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ひとたび癒しの電源のメイン・スイッチが何処にあるかを知るならば、あなたの心の回線にいつでも癒しの力を流し入れることが出来るのである

2019-05-22 09:38:22 | 日記
癒しの電源のメイン・スイッチが
どこにあるかの鍵を見つけてしまえば、
あとはスラスラ行けるのだと思う。
それはやはり「生命の実相」の真理を
正しく把握することなのではなかろうか。
真理を知った最終段階で
癒しの電源のメイン・スイッチが体得される。
(奇蹟の時は今 アディントン・谷口雅春訳 日本教文社)
1 以下のアディントンの文章は、宗教家が癒やすべき相手に真理を伝えることを、真理内容を電気器具としてたとえている。
【あなたは、あなたを通して或る人が癒やされた場合、あなたは神癒の媒介者となることができたのであって、神癒のシテではないのである。宗教家又は療術家は神癒力の発動者ではない。神のみが力をもち給う。神のほかにどんな力も存在しないのだ。
あなたが此の人に癒して貰ったと考える人~心霊治療家又はあなたのために祈ってくれた牧師は、ちょうどあなたの新築の家に電気装置を施設してくれ、電流が流れるようにあなたのために協力してくれた技術者になぞえることができるのである。あなたの家を建築してくれた業者が今ここにいると想像して見て下さい。彼はその家の各所を、あなたを案内して、ここに電気の“挿込み”(コンセント)があって、そこへ此のプラグを挿し込めば電流が通じて来てあなたは電力を使うことができると教えてくれる。ここは洗濯機や乾燥機用のプラグを挿し込むところである。ここは冷蔵庫や冷凍用に使うための電流につなぐところである。ここは電気ストーブ、ここはトースターとかその他、現代、用いられている色々の電気器具に接続する箇所を教えて貰うのである。】
2 ひとたび癒しの電源のメイン・スイッチが何処にあるかを知るならば、あなたの心の回線にいつでも癒しの力を流し入れることが出来るのである。
【所謂る心霊治療家というものは、前記の譬えでいえば建築業者みたいなものであり、癒しの電源がどこにあるかを知るものであって、次のようにも言うことが出来るのである。すなわち彼の信仰と理解とを通して、あなたは癒しの電源がどこにあるかを知り、その電源が、あなた自身の信仰によってスイッチが入れられることになり、あなた自身の信仰によって癒しの電源から癒しの力が流れ入るようになったのである。ひとたびあなたが此の癒しの電源のメイン・スイッチが何処にあるかを知るならば、あなたの心の回線にいつでも癒しの力を流し入れることが出来、意のままに、必要に応じてそれを使うことができるのである。】

それはあなたの心次第

2019-05-22 09:30:38 | 日記
私たちは「神の肖像」であり
神の理念であり
真理キリスト(神の子)である。
確たる存在であるのが
本当の姿なのである。
この真理を明確に自覚すると
神想観で的が絞れる。
(奇蹟の時は今 アディントン・谷口雅春訳 日本教文社)
<わたし達の内部に宿っているところの神にまします“大生命”は“原理”なのである。原理は完全である。>
【わたし達は皆、わたし達の内部に宿っているところの神にまします“大生命”は如何なる人間が如何なる見解を執ろうとも、それによってその力を減衰することの出来ない金剛不壊の存在であることを知らなければならないのである。その生命力は何人が如何なる診断を下すとも減衰することはできない。それは“原理”なのである。原理は完全である。それは変更することも傷つけることもできないのである。】
<さて今やわたし達は“神の子”であり、神そのままの肖像であるのである。>
【さて今やわたし達は“神の子”であり、神そのままの肖像であるのである。神と“神の子”との間には何の分離もないのである。わが内に宿る聖なる生命は完全なる活動となってそれ自身をわたし達の生活となって再現するのである。】
<それはあなたの心次第>
【人間が自己が受容すべく心の門戸を開いた程度だけ、“祝福の体験”を自己の生活に受けとることができるのである。イエスは自己の心の扉を完全にひらいて神の祝福を体験として最も完全に受容したので、イエスといえば救世主(キリスト)という語と同意語だとされ、神が人格化して人間となったと認められるほどになったのである。イエスは「我を信ずる者は我がなす業をなさん。かつ之よりも大いなる業を為すべし。われ父の家に行けばなり」(『ヨハネ伝』第14章12節)と言って、彼は自分の行った奇蹟の秘密をわれわれに伝えて、父の許に至るといっているのである。】