今日のことあれこれと・・・

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エリザベス1世(英:国王(チューダー朝5代)の忌日

2008-03-24 | 人物
今日(3月24)は、エリザベス1世(英:国王(チューダー朝5代)の1603年 の忌日である。 <69歳>
現在のイギリス王国のエリザベス女王(Queen Elizabeth II)が、”2007(平成19)年12月20日に高祖母にあたるヴィクトリア女王を抜いて英国史上最高齢の君主(81歳)となった”・・・と伝えられのが昨年12月のことでまだ記憶が新しい。(以下参考に記載のエリザベス女王、英国史上最高齢の君主に 国際ニュース : AFPBB News参照)。
「征服王」(William the Conqueror)といわれたウィリアム1世から数えて40代目の君主つまり、現在のイギリス王国の女王エリザベスⅡ世は、ジョージ6世と王妃エリザベス(Elizabeth Angela Marguerite Bowes-Lyon )の長女として、1926(大正15)年4月21日に生まれ、1947(昭和22)年フィリップ(エディンバラ公)と結婚し、1952(昭和27)年に即位し、現在に至っている。現在、世界で最高齢の君主はタイのプミポン・アドゥンヤデート国王(ラーマ9世 )で、エリザベス女王は第2位ということらしい。ダイアナ元皇太子妃の事故死の最中にある当時のイギリス王室の舞台裏といえるものを描いた2006年のイギリスの映画『クィーン』(The Queen)では、主演のヘレン・ミレンが、エリザベス2世を演じ、ヴェネチア国際映画祭の女優賞を受賞するなどの高い評価を得ている。
エリザベスⅡ世の母(皇太后)にあたるエリザベスは、1900年8月4日 に生まれ、2002年3月30日に亡くなるまで101年の年月を過ごしたが、女王として役割を果たしたのは比較的短かったが、皇太后としてナチスの空爆を受ける国民に笑顔の激励を送るなど、広く敬愛を集め、戦後生まれの若者には主に、クィーン・マザー(女王の母)として慕われていたそうだが、親子して長寿だよね~。
本年(2008年)2月、イギリスの映画『エリザベス:ゴールデン・エイジ』(エリザベス:ゴールデン・エイジ - goo 映画参照)が公開されている。
数奇な運命を背負いながらも、25歳でイングランドの女王に即位したエリザベス1世(Elizabeth Ⅰ)。彼女は、1533年9月、ヘンリー8世と2番目の王妃アン・ブーリンの間に生まれた。父王ヘンリー8世の遺志を継ぎプロテスタント(厳密にはプロテスタントとはいえないらしい。イングランド国教会参照)の女王として即位したが、国内にはカトリック信者が大勢おり、不安と憎悪が渦巻いていた。その頃、ヨーロッパ列強はイングランドを占領すべく狙っており、スペイン国王フェリペ2世はことあるごとに圧力をかけてきた。さらにカトリック派のスコットランド女王メアリー・スチュアート(Mary Stuart)の存在も火種となっていた。
女王として国を愛し、1人の女として男を愛し、裏切られ傷つきながらも戦うことをやめなかった。国に全てをささげ一生独身を通した女王。バージンクイーンとも呼ばれているそんな伝説的な女王の物語。この物語は、イングランド国王の娘として生まれながら、私生児の烙印を押されたエリザベスが運命を切り開いていく姿を描いた1998年の『エリザベス』( エリザベス-goo 映画参照)の続編である。女王の座に就いてから果てしなく続く内憂外患を解決しながら“ゴールデン・エイジ”(=黄金時代)を築き、真の女王に君臨する姿を浮き彫りにしていく。
しかし、あくまで映画は映画である。このような歴史ものの映画を見る場合には、ちょっとイングランドの歴史などを調べてから見ると、面白さは倍増するだろうね。
1485年8月22日のボズワースの戦いヨーク朝リチャード3世を破ってイングランド王に即位したヘンリー・テューダー(プランタジネット朝の後胤)はヘンリー7世として即位しテューダー朝を開始した。百年戦争バラ戦争によってイングランド国内の貴族、騎士層は疲弊し、没落しつつあったこれら諸侯を抑えて絶対王政を確立していった。
イングランドにおける絶対王政の最大の成果はイングランド国教会を成立させたことである。16世紀に入るとヨーロッパではマルティン・ルター贖宥状批判がきっかけとなり宗教改革の動きが活発になった。それらは純粋に宗教的な理由から出発しているが、イングランドにおける宗教改革はヘンリー7世の次の王であるヘンリー8世キャサリン王妃との離婚およびアン・ブーリンとの再婚を巡る問題と言う、全く非宗教的な理由から出発している。

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(画像は、コレクションの映画『エリザベス:ゴールデン・エイジ』チラシ。中央:主演のケイト・ブランシェット

エリザベス1世(英:国王(チューダー朝5代)の忌日(続)

2008-03-24 | 人物
男子の後継者を望むヘンリーに対してキャサリンは女子1人(メアリー・チューダー)を生んだだけであった。ヘンリーは子の産めないキャサリンと離婚し、事実婚の関係にあったアン・ブーリンとの結婚を望んだが、カトリック教会においては離婚は認められないが、「そもそもその結婚が無効であった」(婚姻の無効)ということをローマ教皇に認めてもらうという抜け道が存在しており、王族に関しては少なからずその名目で離婚がおこなわれていたようだ。そのようなことから、ヘンリーもこの手法を用いローマ教皇庁にキャサリンとの「離婚許可」を求めたが、キャサリンの甥にあたる神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世が反対し、ローマ教皇クレメンス7世に圧力をかけたため、教皇はこれを認めなかった。これに怒ったヘンリーはイングランド国内における教会の首位権(以下参考に記載の「教皇首位説 - Wikipedia」参照)はローマ教皇ではなくイングランド国王にあるとする国王至上法を発布し、キャサリンとの離婚を成立させたヘンリーは1534年5月、アン・ブーリンを正式な王妃に迎えた。また、国王至上法によってカトリックの修道院の多くが解散させられ、反対した多くの僧侶が処刑され、その中に、この時、カトリック信徒の立場から国王至上法に反対したことにより処刑されたトマス・モアがいる。
ヘンリーとしては王妃との離婚が成立すればよかっただけで、典礼の様式などはカトリックの物そのままであった。1534年9月、アンは第二王女エリザベス(Ⅰ世)を出産した。王子誕生を望んでいたヘンリー8世は王女誕生に落胆し、次第にアンへの愛情は薄れていった。その後も次々と后との離婚(時には処刑=結婚から2年後、国王暗殺の容疑、および不義密通を行ったとして、アンは反逆罪に問われ斬首刑に処せられた。)と再婚を繰り返し、ヘンリーには6人の后がいたという(ヘンリー8世の妃たち参照)。
次第にアンへの愛情は薄れていった。
その後ヘンリーの子となるエドワード6世の時代に祈祷書の制定が行われ、カルヴァン派の様式が取り入れられ始めた。ただしイングランドではこの後も国教会とカトリックの間で揺れ動き、エドワードの後に女王となったキャサリンの娘メアリー1世(メアリー・チューダー)はイングランドにおけるカトリックの復権を企てた。これに対しての反発はかなり根強いものがあり、彼女はカトリックの復権に反対するものをことごとく処刑したため「ブラッディー・メアリー」とあだ名された。(※、余談であるが、ウォッカベースのカクテルで、トマトジュースを用いた少し変わったカクテルに「ブラッディ・マリー」があるが、これは、「ブラッディー・メアリー」の名から来ているもの)。
イングランドにおいて最終的に国教会の優位が確定されるのはメアリーの後を継いだ妹で、アン・ブーリンの娘である、エリザベス1世によって、国王至上法が再発布され、重ねて礼拝統一法(以下参考に記載の「薔薇の王国・英国歴史散歩」エドワード6世時代の用語解説及びエリザベスⅠ世時代の用語解説参照)が制定された(以前にエドワード6世が1552年に規定した英語版祈祷書を再度用いることを布告)後の事になる。全聖職者に対して国教会の定めた制服着用も義務づけたが、清教徒の間からは「キリストの敵の制服」として、激しい反発が起きたが、強行し、最終的に着用を拒否したものを公職追放とするなど、大混乱し、何度となく、国内のカトリック勢力による暗殺の危険にもさらされたというが、国教会を国家の主柱として位置づけたことにより、エリザベスⅠ世は、イングランドにおける絶対王政の頂点を極めることとなった。
エリザベスⅠ世によって統治されたこの時代はエリザベス朝と呼ばれる。エリザベスⅠ世は当時、無敵艦隊を率いて世界各国に植民地を持ちヨーロッパの強国となっていたスペインハプスブルグ家に挑戦をはじめた。エリザベスはスペインからの独立を目指して戦っていたオランダの独立戦争を支持し、援助を行った。時のスペイン国王フェリペ2世はこれに対してイングランド攻略を目指して無敵艦隊を送って来たが1588年のアルマダの海戦において私掠船(しりゃくせん)を中心としたイングランド海軍が大勝。スペインの海軍力はこの後大幅に低下し、逆にイングランドの海軍力はこの後イギリス帝国を維持するイギリス海軍に発展するまで上昇し、当時ヨーロッパの最強国の一つであった、スペインを軍事的に打ち負かしたことで、イングランドの国際的地位が高まって行くことになった。
エリザベスⅠ世はイングランド王位を持つ自分の立場を利用される事(つまり外国に干渉される事)を嫌い生涯独身を通したという。そのためエリザベスには子はおらずテューダー朝はエリザベスの代で終わる。イングランドからテューダー朝のヘンリー7世の娘マーガレット・テューダー(ヘンリー8世の姉)がスコットランド王ジェームズ4世に嫁してジェームズ5世が生まれ、ステュアート家はイングランドの王位継承権を得ていた。エリザベスⅠ世が即位後、メアリー・ステュアートはエリザベスが庶出(しょしゅつ。妾腹〔しようふく〕の生まれ )であることを理由にイングランド王位を要求し、スコットランドとイングランドの関係は悪化していた。嫡子(ちゃくし。家督を相続する者 )のいなかったエリザベスⅠ世の死後、その後継には、スコットランド王であったステュアート家ジェームズ6世(チャールズ・ジェームズ・ステュアート。メアリーの息子)がイングランド王ジェームズ1世としてイングランド王位に就き、アン女王の時代にグレートブリテン王国として統合されるまで、両国は共通の王と独自の政府・議会を持つ同君連合体制をとっっていた。
イングランドの歴史も非常に複雑であるが、当時まだ弱小国家であったイングランドを、対外的にはスペインの無敵艦隊を破るなど国威を示し、これを境に英国経済も大きく発展した。ちなみに、1600年の「東インド会社」の設立も、南北アメリカの植民地開拓の基礎が置かれたのもこの時期である。そして、内政的にはプロテスタントとカトリックの対立を収束させ、国力を充実させ、文化的には、芸術、文芸も栄え、イギリス・ルネサンスの最盛期となった。また、ウィリアム・シェイクスピアに代表されるイギリス・ルネサンス演劇も賑わいをみせたエリザベスⅠ世の治世45年間は、英国の歴史において、もっとも輝かしい時代のひとつでもあった。
本年2月公開映画『エリザベス:ゴールデン・エイジ』で、エリザベス女王が、ファッションに強いこだわりを見せていたのは、史実に基づいているそうだ。“ヴァージン・クイーン”と呼ばれ、生涯で一度も結婚をしなかった彼女は、ファッションには強い関心を抱いていたようで、当時の、王立衣装管理部の記録には、エリザベス女王用の衣装が数千着あったと記載されているという。 以下参照。
エリザベス女王は、ファッションマニア!戦闘用のヘアースタイルまでスタイリング- goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/contents/news/NFCN0012865/index.html
※そして、2月25日、第80回アカデミー賞授賞式が開催され、衣装デザイン賞は、『エリザベス:ゴールデン・エイジ』が受賞している。
(画像は、コレクションの映画『エリザベス:ゴールデン・エイジ』チラシ。中央:主演のケイト・ブランシェット
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エリザベス1世(英:国王(チューダー朝5代)の忌日:参考

2008-03-24 | 人物
参考:
Category:イギリス史 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E5%8F%B2
映画:エリザベス:ゴールデン・エイジ」
http://www.elizabeth-goldenage.jp/
英国ファンページ・エリザベス1世ってどんな人?
http://www13.ocn.ne.jp/~uk_fan/jpage/history/hs_q008.htm
エリザベス2世 (イギリス女王) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B92%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E5%A5%B3%E7%8E%8B)
薔薇の王国・英国歴史散歩
http://kuni.milky-web.net/index.html
世界悪女物語/エリザベス女王
http://wiki.draconia.jp/index.php?cmd=read&page=%C0%A4%B3%A6%B0%AD%BD%F7%CA%AA%B8%EC%2F%A5%A8%A5%EA%A5%B6%A5%D9%A5%B9%BD%F7%B2%A6%2F01
MSN エンカルタ 百科事典 ダイジェスト英国国教会
http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761578580/content.html
エリザベスの治世
http://www.educ.kyoto-u.ac.jp/e-forum/shakaika1/sakuhin.html
エリザベス女王、英国史上最高齢の君主に 国際ニュース : AFPBB News
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2328201/2469673
ラーマ9世 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%9E9%E4%B8%96
エリザベス - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD31484/
エリザベス:ゴールデン・エイジ - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD11961/
教皇首位説 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E7%9A%87%E9%A6%96%E4%BD%8D%E8%AA%AC
教皇令書(Dictatus Papae)
http://www3.tokai.or.jp/chinntaodesu/rekisi/Dictatus%20Papae.htm
アイルランド - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89
ユナイテッド・アイリッシュメンと1798年アイルランドの反乱
http://www002.upp.so-net.ne.jp/kumiko-meru/IrishRebel.htm
エリザベス   ELIZABETH
http://www.actv.ne.jp/~yappi/eiga/EB-09elizabeth.html
アカデミー賞 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC%E8%B3%9E
アイルランドの歴史
http://www.globe.co.jp/information/history/history-2.html
ブラッディ・マリー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC