「私は神の子です」と言うのは
親なる神様に対して「神様との親子関係」を契るのであると
分りました。
そのことが実現して
父なる神の絶対の守りが
実現するのです。
(詳説 神想観 谷口雅春 日本教文社)
【神を愛するとは素直に実相に直参して、「神よ、私は神の子です、貴方は私の実父(ちち)です。貴方の生命が私に宿って私の生命となったのです」とまっしぐらに神の膝の上に掻き上がることなのです。正しい祈りとは実にこの「私は神の子です」の命宣(いの)りであります。この命宣りさえ完全であれば、すべての第二次的誡命(いましめ)は自然に成就することになります。この宣言が神想観であります。「神の生命われに流れ入りて吾が生命となる」「われは神に満たされ生かされて神と不可分の一体である」この感じを理屈でなしに、現在意識だけでなしに潜在意識の底の底までもたたき込むのが神想観であります。だから、多くの祈り方はありますけれども、神想観にまさる祈りはないのです。】