現象界にある事物は
すべて実相の写し(影)であるから
現象の事物を見たなら
そこに見えないが実相がある、
ということなのである。
現象世界には事物があらゆる所に存在しているから、
そこに視えないが「実相(神)が裏打ちしている」ということだ。
吾等は安心して
現象生活をすればよいのである。
神の世界に居るのに
なんの心配があろうか。
聖経『続々甘露の法雨』に
【汝ら「人間・神の子」の自覚より、
「神の子・人間」の自覚に入るべし】
と書かれているが、
これは現象界は写し(影)の世界であるから
現象の大元なる実在即ち「実相」「神の子」を自覚せよ、
ということである。
「実相」が「現象化」しているという真理を
悟りなさいと示しているのだ。
つまり
「現象(影)を見たら、本体(実相)を観るべし」である。
自分の本体が神の子で現象世界が実相世界であるという真理は
ひとえに自覚にかかっていて
自覚すれば自覚したとおりの生活ができるのである。