吾等は一切の人に物に「愛」をもち実行することによって
宇宙霊の目的に添う努力をすべきなのだ。
「天地一切のものに感謝すべし」ということは、
宇宙霊の「目的」に添うことなのだ。
(心と運命 谷口雅春 日本教文社)
<既に吾等は神との融合ができているのである。分離せるかの如く思われるのは唯外見だけに過ぎない>
【ここに於て疑問が生ずる~「若し吾等にとりて善きものの凡てが、此の生命の大本源から来(きた)るならば、吾等は如何にして生命の大本源との融合を就(な)しとげたら好いのであるか?」と。答えて曰く、吾等自身はそれを成し就げる必要はないのである。既に吾等は神との融合ができているのである。分離せるかの如く思われるのは唯外見だけに過ぎない。吾等は今迄だとて決して宇宙生命の大本源と分離したりした事はなかったのである。吾等は「無限者の心」の外に踏み出すことは出来ないのである。吾等は唯「無限なるもの」の外に出たような「感じ」がしたに過ぎなかったのである。】
<「子」のなすべきことは、自己が「父」の愛の圏内にいることを自覚することである。此の「自覚」によって「子」は「父」と一体となるのである。>
【これと同時に神の「生命」と「愛」とは、その存在を認識しない限りは吾等にとって「実在」となり来(きた)らないと云うことも知らなければならない。「視よ、吾れ戸の外に立ちて叩く。誰にてもあれ戸を開く者あらば、吾れは戸の内に入らん。」と神は云い給うているのである。吾等は例えば門番なのである。そして吾等の守る門の扉は強制的には開かるることはないのである。「父」は帰り来(きた)れる「放蕩息子」に会わんがために来(きた)り給う。併し彼は強いて門の内に押し入りはし給わない。真実の見地から云えば、「子」は「父」の愛の圏外に決して出ることは出来ない。それ故「子」のなすべきことは、自己が「父」の愛の圏内にいることを自覚することである。此の「自覚」によって「子」は「父」と一体となるのである。】
<吾等は「宇宙霊」を「愛」であるとみとめ、吾等の心を、否渾身の愛をそれに対して注がなければならない>
【然らば吾等の目標は神との「結び」によって自己自身の完成を見出すことであると共に、此の「結び」によって「宇宙霊」そのものを完成せしめることなのである。吾等は「宇宙霊」を「愛」であるとみとめ、吾等の心を、否渾身の愛をそれに対して注がなければならない。】
宇宙霊の目的に添う努力をすべきなのだ。
「天地一切のものに感謝すべし」ということは、
宇宙霊の「目的」に添うことなのだ。
(心と運命 谷口雅春 日本教文社)
<既に吾等は神との融合ができているのである。分離せるかの如く思われるのは唯外見だけに過ぎない>
【ここに於て疑問が生ずる~「若し吾等にとりて善きものの凡てが、此の生命の大本源から来(きた)るならば、吾等は如何にして生命の大本源との融合を就(な)しとげたら好いのであるか?」と。答えて曰く、吾等自身はそれを成し就げる必要はないのである。既に吾等は神との融合ができているのである。分離せるかの如く思われるのは唯外見だけに過ぎない。吾等は今迄だとて決して宇宙生命の大本源と分離したりした事はなかったのである。吾等は「無限者の心」の外に踏み出すことは出来ないのである。吾等は唯「無限なるもの」の外に出たような「感じ」がしたに過ぎなかったのである。】
<「子」のなすべきことは、自己が「父」の愛の圏内にいることを自覚することである。此の「自覚」によって「子」は「父」と一体となるのである。>
【これと同時に神の「生命」と「愛」とは、その存在を認識しない限りは吾等にとって「実在」となり来(きた)らないと云うことも知らなければならない。「視よ、吾れ戸の外に立ちて叩く。誰にてもあれ戸を開く者あらば、吾れは戸の内に入らん。」と神は云い給うているのである。吾等は例えば門番なのである。そして吾等の守る門の扉は強制的には開かるることはないのである。「父」は帰り来(きた)れる「放蕩息子」に会わんがために来(きた)り給う。併し彼は強いて門の内に押し入りはし給わない。真実の見地から云えば、「子」は「父」の愛の圏外に決して出ることは出来ない。それ故「子」のなすべきことは、自己が「父」の愛の圏内にいることを自覚することである。此の「自覚」によって「子」は「父」と一体となるのである。】
<吾等は「宇宙霊」を「愛」であるとみとめ、吾等の心を、否渾身の愛をそれに対して注がなければならない>
【然らば吾等の目標は神との「結び」によって自己自身の完成を見出すことであると共に、此の「結び」によって「宇宙霊」そのものを完成せしめることなのである。吾等は「宇宙霊」を「愛」であるとみとめ、吾等の心を、否渾身の愛をそれに対して注がなければならない。】