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イエスは病人を見ず実相の“神の子”を観ることができたのだった

2019-05-24 10:46:59 | 日記
現象世界は実相の影であるから
影あるところ必ず本体(実相)が存在する。
「実相を観る」ということは
現象を見て見えない実相の本体を
心の眼で観るということである。
(奇蹟の時は今 アディントン 谷口雅春著)
<外の貌によって審くな、その外貌を貫き超えて内なる“生命”の実相を見よ>
【『ヨハネ伝』第7章24節に於いて、イエスは彼らに対して、「外の貌(かたち)によりて審くな、正しき審判によってさばけ」と教えていられるのである。イエスの行った神癒の奇蹟というものは、一つの例外もなく、外観を透過して、存在の真実に貫き入って、実相を見る能力に基づいて行われているのである。それだから、彼のこの“外貌によりて審くな、実相を見よ”という教えは、神癒の際の彼自身の体験より発した教訓だということができるのである。“外貌を見て審くな”ということは、砂漠の砂に頭を埋める駝鳥の如くあれということを意味するのではないのである。しかしながら、それは、現象的にはわれわれは外の貌を見ていてさえも、その外貌を貫き超えて内なる“生命”の実相を見よと教えていられるのである。】
<腕の麻痺した男がイエスの前にたったとき、イエスは、欠陥のない完全健康の人間を見たのであった>
【腕の麻痺した男がイエスの前にたったとき、イエスは“麻痺した腕”という現象を見なかったのであった。イエスは、欠陥のない完全健康の人間を見たのであった。だから“お前の手を延ばしなさい”と健康な人に対して使う言葉で言われたのであった。(『マタイ伝』第12章13節)その男は手を自由に伸ばすことが出来るということをイエスは寸毫も疑わなかったので、こんな言葉が出たのだった。】

人間創造の目的と目的達成までの時間

2019-05-24 10:24:31 | 日記
人間創造の目的は、「愛における神の自己実現」である。
ただ「目的達成には時間がかかる」と
ホルムスも認めている。
まだ人類光明化運動は始まったばかりだということにもなる。
真理を知る者は「人間神の子」「生命の実相」のみ教えを
あせらずコツコツと伝えていけばよいのである。
どう考えたって、
まだ物質ありと思って生活している人がほとんどであるこの世界で
物質非実在、実相独在の真理をお伝えすることは
そう容易なことではないのである。
真理をお伝えすることから
丁寧にやっていくしか
他に方法はない。
現在真理を知る人が少なくとも
これを嘆く必要はなく、
知った人は歓びに歓喜し、
脈々と伝道すべしである。
(心と運命 ホルムス・谷口雅春 日本教文社)
<「創造」の目的は、愛に於ける神の自己実現である>
【「創造の霊」は、それ故に、霊自体を個別的に表現するにあたって、その本性が「愛」であるとともに、その「愛」を享け楽しむことによって、自己自身が完全となるところの「人間」として先ず顕現し、これによって自己実現の完全を求めたのである。「創造」の目的は、愛に於ける神の自己実現であると云わねばならない。】
<凡ゆる真の宗教又は道徳の目的>
【「創造の霊」は、従って次第に、更に漸増的な目的を有するのである。換言すれば、それは自体の本性なる「愛」と「生命」とを一層充分完全に表現することが出来るところの“より”高き個体に、次第に益々進化を継続して行こうとするのである。何となれば、宇宙霊はその潜勢力に於いては無限であり、且つそれは一たび創造を開始すれば、無限までそれを継続して行こうとするからである。この聖なる宇宙的目的に調和して生活するには、如何にせばよきかを知ることこそ、凡ゆる真の宗教又は道徳の目的なのである。】

人間は円満完全世界を離れたことはない

2019-05-24 10:00:43 | 日記
この現象世界は
全部
誰にとっても自分の国です。
つまり自分の本体である“神の子”“生命の実相”が
時空世界に展開しているのです。
この“神の子”“生命の実相”は「動」であり
「永遠の今」として展開していますが
「動」でありながら完結した世界です。
これこそ「円満完全大調和」の「神の子・神の国」世界であり
現象世界はこの「実相円満完全世界」の展開です。
実相人間というのは
人間の本体である“神の子”理念のことなので
現象世界は“神の子”の五感を介しての
時空世界への展開のことでありまして
現象の動きの背後に見えないですが
実相はちゃんと存在しています。
実相の影である現象世界の裏には
霊である実相が存在していますが、
現象は人間の心を通過しての心の影であって
この現象人間の心の奥に見えない「神の心」が存在しています。
人間の心は事本的に実相の展開ですが
実相の不在である迷いを反映することもあり
それでも奥にはいつだって「神の心」が存在しています。
現象アサガオの本体が理念アサガオであるように
現象人間の本体は理念人間すなわち円満完全なる“神の子”“生命の実相”なのです。
“神の子”と“生命の実相”とはイコールです。
つまり現象世界の根底には
誰においても見えないですが理念としての実相人間(生命の実相)が存在し
それは永遠に「円満完全大調和」なる理念です。
理念といったって、
“神の子”つまり“神”です。
何一つ欠けるものなき絶対それ自体です。
人間は“神の子”ですから、
いつどこにいても
円満完全を離れたことはないのです。