☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

25th, July

2009-07-25 14:59:16 | 日記
先々週の土曜日、11日に
かごしま探検の会の定例まち歩きに参加してきました。
7月は「鹿児島の団地めぐり」。
市内の団地を貸し切りバスで5つほど廻り、その内の2カ所(星ヶ峯と皇徳寺)ではバスを降りて
少しばかり歩いて廻り、普段見落とされがちな隠れた名所を訪ねることが出来ました。

詳しくは↓別ブログに。
『ゆきの時間』



7月22日は皆既日食でしたね。
離島などを除いたほとんどの地域では部分日蝕。

私のところでは雲に隠れて見られませんでした。
10時35分頃ほんの少し晴れ間もあったのだけど
日蝕でかけた太陽は見ることが出来ませんでした。。
三日月のような木漏れ日を楽しむつもりだったのに、
とても残念。

ただ、3年後の2012年5月21日には
金環食が見られるそうです。

また次の天体ショーを楽しみに待つことにしましょう


*8/16、2012年の金環蝕を5月12日と間違って書いていましたので、
訂正しました。 
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名山堀散策3

2009-07-09 00:26:12 | 名山堀散策

名山堀散策2』からの続きです。


*Topの写真は鹿児島市役所本館の一部分。横の路地を入ったところには、父と母が結婚写真を撮ってもらった写真館があったらしく、通り越しによくよく見ると今もまだありました。人前結婚式で披露宴などなかったので、「せめて記念に写真くらい撮ろうか。」ということでお願いしたそうです。昭和33年3月のことです。そんな話も聞きつつの散策でした。

こちらは、市役所から少し歩いたところに昔からある傘屋さん。以前、何度か母に頼まれて傘の修理をここでお願いしていました。今見ると、以前とは名前が変わっていて、偶然にも母の名前に!ビックリでした~(笑)



さて、名山町商店街を一通り巡って、ドルフィンポートの駐車場へ向かいます。

この界隈、ちょっと立ち寄るにはまだ少し早い時間ですね。

路地の突き当たりの道路。少し曲がりくねっています。堀の暗渠でしょうか?


ここは「東名山町飲食店街」だそうです。


通りの向こう側まで暗渠が続いていました。


この十字路を左へ曲がり、しばらく歩くと‥‥、


さて、いよいよゴールも近い。最初右手に見えていた「琉球海運」の建物が左手に見えます。


幹線道路へ出てきました。


石造りの古い建物があります。


この辺りは古い石蔵がたくさんあって、今はレストランや寝具の店舗として使われているものもあります。

通りの向こうはドルフィンポート。

左手にはNHK鹿児島放送局。


午後の散策終了です。


スタートが17時20分、ゴールが18時20分。1時間ほどでしたが、小さな路地を行きつ戻りつしたので大分歩き回った気がします。おかげでこの日の夜は父も私もぐっすり眠れました。
 

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名山堀散策2

2009-07-08 16:30:10 | 名山堀散策

*前回からの続き

さて、6月15日の月曜日、「名山堀散策」の続きです。




実は小さい頃、母親に連れられてデパートへ出かけたときなどは、市営バスの始発であるこの市役所前のバス停をよく使っていました。
ここが始発のバス停なので、空っぽのバスに乗り込んで、一番後ろの席に座るのです。下りるのは終点「原良」。
だから、なじみのない場所ではないのですが、この界隈の路地へは入ったことがありませんでした。

*と、ここ入り口付近で思いがけず「錦城」の文字を見つけました。

前述の「錦城保育園」があったブロックは大通公園を挟んだ向こう側の、桟橋通の更に向こう側なので無関係かもしれませんが。
ちなみに、現在の自宅に近い星ヶ峯に「錦城幼稚園」があります。
ずいぶん以前、父が唐突に「おや?!こんなところに錦城幼稚園があったの?! へぇ‥‥ここに移ってきたのかなぁ‥‥。」と言っていたのですが、その意味が今回のことでハッキリわかったという次第です。


いよいよ名山堀散策です。



ここは名山町。名山堀と言われるところで、飲屋街です。終戦直後は、狭い路地にいろんなお店が並んでいたそうです。


今回散策中に父から聞いた話によると、父の叔父や従兄弟も、有田などで瀬戸物を仕入れて来てはここで一時期扱っていたということでした。

現在の商店街。衣料品のお店や、ランチを扱うお店などもあります。

「カレー」の幟も。


ひたすら歩き回っていると‥‥、


見つけました! われらが「かごしま探検の会」の新しい事務所です♪(写真左部)


お向かいにはスペイン料理のお店も~♪今度覗いてみようか知らん


懐かしい感じのたばこ屋さんなどもあり‥‥、

路地を抜けると「名山町商店街」の名前が明記されていました。



*さらに「名山堀散策3」へ。

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名山堀散策

2009-07-06 11:09:07 | 名山堀散策

その後の私の体調ですが、5月は咽頭炎が長引き、それもどうにか落ち着いたかと思ったら突然熱が出たりと体調が不安定で、6月になってようやく元気が出てきました。

ところで、今月23日は母の命日。亡くなって10年になります。
本来なら7月23日に10年祭を行うところですが、その前日、22日は皆既日食です。
県外の兄弟が帰省するのにも何かと混雑しそうだし、
下手すると飛行機のチケットも取れなかったりするのでは?!ということで、
1ヶ月ほど引き寄せて6月27日の土曜日に無事執り行いました。

兄も弟夫婦も、それぞれ帰省することはあっても、一斉に家族が揃うのはずいぶん久しぶりでした。
そう、母が入院した10年前以来のことです。

この10年、長いような、あっという間だったような‥‥。
とにかく、一区切りついた感じです。

父もお蔭さまで、3月のことがウソのように元気になりました。
まぁ、歳が歳ですから無理は利きませんが、夕べもその前も、夜中にウィンブルドンの決勝の中継を観たりして結構無茶をするので、相変わらず気が気じゃありません。
(さっきまで「眠い眠い。。」と言ってて、今は寝床に入っています。



さて、先月15日にプチ散策をしました。市内の名山堀と言われるところです。
戦後、台湾から引き上げてきた父の両親が、吉野町の親戚の家に身を寄せた後に一時期暮らし、その後祖父が息を引き取った場所がこの近くにあるらしいのですが、これまでちゃんと場所を把握していなかったので気になっていました。

そこで、体調も快復したことだしこの日はお天気もよかったので、ちょっと思い立って散歩がてらに父と出かけてきたのです。

ちょうど近くには、時々食事をするのに利用しているお気に入りのドルフィンポートという施設があるので、そこの駐車場に車を止めて、テクテク歩いて回りました。


ここからスタート。古い石垣は堀の跡?それとも桟橋跡?


左にNHK鹿児島放送局の建物。通りを挟んで琉球海運の建物が見えます。
このあたりが藩政下の琉球館の跡なのかな?それとも関係ない?



桟橋通から城山方面を望む。

通りには温泉があります。

通りを挟んだ路地を少し入ったところには、海外の観光客にも利用されているらしい旅館がありました。
↓易居町のinformation旅館。
 
旅館の奥は大通りへの抜け道です。

散策中に桜島が爆発!噴煙が上がりました。



そろそろ目的地の、祖父母が暮らしていた辺りに差し掛かり、父に詳しく訊いてみると、当時「錦城保育園」だか「錦城幼稚園」の園内に、外地から引き上げてきた人たちが暮らせるように土地を貸してくれていたそうで、私の祖父母はそこに俄作りのバラック小屋を建てて住んでいたらしいのです。
そして、近くにはお寺があったとのこと。

角を曲がってみると‥‥、ありました!不断光院というお寺。私、これまで知りませんでした。現在は一部工事中のようでした。
 
ずいぶん古そうな仁王像が立っています。 
場所は鹿児島市役所近く。写真に写った市電(路面電車)の向こう側の建物が
市役所。


市役所側から見た不断光院遠景。隣には駐車場。先程の旅館奥の抜け道はお寺の横を通っていました。

結果、父の記憶によると、
その錦城保育園があったのはこの辺ではないか?ということになりました。


これ以上は確認しようがないということで、
みなと大通り公園を横切って名山堀界隈の散策に向かいました。

みなと大通公園の噴水。通りの向こうに桜島の稜線が見えます。
先程の噴煙も風に運ばれ、もう薄れていました。



*続きは『名山堀散策2』へ。


*8/16追記 :「琉球館跡」は現在の長田中学校内にあるそうです。
<鹿児島市のホームページ>

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