6月26日「露天風呂の日」
岡山県湯原町うるおいあるまちづくり委員会が1987(昭和62)年に制定。
6月26日の「露天風呂の日」は、湯原温泉の若者達のアイデアによる「町づくり事業」として始められた。「ろ(6)てんぶ(2)ろ(6)」の語呂合せ。6月26日を温泉町の感謝デーとしたもの。イベント当日は、入浴施設や旅館ホテルの内湯も無料開放、宿泊料金も記念日にあやかり、6,260円になったり、旅館ばかりでなく飲食店や商店も特別サービスを行う等、町全体の大きなお祭りになっているそうだ。
日本人の温泉好きは、民族性というか、高温多湿の気候風土だからだろう。昔からお風呂に入ってサッパリしたいという願望があり、サッパリすれば、飲食もすすむし、気分も良くなる。リラックスして精神的にも良い。
風呂に関しての記念日には、「温泉の日 9月9日 」、「風呂の日 毎月26日」など がある。風呂の歴史的なことや謂れなどについては、私の過去のブログで採りあげたのでそこで見てほしい。→今日(4月26日)は「よい風呂の日」
兎に角、日本人は昔から風呂好きであるが、温泉のイメージとしては先ず「温まる」「ほのぼの」といったところだろうが、一時は温泉というと年寄りが連想された。しかし、今では、若い人に人気があるようだが、若い人には特に 露天風呂の「爽快さ」 が好まれるようだ。私も若くはないが露店風呂が大好きだ。
私は、現役時代、仕事での出張が多く年中全国へ出張していたが、近くに温泉のあるところでは、必ず、温泉のある宿に止まった。温泉に浸かってその後、部屋で浴衣掛けで飲む酒と料理は最高だ。普通の人は、出張に行くと旅費を始末して少し残し、小遣いの足しにする人が多いようだが、私などの飲兵衛は、いつも赤字であった。私らの考えは、なかなか行けない遠い温泉地のあるところへ仕事で行けるのだから、折角だから、出張旅費として会社から支給される宿泊費などに自分のお金を少し足して、温泉宿にでも泊まって、その土地の酒と肴が食べられりゃ~、この上なきご機嫌。なんせ、旅費はほぼただなんだから・・といった考えになる。だから毎月数万円の赤字でも、安いものである。
出来れば温泉でも露店風呂に入りたいが、これはなかなか思うようにならない。なにせ、昼間は仕事をしているのだから仕事が終わって急いでゆけるところは、時間的にも制約がある。
それで、時々、出張の終わった後帰る前に1日、休暇を取ってその辺を周遊することがあるが、そんなことで、伊香保温泉に泊まったことがある。まだ、残雪が少し残っている頃だったが、旅館で野外のいい露店風呂があると聞き仲間と出かけると、小さな露店風呂で先客がいては入れなかった。仕方なく引き返し、温泉町を少しぶらぶら歩いて見物し、又行ったら、今度は男の人が2人だけであったので、入ろうかと思った。その瞬間2人の男が湯から立ち上がると、なんと、背中に大きな立派な刺青が・・・。ちょっと、入る勇気がなくなりそのまま旅館の湯に入ったのが思い出される。・・本当に残念だった。
やはり、山でも海に面したところでも、野外での温泉には開放感があり、屋内とは別段の爽快感があることは確かである。こんなところで、女性との混浴なんて・・・と、男は思うかも知れないが、先ず、残念ながら若い女性には、当らない。しかし、小説などでは、透き通るような白い素肌の若い女性が露店風呂に入っている場面がよく出てくる。又、映画などでも良くあるが、それは、絵に成ることは確かだが、一ある種の覗き趣味かもしれない。そのようなことは別にして、温泉と美女と言うと昔見た日活映画「白夜の妖女」(1957年)を思い出す。泉鏡花原作の「高野聖」を脚色して、月丘夢路、葉山良二のコンビに、滝沢修、大矢市次郎などのベテランが脇を固める名画である。弘法大師の開山以来千年の間、仏教の聖地として女人禁制であった高野山が、明治5年、この禁がとかれることになった。全山の僧侶達は反対したが、ただ一人高野の聖と仰がれている宗朝老師は「自分には女人禁制などと口にする資格がない…」と、僧侶一同の前で若き頃の懺悔ばなしをはじめたところから映画は始まる。そして、そのなかで、24歳の若い宗朝(葉山良二)は飛騨の高山から善光寺に向う山中で道に迷い、やっと家を見出した家には、妖しいまでに美しい女(月丘夢路)と白痴の小人夫婦が住んでいた。宗朝が一夜の宿を乞うと、女は天然の岩風呂に案内した。しかも、その美女は自分も全裸になって入浴するのだった。その夜、初めてみた女体の美に修業の身の自信を失った宗朝は、・・・・。女性の魅力に負け一夜を共にしそうになった宗朝も我を取り戻し、女も魔性を棄てた。そして、そこから逃れる宗朝。宗朝とともに逃げようと、女は白痴の手を引いて、宗朝を待たせた崖に戻ったが間に合わず諦めると白痴をつれ、沼の真中に舟を漕ぎ出した。突然、「木曽のオ、御嶽さんはア……」と白痴が無邪気に歌い出したが・・・。詳細のあらすじは、白夜の妖女(1957)ー goo 映画 を、見てください。この映画の女を演じる月丘夢路宗朝は本当にきれいだった。こんな美しい女性と誰も居ない山中で一緒に露店風呂などに入って、誘われると、後に、高野聖といわれるような地位につくお坊さんでも一夜を共にしたくなるだろうね。兎に角、その魔力に負けず、思いとどまったから、牛や馬にも変えられずに済んだのだけれど・・・。私なら、ダメだろうな~。最後、山中に響く、「木曽節」も、それまでの民謡で聞いた木曽節とは異なり、とても不思議な魅力があった。その時、あ~、民謡なんて、本当はこうなんだろうな~と、つくづく思った。露店風呂の話が変なところへ脱線したが、露天風呂と若い美しい女性は、本当に絵になるよ・・・。
(画像は、「露天風呂 」温泉を愛する人のための旅の本 全国編。JAF出版社 )
参考:
湯原町商工会・湯原町旅館協同組合
http://www.yubara.com/
露天風呂「砂湯」考察
http://www.net626.co.jp/sinan01.html
露天風呂に入りたいなら(JTB 癒しの温泉特集)
http://www.jalan.net/onsen/
白夜の妖女(1957)ー goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD25381/index.html?flash=1
岡山県湯原町うるおいあるまちづくり委員会が1987(昭和62)年に制定。
6月26日の「露天風呂の日」は、湯原温泉の若者達のアイデアによる「町づくり事業」として始められた。「ろ(6)てんぶ(2)ろ(6)」の語呂合せ。6月26日を温泉町の感謝デーとしたもの。イベント当日は、入浴施設や旅館ホテルの内湯も無料開放、宿泊料金も記念日にあやかり、6,260円になったり、旅館ばかりでなく飲食店や商店も特別サービスを行う等、町全体の大きなお祭りになっているそうだ。
日本人の温泉好きは、民族性というか、高温多湿の気候風土だからだろう。昔からお風呂に入ってサッパリしたいという願望があり、サッパリすれば、飲食もすすむし、気分も良くなる。リラックスして精神的にも良い。
風呂に関しての記念日には、「温泉の日 9月9日 」、「風呂の日 毎月26日」など がある。風呂の歴史的なことや謂れなどについては、私の過去のブログで採りあげたのでそこで見てほしい。→今日(4月26日)は「よい風呂の日」
兎に角、日本人は昔から風呂好きであるが、温泉のイメージとしては先ず「温まる」「ほのぼの」といったところだろうが、一時は温泉というと年寄りが連想された。しかし、今では、若い人に人気があるようだが、若い人には特に 露天風呂の「爽快さ」 が好まれるようだ。私も若くはないが露店風呂が大好きだ。
私は、現役時代、仕事での出張が多く年中全国へ出張していたが、近くに温泉のあるところでは、必ず、温泉のある宿に止まった。温泉に浸かってその後、部屋で浴衣掛けで飲む酒と料理は最高だ。普通の人は、出張に行くと旅費を始末して少し残し、小遣いの足しにする人が多いようだが、私などの飲兵衛は、いつも赤字であった。私らの考えは、なかなか行けない遠い温泉地のあるところへ仕事で行けるのだから、折角だから、出張旅費として会社から支給される宿泊費などに自分のお金を少し足して、温泉宿にでも泊まって、その土地の酒と肴が食べられりゃ~、この上なきご機嫌。なんせ、旅費はほぼただなんだから・・といった考えになる。だから毎月数万円の赤字でも、安いものである。
出来れば温泉でも露店風呂に入りたいが、これはなかなか思うようにならない。なにせ、昼間は仕事をしているのだから仕事が終わって急いでゆけるところは、時間的にも制約がある。
それで、時々、出張の終わった後帰る前に1日、休暇を取ってその辺を周遊することがあるが、そんなことで、伊香保温泉に泊まったことがある。まだ、残雪が少し残っている頃だったが、旅館で野外のいい露店風呂があると聞き仲間と出かけると、小さな露店風呂で先客がいては入れなかった。仕方なく引き返し、温泉町を少しぶらぶら歩いて見物し、又行ったら、今度は男の人が2人だけであったので、入ろうかと思った。その瞬間2人の男が湯から立ち上がると、なんと、背中に大きな立派な刺青が・・・。ちょっと、入る勇気がなくなりそのまま旅館の湯に入ったのが思い出される。・・本当に残念だった。
やはり、山でも海に面したところでも、野外での温泉には開放感があり、屋内とは別段の爽快感があることは確かである。こんなところで、女性との混浴なんて・・・と、男は思うかも知れないが、先ず、残念ながら若い女性には、当らない。しかし、小説などでは、透き通るような白い素肌の若い女性が露店風呂に入っている場面がよく出てくる。又、映画などでも良くあるが、それは、絵に成ることは確かだが、一ある種の覗き趣味かもしれない。そのようなことは別にして、温泉と美女と言うと昔見た日活映画「白夜の妖女」(1957年)を思い出す。泉鏡花原作の「高野聖」を脚色して、月丘夢路、葉山良二のコンビに、滝沢修、大矢市次郎などのベテランが脇を固める名画である。弘法大師の開山以来千年の間、仏教の聖地として女人禁制であった高野山が、明治5年、この禁がとかれることになった。全山の僧侶達は反対したが、ただ一人高野の聖と仰がれている宗朝老師は「自分には女人禁制などと口にする資格がない…」と、僧侶一同の前で若き頃の懺悔ばなしをはじめたところから映画は始まる。そして、そのなかで、24歳の若い宗朝(葉山良二)は飛騨の高山から善光寺に向う山中で道に迷い、やっと家を見出した家には、妖しいまでに美しい女(月丘夢路)と白痴の小人夫婦が住んでいた。宗朝が一夜の宿を乞うと、女は天然の岩風呂に案内した。しかも、その美女は自分も全裸になって入浴するのだった。その夜、初めてみた女体の美に修業の身の自信を失った宗朝は、・・・・。女性の魅力に負け一夜を共にしそうになった宗朝も我を取り戻し、女も魔性を棄てた。そして、そこから逃れる宗朝。宗朝とともに逃げようと、女は白痴の手を引いて、宗朝を待たせた崖に戻ったが間に合わず諦めると白痴をつれ、沼の真中に舟を漕ぎ出した。突然、「木曽のオ、御嶽さんはア……」と白痴が無邪気に歌い出したが・・・。詳細のあらすじは、白夜の妖女(1957)ー goo 映画 を、見てください。この映画の女を演じる月丘夢路宗朝は本当にきれいだった。こんな美しい女性と誰も居ない山中で一緒に露店風呂などに入って、誘われると、後に、高野聖といわれるような地位につくお坊さんでも一夜を共にしたくなるだろうね。兎に角、その魔力に負けず、思いとどまったから、牛や馬にも変えられずに済んだのだけれど・・・。私なら、ダメだろうな~。最後、山中に響く、「木曽節」も、それまでの民謡で聞いた木曽節とは異なり、とても不思議な魅力があった。その時、あ~、民謡なんて、本当はこうなんだろうな~と、つくづく思った。露店風呂の話が変なところへ脱線したが、露天風呂と若い美しい女性は、本当に絵になるよ・・・。
(画像は、「露天風呂 」温泉を愛する人のための旅の本 全国編。JAF出版社 )
参考:
湯原町商工会・湯原町旅館協同組合
http://www.yubara.com/
露天風呂「砂湯」考察
http://www.net626.co.jp/sinan01.html
露天風呂に入りたいなら(JTB 癒しの温泉特集)
http://www.jalan.net/onsen/
白夜の妖女(1957)ー goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD25381/index.html?flash=1