以前、外出先でもふと気になった時に困らないようにと、小さなノートに家族・親族、祖先の命日と、せっかくなので誕生日も書き記すことを思いついたのです。
(何故なら、父方母方ともに墓守り状態の親子なので。)
で、実際に途中まで普通に日記やメモとして使っていた月毎のカレンダータイプのダイアリーに、左源太さんはじめ、曽祖父母や祖父母、伯父伯母などの命日・誕生日など書き込んで使っていたのです。
が、見栄えも使い勝手も悪いので改めて清書しようと、去年だったか、手帳サイズの薄型のダイアリーを準備して途中まで書き込んで、その後手付かずだったものを、最近ようやく仕上げることができました。
ひと仕事終えた気分のyukiです。(⌒-⌒; )
さて、4月といえば、10日は愛犬ハナの命日でした。もう3年になるんだなぁ。
去年の7月にはクロまでお星様になってしまいました。寂しいものです。。
ご先祖の話になりますが、7日は曽祖母ツタの命日。ツタは轟の妻で実家は三原家。
三原のお母様は、轟の姉・川上いささんが記した『都見物日記』にも登場するのですが、それ以外にはさっぱりわかりません。
ツタさんは夫・轟が亡くなった翌年、大正12年4月に台湾・高雄の屏東で亡くなっています。
また18日は、轟の養母・スガさんの命日(明治35年没、享年65)。
轟が今の我が家の家系に養子に入ったのは、明治15年3月18日。
以前にも書いたように、祖父・篤彦が生まれた翌年なので、姉のフクさんと一緒に父母に倣って今の姓になったのですね。
ところが、養父・用行さんについては、亡くなった後に養子縁組みとなったのか、戸籍(除籍謄本)を見ても戸主が轟になっているので、生年・没年とも不明。
以前市役所で訊いたところ、轟以前の古いものは既に記録が残されていないとの事でした。
曽祖父より先は遡って調べることは出来ませんでした。
なので悲しいかな今の家の縁戚関係から何から詳しいことはことはさっぱりわかりません。
ただ、スガさんについては〈天保8年正月11日生れ 上竜尾町・島津對馬・長女〉とあります。
この島津對馬(※)って誰なんだろう?
あと、29日は轟の姉、いささんの命日。大正9年に80才で亡くなっています。
いささんと轟とは養子に行ったあともずっと親戚の繋がりががあったようです。
そこで、『都見物日記』に再び興味が湧いてまた読み返してみたりしているのですが、、、。
今日はこの辺で。
(※「島津對馬」についてはのちに記しています。2023. 12.18 追記)
下記のリンク参照
『島津對馬の長女・スガ』(2018-01-11 カテゴリ: 曾祖父・轟のこと)
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『大野多宮久甫と関山糺金生(孚)』( 2020-11-06 カテゴリ: 今和泉島津家墓地 )