今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「グリコ・森永事件」の始まった日

2008-03-18 | 歴史
1984(昭和59)年の今日(3月18日)は「グリコ・森永事件」の始まった日である。
グリコ・森永事件は、関西地域を舞台として食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件であり、犯人グループが江戸川乱歩の『怪人二十面相』をもじった「かい人21面相」と名乗ったことから、かい人21面相事件などとも呼ぶ。
1984(昭和59)年3月18日、午後9時30分頃、兵庫県西宮市の江崎グリコ江崎勝久社長宅(当時)に白い毛糸の目出し帽で顔を隠した2人組の男が押し入り、家族を粘着テープで縛り、銃を突きつけて入浴中の江崎社長を裸のままで自宅前に待機していた男の車に押し込み連れ去った。この事件の一連の発端である。その後犯人からは、現金10億円と金塊100キロという身代金要求はあったが、具体的な交渉もなく、3日後の3月21日午後2時過ぎ、江崎社長は監禁されていた大阪府茨木市内の安威川沿いにある水防倉庫から自力で脱出し、警察に保護され、 同日午後10時過ぎ大阪市西淀川区の江崎グリコ本社で記者会見に臨んだ。犯人グループは20日夜、江崎社長に衣類を与え、鍵もかけず監禁先の倉庫から消えたという。・・・折角人質をとりながら、わざわざ逃げなさいというような状況を作っていることになんとも不思議なというか、私には腑に落ちない(合点がゆかない。)事件であったことを思い出す。そのため一時は憶測で、これは、何か、グリコと誘拐犯で裏取引をして解放してもらったのではないか・・・などとも思ったものである。
しかし、この事件は、今ままでの身代金誘拐事件などとは異なり、人質が解放され、周囲の人が江崎社長の元気な姿を見て安堵した直後から行われた犯人からの脅迫などが社会を恐怖に陥れることになるのである。
江崎社長が解放されて事件は収まったかのように思われて間もない4月7日づけ「かい人21面相」名で以下の和文タイプライターで記された挑戦状が報道機関に送りつけられてきた。
「けいさつの あほども え おまえら あほか 人数 たくさん おって なにしてるねん プロ やったら わしら つかまえてみ ハンデー ありすぎ やから ひんと おしえたる 江崎の みうちに ナカマは おらん 西宮けいさつ にはナカマはおらん (略) これだけ おしえて もろて つかまえれん かったら おまえら 税金ドロボーや 県けいの 本部長でも さろたろか」(アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
このマスコミに当てた挑戦状をそのまま紙面に載せることについては、新聞社も犯人の意図に沿うことになるのではないかと異論も出たようだが、結果的に載せることになり、マスメディアを通じて犯人から国民へ向けた情報発信がなされることになった。
そして、4月10日夜、グリコ本社や工場が放火され、翌日の午前8時ごろ、江崎家に「思い知ったやろ。今後も気をつけろ」と男の声で脅迫電話があった。
4月12日、この事件を警視庁は警察庁広域重要指定事件・第114号に指定した。
5月10日には、「グリコの製品にせいさんソーダー(青酸ソーダ=シアン化ナトリウム)いれた」と告げる挑戦状がマスコミに届いたがその時には青酸ソーダ入りのグリコ製品は発見されていない。(以下参考に記載の「※グリコ・森永事件」の5月10日の挑戦状を参照)。
このことから全国の大手スーパーなどが一斉にグリコ製品の撤去を始めた。
実はこの挑戦状の前に、本社に「グリコアーモンドチョコレート20個に青酸ソーダを入れる用意をした。いうことを聞けば、中止する」という脅迫状が届けられていたという。
その後、10月7日に江崎社長の自宅(当時)がある兵庫県西宮市内のコンビニから「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」と関西弁で書かれた紙片の張られた森永製菓製品の菓子が7個発見され、その一部から青酸ソーダが検出された。翌8日には東京ー博多間に「どくいり」製品を20個置いたとの手紙が「怪人21面相」から各報道機関に届く。脅迫どおり、名古屋、東京でも発見された。防犯カメラに青酸ソーダとみられる菓子を棚に置いて立ち去る犯人とおぼしき男が映っていた為、捜査本部は10月15日、「当時の状況を聞く必要がある人物」という異例の表現で、その男の写真を公開し幅広く情報収集に乗り出したが、有力な手がかりは無かった。防犯カメラがとらえた人物は身長170cm前後、年齢20~30歳代、パンチパーマーの長髪、ジャイアンツの野球帽姿であった(冒頭の画像参照)。
この後、犯人側は、グリコへの現金要求を密かに続ける一方で、丸大食品も脅迫。続いて森永製菓、ハウス食品工業、不二屋と標的を広げ翌1985(昭和60)年3月には和菓子メーカー駿河屋にも脅迫状を送りつけた。特に森永には、青酸ソーダ入りチョコレートなどを全国のスーパーなどにばら撒かれ、製品が一世撤去される窮地に立たされた。11月のハウス食品への脅迫では、ハウス食品は犯人の指示どおり車に1億円を積み名神高速道路の指定された大津パーキングエリア内で待機したが、その前後に以前から犯人グループの一人と目されていた「キツネ目の男」が一般道から進入できるパーキングエリアで複数回目撃されているのに、事前情報を十分に得ていなかったことなどにより、滋賀県警が不審な車を追跡し、取り逃がすといった失態もあった。マスコミにより、広域犯罪に対して、警察の縦割り組織の弊害と各都道府県警とのつながりの悪さなど、警察組織の甘さが批判された。その後、マスコミによる滋賀県警批判や、結果的に重要事案の被疑者を取り逃がした可能性が高い点を警察内からも問題視されたことから、同年8月山本昌ニ・滋賀県警部長が辞任直後に自殺をした。その5日後、「たたきあげの 山もと 男らしゅうに 死によった」「くいもんの 会社 いびるの もうやめや…悪党人生 おもろいで」という挑戦状を送りつけたのを最後に、犯人側は動きを止めた。(以下参考に記載の「※グリコ・森永事件」の8月17日、犯行終結宣言参照)。
この事件は、未解決のまま2000(平成12)年2月13日に時効となった。1962(昭和37)年11月1日に指定された第1号の警察庁広域重要指定101事件 (学校金庫破り事件)・・以降、警察庁広域重要指定事件に指定されて未解決になったままのものは この事件だけである。
ただ、この事件は、企業への脅迫状とは別に、挑戦状を新聞社や週刊誌に送りつけ、その内容は警察をあざ笑うような内容が多い。そして、ノンキャリアの滋賀県警本部長が失態の責任を取って焼身自殺して以降、犯人は、終息宣言の後一切活動をしていない。警察発表では「犯人は何も得てはいない」ということになっているので、一連の犯行の目的が何であったか、若しくは脅迫された食品会社が裏取引したのではないかと言われているが、グリコをはじめとする被害にあったメーカーはそれを否定している。また、警察が「殺人未遂事件」として捜査した青酸ソーダ入り食品に関しても、青酸ソーダの入っていた食品には必ず「どくいり きけん たべたら しぬで」の紙が張られていたことから、毒入り食品による死者は発生しておらず、また誘拐放火等により命を落とした人もいなかった。グリコ社長誘拐に始まり、次々と食品会社を脅迫し世間を大騒がせした事件であるが、犯人グループのやっていることには、何か、昔気質のヤクザといった感があり、凶悪な犯罪に見えて何か犯人を怒らせるようなことが目に見えないところであったのではないかといった気がしてならないし、その直接の原因は、やはり、最初に発生したグリコ事件にあるように思われてならないのだが・・・。
この事件のことは、以下参考に記載の「※グリコ・森永事件」が詳しいので興味のある人は参照されると良い。
先日の日曜日、関西の某テレビ局で、元
(画像は、1984年兵庫県西宮市のファミリーマート甲子園口店の防犯カメラがとらえた人物。(アサヒクロニクル「週刊20世紀より。)
参考:
グリコ・森永事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BB%E6%A3%AE%E6%B0%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6
※グリコ・森永事件 
http://yabusaka.moo.jp/guriko.htm
かい人21面相の怪
http://www.geocities.jp/showahistory/history06/59a.html
警察庁広域重要指定事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E5%BA%81%E5%BA%83%E5%9F%9F%E9%87%8D%E8%A6%81%E6%8C%87%E5%AE%9A%E4%BA%8B%E4%BB%B6
あの日の出来事! 社会一般(1980年~1994年)
http://www.tcstd.com/tcstd_club/time_slip/news/social1980-1994.htm
ノンフィクションで見る戦後犯罪史
http://www.geocities.jp/hyouhakudanna/non.html