今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

うま味調味料の日(味の素の日)

2009-07-25 | 記念日
何時も参考にしている「今日は何の日~毎日が記念日~」には今日・7月25日の記念日に「味の素の日」がある。これは、日本記念日協会の記念日にある「うま味調味料の日」と同じこと。
100年ほど前、東京帝国大学(現:東京大学)の池田菊苗博士が昆布だしのおいしさの素がグルタミン酸あることを突き止め、この味を「うま味」と名付けた。これを家庭でも手軽に使えるようにしたのが「うま味調味料」で、記念日を制定したのは日本うま味調味料協会。目的は“うま味についての正しい理解とその調味料の普及を目的”としているのだそうだ。日付は博士が「グルタミン酸塩を主成分とする調味料製造法」で特許を取得した908(明治41)年7月25日に因んだもの。・・ということである。
日清・日露の量戦争のなかで進んできた軍事偏重の日本的産業革命(以下参考の※1:「産業革命【日本】」、※2:「日本産業革命 - Yahoo!百科事典等」参照)は、1908・1909(明治41・42)年ごろには確立され、不況のなかで資本の集中が進みつつあった。しかし、日本の科学の状況はまだ、西欧の模倣が主であったが創造的な研究を求めた科学者が躍動を始めていた。
このころ恐るべき伝染病の予防法・治療法も次々開発され、そんな開発者であるドイツのコッホエールリッヒパスツール等のもとへ北里柴三郎志賀潔秦佐八郎ら日本の青年医学者らが留学し多くの成果をあげ、又、軍部で特に問題となっていた脚気の原因についてドイツでタンパク質科学を学んで帰ってきた鈴木梅太郎が1910(明治43)年、米ぬかより脚気に効く成分(ビタミンB1)を抽出した(オリザニンと命名)。
がんについても、ドイツで学んで帰ってきた山極勝三郎が、イエウサギ(【家兎】、ヨーロッパ原産のアナウサギを家畜化し改良したもの)の耳の内側に毎日コールタールを塗布し、1915(大正4)年、がんの実験的発生に世界で成功するなど、優れた人材が育ちつつあったが、まだ、日本国内でそのような研究開発が行なえる社会基盤は弱かった。そのような中で、池田菊苗の「うま味調味料」(味の素)は、一味違った発明であった。東京大学の助教授になってから1899(明治32)年よりドイツのライプチヒ大学に1年半留学し、オストワルドのもとで純正化学を学び、1901(明治34)年帰国後、東京帝国大学教授になった池田が1907(明治40)年の時、昆布から「うま味」の素であるグルタミン酸塩を取り出す仕事を始め、鈴木三郎助と組んで1909(明治42)年に工業化に成功した。ここで見落とせないのは、この成功の基礎には物理学があったことと、池田が取得した特許は「うま味」の素材以外にも多数あったことだという(アサヒクロニクル「週刊20世紀」)。尚、池田の他の特許などについては、以下参考に記載の※3:「田中舘愛橘記念科学館」の化 学の池田菊苗主要な業績の説明を、又、「うま味調味料」(味の素)発明の動機などは、※4「【青空文庫】池田 菊苗著「味の素」発明の動機」に詳しく書かれているのでそこを読まれると良い。
知己を通じて開発中から池田博士と面識のあった鈴木が池田の特許の実施契約を得て、鈴木製薬所(現在の味の素株式会社)にて工業化し、1909(明治42)年5月、新調味料には「味の素」と名附けられ販売された。冒頭掲載の画像:左は、1809(明治42)年5月26日付け、東京朝日新聞に掲載の味の素の広告とその下「具留多味酸」(グルタミンサン)の写真である。広告には、“理学博士池田菊苗先生発明の理想的調味料のタイトルで「美食に飽きたる家庭に味の素をすヽむ 経済と極便とを欲せざる主婦には味の素の必要なし」・・”と書かれているが、昔の広告は大層な文言のものが多いね~。製造発売元は鈴木商店。東京丸の内・・とある。因みに、掲載左写真の下にある「具留多味酸」とあるものは、グルタミン酸塩製造第1号のもので、実際に発売はされなかったものだそうである。
池田が発明する前に「グルタミン酸」というアミノ酸はすでに知られていたようであり、それをなめて「不快」などと言う研究者がいた中、池田は昆布ダシが「グルタミン酸塩」を含むことと、「グルタミン酸塩」こそがうま味の正体であることを確かめたのであり、このグルタミン酸塩を、小麦や大豆などの植物性蛋白質から抽出し、新調味料の製造方法を発明、特許を取得した訳であるが、片山正夫の追想文「池田菊苗先生の思出」によると、後年理化学研究所の同僚となる鈴木梅太郎は「池田さんの仕事は自分の方でやるべき性質のものであるが、洒落では無いがうまくやられた。グルタミン酸はなめた事はあるが、塩はなめなかつた」と話していたらしい。
池田が特許取得後、さっそく鈴木三郎助が「味の素」という名で販売を開始したものの、当初、売れ行きもはかばかしくなかったようだ。味の素の製法は、小麦や大豆などを塩酸で分解するというもので塩酸の臭気や、廃棄される多量のデンプンに対する周囲の苦情も多くなり、1913(大正2)年には神奈川・川崎に工場を設立して本格的に大量生産に着手し、芸者に割烹着を着せた美人画広告で商品の浸透を図っていく。しかし、新工場では臭気の強い塩酸から硫酸に切り替えるが、この硫酸法では純度の低いものしか得られず、1915(大正4)年には再び創業時の濃塩酸分解法に切り替えるが、この当時はまだまだ不純物も多く、色や匂いも良いとは言えなかったようだ。
このころから、鈴木商店を悩ませていたことに「味の素の原料は蛇」と言う風評が大衆の間に広がったていたことがある。全く根拠の無いデマであるが、大阪や浅草界隈の香具師(ヤシ)の口上として面白おかしく語られるが、これを最初に言い出したのは当時の反骨的なジャーナリスト宮武外骨(雑誌『スコブル』に初めて掲載)だそうである。彼は、1921(大正10)年に出した雑誌『一癖随筆』の中でも再度持論を展開しているという(以下参考の※5:「国立科学博物館産業技術の歴史」参照)。これにより味の素の売り上げは一時激減したという。これを打ち消すために朝日新聞に出した広告にはこんな文言・・・「味と言うものは昔から酸い甘い鹹(しおから)い苦いの四つと決まっていたものですが、まだ外に一色味の外の味があるにちがいないと池田博士が長年の研究の結果(中略)小麦、大豆から製することにしたのが今流行の味の素という調味料です」・・・があったという(アサヒクロニクル「週刊20世紀」)。その後、関東大震災の折、工場周辺の住民に、食用にと原材料だった大量の小麦を放出したことでようやくこの噂は沈静化したようだ。
その後、第1次大戦による好況を経て、ようやく売れ行きが伸び、同社は、新聞半ページ大の広告を出すようになり、店頭の看板なども配布する。冒頭画像:右(伊東深水の原画によるポスター。)は、そんな時につくられた美人画簿ポスターだそうだ(アサヒクロニクル「週刊20世紀」)。
当時の「味の素の原料は蛇」と言う風評被害に対しては、新聞各紙に広告を載せて対抗したことで、逆にこの騒動が味の素の知名度を上げることにもなったようだ。近年某大手電機メーカーが欠陥商品に対して新聞、テレビを通して大々的にお詫び広告を掲載、これを、継続的に行なったことで、そのメーカーの信用力が高まったのとちょっと似ている。ただ、どこかの湯沸かし器のメーカーが同じ様に欠陥商品に対して、某電機メーカーの真似事でお詫び広告をしていたが、事故に対する最初の対応が悪かったし、遅ればせながらの真似事なので、これはかえって、物笑いの対象になっている。
(画像は、左:1809年5月26日付け、東京朝日新聞にのった味の素の広告。その下は具留多味酸。画像右:伊東深水の原画による味の素のポスター。いずれも、「アサヒクロニクル・週刊20世紀」より)
参考:
池田菊苗
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E8%8F%8A%E8%8B%97
味の素ホームページ
http://www.ajinomoto.co.jp/
日本うま味調味料協会
http://www.umamikyo.gr.jp/index.html
医学と医療の年表 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E3%81%A8%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8
山極勝三郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%A5%B5%E5%8B%9D%E4%B8%89%E9%83%8E
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
片山正夫 - Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%89%87%E5%B1%B1%E6%AD%A3%E5%A4%AB/
理化学研究所 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/IPCR
伊東深水 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E6%B7%B1%E6%B0%B4
※1:産業革命【日本】
http://www.tabiken.com/history/doc/H/H140L100.HTM
※2:日本産業革命 - Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%94%A3%E6%A5%AD%E9%9D%A9%E5%91%BD/
※3:田中舘愛橘記念科学館/化 学
http://www.civic.ninohe.iwate.jp/100W/03/select.html
※4:【青空文庫】池田 菊苗著「味の素」発明の動機」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001160/card43623.html
※5:国立科学博物館産業技術の歴史
http://sts.kahaku.go.jp/sts/detail.php?id=1060&key=106010681012&APage=2