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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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島津氏と北郷氏と禰寝氏の沼へ

2021-09-07 13:34:09 | 島津重年公の母・嶺松院殿
昨日はちょっと歴史沼にまたハマってしまってアップアップしていました。
Wiki情報ですが、
「広大院(茂姫)」の母親で、島津重豪の側室
「慈光院(市田氏お登勢の方)」の弟、「市田盛常」から始まって、
 
重豪から「近思録崩れ」
「樺山久言」→「島津忠貫」→「島津忠紀(重富家)」→「島津貴儔」
 
☆貴儔の娘・都美は島津久門(のちの重年)の正室。
第8代藩主・島津重豪と「佐土原藩主・島津忠持」の外祖父、及び
第11代将軍徳川家斉の御台所・茂姫の曽祖父にあたる。 (Wikiより)
 
で、「島津忠持」… 日向国佐土原藩9代藩主。島津宗家の島津重豪の従弟であり、義理の甥である。→その父「島津久柄(ひさもと)」
 
また、島津重年は島津継豊の次男として鹿児島城で生まれ、加治木島津家当主・島津久季の養子となる。なお、継豊と母・登免(○松院殿)との子は重年(幼名・善次郎、久門)一人であった、と。
  (※○は山冠に松←Wiki情報による) 
   『島津歴代略記』では「嶺松院殿」
   カテゴリーに「島津重年公の母・嶺松院殿」を作っていたけど、
  何を書きたかったのか失念。なのでこれをカテゴライズしておく(同日14:15追記)
 
その重年の母が島津久房の娘・登免であることから久房を調べると、
「島津久房(求馬)」‥‥と、求馬家の人でした!
島津光久の十八男で、岩崎に宅地を与えられたことから「岩崎島津家」「岩崎家」と云うらしい。
なるほど岩崎谷の屋敷跡、合点がいきました。こんな古くからあそこが求馬家屋敷だったんですね!
 で、久房は組頭番頭と務め、小林郷地頭を兼任。
        あとで『島津歴代略記』をみたら前にも目を通した事柄だったけど、
   「岩崎島津家」と云うのは知らなかった。(同日14:15に追記)
 
 
「島津久明」‥‥ 島津光久の十男で、(中略)‥‥大抵の史料では
「島津大蔵久明」で知られる。薩摩藩家老などを勤める。
禰寝清雄の長女を妻とした関係で、小松家に養子を出すことが多く
(中略)‥‥小松清香から小松清楢(きよもと/きよみち)までの小松家投手は久明の子孫である。‥‥云々、とありました。(Wiki情報より)
 
「小松清香(きよたか)」島津久春(島津久明の長男、のちに久純に改名)の次男として誕生。
 
等々ありまして、
 
元和3年(1617年)、島津家久の四男として鹿児島で生まれる。
寛永元年(1624年)、兄・光久らと共に江戸に移り人質となる。
   父:島津家久 養父:島津久敏、北郷忠亮
   兄弟:島津光久、島津忠朗、島津忠広、町田忠尚、島津忠紀、他
 トップ画像は川口素生氏の『島津一族』より(ここには家久三男とある)
 
ここで「北郷氏」が出てきたので、
北郷氏から家祖「北郷資忠(すけただ)」を見て、
そこから一気に島津家初代まで遡る事になりました(笑)
 
北郷資忠は南北朝時代の薩摩及び日向武将。
薩摩守護島津氏の有力支族である北郷氏初代当主。
島津宗家4代当主である「島津忠宗」の六男。
 
 付け焼き刃的だけど、また今後、これが生きることがあると思いたい
コメント
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