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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

岩崎恭子が五輪競泳史上最年少金メダルリストとなった日

2009-07-27 | 歴史
1992(平成4)年7月25日、スペインのバルセルナで第25回夏季オリンピック大会が開幕。開幕から3日目の7月27日、中学2年生(14歳)の岩崎恭子が女子競泳200m平泳ぎであっと驚かせる金メダルを獲得。しかも、2分26秒65の五輪新。外国選手も観衆も報道陣も「イワサキって誰」と驚いた。この種目では日本選手の優勝は1936(昭和11)年のベルリン大会での前畑秀子依頼56年ぶり。金メダルを獲得したレース直後のインタビューで「いままで生きてきた中で一番幸せ」の名文句は評判になった。その他、メドレーリレーでは7位入賞、100m平泳ぎでは13位であった。
この大会では、8月1日女子マラソンで有森裕子が日本女子陸上では1928(昭和3)年のアムステルダムオリンピックの人見絹枝以来64年ぶりの五輪メダルとなる銀2、同9日の男子マラソンで森下広一銀など日本は金3、銀8、同11のメダルを獲得。又、バルセロナ市内のオリンピック体育館をポストモダンの代表的な建築家・磯崎新が設計したほか、開会式では坂本龍一マスゲームの音楽を作曲、会場でオーケストラを指揮するなど、日本人が競技以外でも活躍した大会となった。
この1992(平成4)年は、冬季オリンピックアルベールビル(フランス)で、女子スピードスケートの橋本聖子が冬季五輪日本女子初のメダルとなる銅。女子フィギュアスケートの伊藤みどりが女子選手では始めて五輪で三回転半ジャンプを決め銀メダル。そして、14歳の岩崎恭子が200m平泳ぎで五輪競泳史上最年少、日本五輪史上最年少の金メダルを獲得と、男子もおおいに頑張った・・・が、この年に行われた2つのオリンピックでは、女子選手たちが見せた記録や活躍に日本中が沸いた(補足、尚、この大会から、日本のお家芸であり柔道女子が正式種目となり、当時高校生であった田村亮子などが出場し、7階級で銀3個、銅2個を獲得したが、金メダルを獲得できなかった)。
現在、オリンピックなどで「水泳」という場合は、競泳・飛び込み・水球・シンクロナイズドスイミングの4競技を指しているが、その中の競泳は定められた距離を泳ぎきるのにかかる時間を競うもので、自由形(通常はクロール、略称Fr)、背泳ぎ(略称BaまたはBc)、平泳ぎ(略称Br)、バタフライ(略称BuまたはFly)の4つの泳ぎ方(泳法)があるが、この4泳法の最古の泳法は平泳ぎである。平泳ぎは泳ぎの巧緻(こうち)性と耐久性が優れていることから、生活用からみても軍事用としても水泳の価値を高め、やがて長い距離を泳ぎ続けること(遠泳)や、一定の距離を速く泳ぐこと(競泳)の泳法に用いられた。近代になって、第1回のオリンピック大会(1896年・アテネ)での水泳の種目は、水夫(ふなのり。かこ。)のための100m自由形1種目のみであり、競泳の泳法は平泳ぎが用いられた。
日本には古くから伝えられた独特の日本泳法(古式泳法)があり、そのなかには流派がいくつもある。現代のスピードを競う競泳は、明治末期から大正初期にヨーロッパから西欧近代泳法が伝えられ、1914(大正3)年、第1回全国水泳大会以降、国内及び国際水泳大会はすべて「日本オリンピック委員会」である「日本体育協会」の組織の中で行われてきた。
近代オリンピックの基礎がほぼ出来上がったのは、1912年第5回ストックホルム(スウェーデン)大会からで、あり、オリンピックへの女性が参加するようになったのもこの大会が最初で、100m自由形、400mチーム、ダイビングがあった。なお、日本もこの時からオリンピックへ陸上競技で初参加している。
水泳で、日本がオリンピックで、初めてメダルを獲得したのは、1928(昭和3)年の第9回アムステルダム大会であり、競泳男子200m平泳ぎで鶴田義行選手が2分48秒8で金メダル、競泳男子4×200mリレーで銀メダル、競泳男子100m自由形で高石勝男が銅メダルを獲得した。その後、第10回(1932年)ロサンゼルス(アメリカ)で、水泳・男子は清川正二らが金メダルを5個獲得、男子200m平泳ぎでは日本人選手(鶴田)が2連覇を果たしている。又、この大会で、女子競泳200m平泳ぎに出場した前畑秀子選手が銀メダルを獲得。その後も、第11回(1936年)ベルリン(ドイツ)では、ヒトラーが大会組織委員会総裁に就任 、初めて聖火リレーが行われるが、当大会で、水泳・男子で、日本人選手が金メダル3個を獲得、水泳・男子200m平泳ぎは日本人選手による3連覇(葉室鉄夫)を達成。又、水泳・女子200m平泳ぎで前畑秀子が日本人女子初の金メダルを獲得するなど大活躍している。 その後、第12回(1940年) 日本での東京大会及び第13回(1944年)ロンドン(イギリス)大会は第二次世界大戦のため中止された。
戦後初となる第14回(1948年)ロンドン(イギリス)での大会には、日本とドイツは招待されず。このとき、日本ではオリンピックの水泳競技の決勝と同日に日本選手権が開催され、古橋廣之進は400m自由形で4分33秒4、1500m自由形で18分37秒0を出し、ロンドン五輪金メダリストのタイムはおろか当時の世界記録をも上回った。又、同年9月の学生選手権の400m自由形では自己記録を更新する4分33秒0、800m自由形では9分41秒0を出し、これも世界記録を越えた。これらの記録は日本が国際水泳連盟から除名されていたため、世界記録としては公認されなかったものの、「フジヤマのトビウオ」古橋の名は日本だけでなく世界のスイマーから注目を集めた。(オリンピックでの水泳に関する記録は以下参考の「福岡大学図書館オリンピック関係図書コレクション」の夏季オリンピック、また、「財団法人日本水泳連盟 公式ホームページ」のデーターベース等参考にされると良い)。
このように、昭和初期から終戦直後まで、周りを海に囲まれた国の日本人スイマーは、競泳で大活躍、「水泳ニッポン」とまでいわれた時代を作ってきた。競泳の中でも、特に平泳ぎを得意としていた。
この当時強かったスポーツは軍隊式の猛特訓の成果であった。それは、水泳という競技においても同様であった。激しい猛特訓のなかから、体力に恵まれた少数の選手がずば抜けた力を発揮していたのであった。然し、スポーツ界でのこのような猛特訓的なやり方は、身体を壊す選手も出ることから戦後、否定されるようになるが、水泳など水中での重力を受けない競技においては、少々猛特訓をしても、身体を壊すことなく優秀な選手を数多く輩出していたのであるが、戦後、日本経済が復興し始めた昭和30年代頃から、日本の水泳界は低迷を始める。
そして、1964 (昭和38)年、念願であった第18回東京(日本)大会では、柔道とバレーボールが正式種目に加わり、これらの選手が活躍し、日本は金16個、銀5個、銅8個計29個のメダルを獲得と言う快挙を遂げるが、そのうち水泳では、男子800mリレーで辛くも銅メダル1個を獲得しただけである。これは、陸上競技においても同様で、男子マラソンで、円谷幸吉が銅1個を獲得しただけで、日本が取ったメダルは格闘技である柔道やレスリング・それに、体操などが殆どである。
本来のオリンピックの走る・投げる・飛ぶ・泳ぐ・といった人の基礎的体力を要する競技においては全く外国人選手に歯が立たなくなったが、その傾向は以来ずっと続いている。何か、余り競争の無い豊かな一部の国でしかやっていないような隙間にある競技でメダルを稼いでいるって感じがする。
ただ、1992(平成4)年、岩崎恭子ら女子がオリンピックで活躍するようになって、女性の強くなった日本では、オリンピックのあらゆる競技で女性が活躍するようになり、ここに来て、第28回(2004年)アテネ(ギリシャ)大会で北島康介選手が伝統の平泳ぎで100mと200mで金2個を獲得、次の第29回(2008)北京(中国)でも同2種を2連覇するなど、男子競泳でも活躍する選手が出てきたことはうれしいことだ。
私など、海と山に囲まれた神戸に生まれ、海洋国日本の男児が泳げないなどというのは恥といった雰囲気の中で育ち、しかも、家から海まで子供の足で歩いて30分もあれば行けると言う環境から、夏休みなど近所や学校仲間と毎日のように朝から晩まで海で過ごし、真っ黒になっていた。
私だけではなく、当時は仲間は殆ど誰でもが、1キロや2キロの距離は泳げたし、私など一度海に入ると1時間ぐらいは陸に上ってこなかった。オリンピック競技の中でも、水泳などは、外国人との体力差は技術と訓練で克服し勝つこともできる競技だと思うので、これからも「水泳ニッポン」の復活に頑張って欲しいものと思う。
バルセルナの大会で、若干14歳で世界の頂点に立ってしまった岩崎の戸惑いの笑顔には、無心の恐さが見られたが、本人には、その後の活躍において、金メダルへの負担を余りにも強く感じさせたようだ。彼女は4年後の第26回(1996年)アトランタ(アメリカ)大会への出場権は「自分でもがきとって出場」したが、残念ながら大会では予選落ちとなったものの、「連れて行って貰ったバルセロナ」からのその後の岩崎の軌跡には彼女の成長を感じた。楽しんで泳いでいるようだった。
1998(平成10)年、20歳で競技選手を引退。米国・ミッションビエホ(カリフォルニア州)に海外指導者研究生として留学。その後、テレビなどで競泳のコメンテーターとして活動している。『フリー百科事典Wikipedia』には、日本水泳連盟の基礎水泳指導員の資格も取得した・・・とあるので、今は水泳の指導や普及にも努めているのだろうね~。
(画像は、バルセロナオリンピック女子200m平泳ぎ決勝でゴール直前、先行するノール選手を必死に追う岩崎恭子選手。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)。
岩崎恭子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%B4%8E%E6%81%AD%E5%AD%90
古橋廣之進 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%A9%8B%E5%BA%83%E4%B9%8B%E9%80%B2
財団法人日本水泳連盟 公式ホームページ
http://www.swim.or.jp/
福岡大学図書館オリンピック関係図書コレクション
http://www.lib.fukuoka-u.ac.jp/e-library/tenji/Olympic2004/top.html
水泳 - Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%B0%B4%E6%B3%B3/
JOC - 水泳
http://www.joc.or.jp/sports/aquatics.html
古橋廣之進 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%A9%8B%E5%BA%83%E4%B9%8B%E9%80%B2