☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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寺山用央と名越恒篤と二階堂省行與右衛門

2019-10-13 00:33:13 | 通昭録

 9月20日のFBで書いたものです。

アップした後に気付いた事もコメント欄から拾ってまとめてみました。備忘録として。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 

数日前父方祖母の父親・寺山用之の兄「寺山用信」で検索かけたら「寺山用央」という名前が載った『鹿児島県史料集 (55) 通昭録(四)』(鹿児島県立図書館)が上がっていた。

 

「樺山」とか「美代(みしろ)」とかの見慣れた名前もある中で、8ページに「寺山用央」の名前が出てくる。(14ページ以降にもある)

※「美代清○」という名前は、曽祖父の戸籍に一時養子入りした「町田久成の娘てう」さんの子供が「美代姓」なのだけど、繋がりがあるのだろうか?

関連記事 → 『テウさんについて

 

11ページには「名越恒篤 左源太」の名前も??
この人はいったい‥‥だれ?

そもそもこの史料集の意味がよくわかっていませんが‥‥(汗)

 

 ‥‥‥とここまで書いて数日後

 

「11ページ」の「名越恒篤 左源太」って誰?って書いたけど、自分のブログ読んでたら書いてあった(笑)

初代・名越恒渡(つねただ)の孫、すなわち三代目さんでした〜

(ココの文章の「☆3」をお読み下さい)

月桂院とは』 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

〈 これより10月12日 追記 〉

この、『鹿児島県史料集 (55) 通昭録(四)』(鹿児島県立図書館)は、平成28年3月刊行のようです。

「『通昭録』は江戸時代後期 得能通昭(享保十四年生まれ 寛政元年没)郡奉行や勧農使として務める傍ら収集したものを江戸在勤中にまとめたものです。」とありました。

また収録内容に関しても巻頭に鹿児島県立図書館長・原口泉先生の「刊行のことば」があるので読んでみて下さい。

 

  また改めて名越恒篤の前後の歌や名前を読んでみると、「二階堂省行 與右衛門」の名で

   「甲申の月見かてら名越恒をとむらひてよめる」とありました!

 

この方、『島津家家臣団系図集 下巻』で確認したら、p.312に

231 二階堂氏「藤原姓維遠流」(蔀(しとみ)家)に「与右衛門(城下士小番二階堂与右衛門家)」とありました。

☆ちなみに二階堂氏の「二男家筋行恒流」(源太夫家)子孫、二階堂行三には名越左源太時敏の姉が嫁いでいるようです。

 

 

 なお、この名越恒篤の「望月の今宵はよしやくもるとも又こん秋の光こそ見め」歌はp.107下段にも「重出」として載っており、

 

つくりなすみきりにつゝく海山はあかぬ詠そ世に類ひなき
八月十五夜名越恒篤君をとふらひてよめる 
  私云(去)君時罷蟄居  二階堂省行
(重出)
 望月の今宵はよしやくもるとも又こん秋の光こそ見め(67オ)
   返し                  名越恒篤
 問ひ寄し人の情をみつ月に心のくまもはれてうれしき 

                       寺山用央 

 

よくよく読んでみると、p.110にも恒篤の名がありました。

  山かせのかよ(な)ふ麓の秋の色に心もなひく小田の民草 

   さま〳〵に味をつくしの田面哉 

                  名越恒篤歟 
 
 
美代清相に関してはp.109に
  はてしなき遠き東の隅田川たえぬ流をいつまてか汲む 

                      美代清相

 
とあったり、p.8、p.14にも数多く載っています。
 
 
 この様に、ネット検索で読めるのはとてもありがたい事ですね
 まとめて下さった得能通昭氏にも、中山右尚氏はじめ刊行に携わられた方々にも感謝します。
 
 
 
肝心の「寺山用央」については、寺山氏二男家別立の中にその名前があります。
(2019.10.13  15:30 追記)
 
「用親」【二男家別立】初 久起権右衛門 母 喜入安房久亮 臣 田代五右衛門 妹
 |
「用信」太次右衛門
 |
「用央」 太次右衛門 示顕流免許皆伝    
              東郷藤兵衛実満 弟子
 
 この二男家の子孫に「寺山修司」の名前もあります。
 
コメント
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