比べ物にならないくらい、詳しいです。是非ご覧下さい。
  ・こちら→『幕末・維新風雲伝』

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郷土史探訪の日々<1. 西郷南洲顕彰館~竹公園(mixiアルバムより)

2017-06-27 22:49:27 | 浄光明寺と竹公園

☆ 2008年01月20日作成の mixi フォトアルバムより

 ’08. 1/13日曜日。
西郷南洲顕彰館~南洲墓地~南州神社。
そのあと福昌寺まで行きました。
(*写真は2回の記事に分けて掲示することにします)
福昌寺には島津家歴代のお墓があります。
今、郷土史(主に島津氏史)にハマっています。

まずは、西郷南洲顕彰館へ。

西郷南洲顕彰館の駐車場からの眺め





顕彰館の後ろにある竹公園へ。





☆ところで、顕彰館を出て右手には「太宰府天満宮の梅」の説明板があり紅白の梅が花を咲かせていました。(← ☆'17. 6. 28 追加掲載)
 梅の写りが悪くてごめんなさい。。(写真は2008年当時のものです)




☆☆☆ 続きは次回へ→『郷土史探訪の日々<2. 南洲墓地~南洲神社(mixiアルバムより)

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西郷南洲顕彰館と竹公園

2017-06-25 22:29:14 | 浄光明寺と竹公園

桐野利秋の直筆文書が昨年末に見つかり展示されていると、ツイッターフォローしている方の投稿を目にして
数年ぶりに顕彰館へ行くことにしたのは先月も末5月26日のことでした。

《遠矢浩規さんのツイート ↓↓》



mixi日記を遡って確認すると、もう9年も前の
2008年1月13日の日曜日に父と訪ねたきりでした。

☆あとでmixi日記を当時の日付けでアップする予定


そこで見つけたのが、顕彰館の建物の裏手にある「竹公園」!


残念ながら先月行った時は時間的に余裕が無く、裏山に登ること無く帰りました。。

なので案内板だけ撮りました。向こう側に隣の南洲墓地が見えます。

☆以下の写真は9年前に撮影したもの(写真の地図上部)





ご存知の方もおありでしょうけど、ここには浄光明寺があり第21代島津吉貴公のお気に入りの場所だったと聞いたことがあります。
その吉貴様が琉球から中国江南地方の孟宗竹二株を取り寄せ、磯別邸に植えられたそうです。

案内板にあるように、そこから日本全国に繁殖した、とあります。

「えっ?」と思われた方もおられると思いますが、正直なところ私も
孟宗竹なんて今ではごく普通にあるものだし、にわかには信じられませんでした(笑)

でも、何にでも始まりはあるものなんですね。


9年前の1月、ここが私にとっても特別な場所になった、そんな気がしています。
なぜかというと、吉貴様のお気に入りの場所であり公(=浄国院殿)の墓所があった場所だから。
                  (現在、お墓は福昌寺跡の島津家の墓地にあります)
 ☆これについてはコチラの記事をどうぞ→『月桂院とは』



写真の転載厳禁

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